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第11話 オーバストール-8


「……んー、明日はこの辺りを……あ、ならこっちの道から行ったほうがいいのか……」


 自分で作ったラネイロノ森の地図の上に人差し指を滑らせながら、ぶつぶつと言う。


 多くの住民が寝静まった夜は、ついつい頭の中で考えていることを口に出してしまう。


 それは気の緩みなのか、それとも体外に思考の一端を置いておかないと整理がつかないのか。ひとつ言えるのは、体がブーセだった頃にはなかった(くせ)だ。


「……ふああぁ…………もう寝よ……」


 また(つぶや)き、椅子から立ち上がったそのとき、どこかから、断続的な(あえ)ぎ声のようなものがかすかに聞こえてきた。


 耳を澄ますと、すぐに窓の外のようすが気になりだす。

 俺は一切の迷いなしに窓を開けて見下ろした。


 人影がふたつ。

 ひとりは黒っぽいマントで全身を覆った者。

 もうひとりは髪を振り乱しながら、その顔の見えない怪しい人物の手首を(つか)んで引き止めようとしている者。


 そして、満月の光は俺の視線をやや強引に導く。


「フィンフィエ……?」


 音としては静かな争いだったからか、俺のたったひと声でふたりの動きがピタッと止まる。


 しかし、それは迂闊(うかつ)横槍(よこやり)でしかなかった。


 マントの人物の動が静になったのは一瞬のことで、すぐさま掴む手を振り払い、夜道を荒々しく駆けていってしまった。


 俺が逃げるための隙を作った、そう見えてもなんらおかしくない。


 取り残されたもうひとり――フィンフィエは追い掛けようとはしなかった。

 彼女は俺を優先した。申し訳なくも、そういうことみたいだった。


 俺はまるで崩壊寸前の道を渡るときのように慎重に、かつ可能な限り速く家の中を移動して、外に出た。


 眉を曇らせたフィンフィエが口を開く前に声を掛ける。


「えっと……なにがあったの?」


 フィンフィエはすぐには答えてくれない。

 地面に目線を落とし、()でるように自身の髪を触る彼女の返答を、俺はじっと待った。


「…………泥棒が入ったの……私の家に……」


 ついさっき沈めたばかりの自責の念が、その体積をいっそう増して浮かび上がってくる。


「じゃあ、今逃げていったのって……」

「うん、そういうこと」


 女の子がひとりで泥棒を捕まえようとするのは危険な行為だ――常識的に考えればそう注意すべきだろう。


 しかし、先ほどの窃盗犯にはそれを言い渋らせる――フィンフィエよりも小柄だった、という身体的特徴があった。

 

 無論、上から見下ろしていたため、正確に推定できたわけではないが、少なくとも力関係が拮抗していたことは確かだ。


 それに外套(がいとう)の胸の辺りが大きく膨らんでいたことから女性の可能性が高い。


 ――いや、待てよ。盗んだ物をただ抱えていただけかもしれない。実際左腕は常に胸の下に置かれていた。


「ねえ、ライノ。もしかしたらなんだけど……」


 まるで喉よりも太いものを吐き出そうとしているかのように、フィンフィエは言う。


「あの泥棒……イファナちゃんかも」

「え……ど、どうしてそう思ったの?」

 

 ありえない――と断言するのは正直難しい。


「実は盗みを働いているところに出くわしたんだけど、そのとき、声を漏らしてたの」

「その声がイファナのものだったと?」

「うん。私はライノみたいにあの子と仲がいいわけじゃないけど、ふたりの会話が終わるのを近くでこっそり聞いて待ってたこととかあるから、間違いないと思う」


 イファナの異変は確かにあった。でもそれは泥棒と結びつくような薄汚れたものではなかったはず。


「……なんて、言ってたかわかる?」

「ごめん。少し離れた位置からようすをうかがってたから……でもなんか誰かに話し掛けてるみたいだったよ」

「え、仲間がいたの?」

「いや、ひとりだけだった、と思うけど……」


 ……ダメだ。ここで立ち止まって疑問を増やしていても仕方がない。


「俺、今から追い掛けてみる」

「なら、私も一緒に行くよ」


 いざというときに邪魔になる――そうわかっていたけれど、しつこく粘られる気がしたため、やむなく即断した。


「暗いから足元気をつけて」

「うん」


 イファナが逃げた方向は()しくも俺が最も通り慣れた道と重なる。


 分岐点は何度もあったけれど、この(せわ)しなく動く足が中途半端に地を踏むことは一度たりともなかった。


 窃盗犯を追うというより、望ましくない未来へと(つな)がる道筋を辿(たど)る。そこに逃走の痕跡がなければ、ひとまずは安堵(あんど)できるから。

 

「あ、ライノっ!」


 その声とともに伸びてきたフィンフィエの腕が俺の腹にめり込み、静止を余儀なくされた。


「なに!?」

「足元! なにかあるっ」


 即座に視線を落とすと、拳くらいの大きさの丸い物体が俺のつま先の前で腰を抜かしていた。


 俺はそれをすっと拾い上げ、指にそこそこの力を入れて握ったあと、鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。

 

 道の真ん中に転がっていた物の正体は、新鮮なリンゴだった。


 偶然と言われると腑に落ちないが、ならこれは偶発的には起こりえないことなのかと問われると返答に窮する事象。


 どうしてこんなにも胸が騒ぐのだろう。魔女とイファナが同一人物である可能性は著しく低いと結論づけたはずなのに。


 フィンフィエが俺の手の中にあるリンゴを指でつつく。

 

「きっと誤って落としたんだろうね。でもライノ……この先ってもう街の外だよ」

「うん。だからフィンフィエはもう家に戻ったほうがいいよ」

「え、ライノはどうするの?」

「追い掛ける。たぶんラネイロノ森に行ったと思うから」

「ダメ、夜の森に入るのは危険だよ。それに街の外に出たからって、行き先がラネイロノ森だとは限らないじゃん」


 難色を示したフィンフィエが目の前に立ちはだかる。


「そうだけど……でもイファナ本人が言ってたんだよ。あそこは落ち着く場所だって」


 俺がそうさせてしまった。断ったらひとりで森に行ってしまいそうだったとはいえ、何回も連れていくべきではなかった。

 

「……イファナちゃんを見つけたらライノはどうするの? 窃盗は……重罪だよ」

「まずは話をするよ。そのあとのことは、まだ決めてない」


 窃盗なんてものはこの際どうでもいい。


「はあ……わかったよ。私、松明(たいまつ)を取ってくるからここで待ってて」

「え、だからフィンフィエは――」


 言い終わる前に、ガシッと両手首を掴まれた。


「私と行くか、こうしてずっと私に引き留められるか、どっちがいいの?」

「…………一緒に、行く」

「ちゃんと待ってるんだよ?」

「うん……」


 今すぐ、フィンフィエとの約束を破って走りだしたかった。

 ただ、その気持ちがあっても従わざるを得なかったのは、俺が「(あか)り」という必需物の存在を完全に失念していたせいだ。

 

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