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第12話 オーバストール-9


 俺は本当に、死力を尽くせていたのだろうか。

 

 気絶するほどの痛みに耐え、情報収集のために人を(だま)し、怪しいと(にら)んだものは(つまび)らかにしようと努力した。

 日常に溶け込んだのだって、予期せぬしがらみに足を取られないようにするためだった。


 しかし、俺は歴史の断面を視認できる者でありながら、現状なにひとつとして成果をあげられていない。


 手元で燃えている炎は、こんなにも使命を全うしているというのに。


 傾斜の激しい坂まで来た。もうすぐだ――。


「ライノ」

「うん……」


 少し先。ラネイロノ森の手前。暗闇の中で揺らめく光があった。そのすぐ近くには座した人の影がひとつ。


 すかさず俺は、盛り上がった土に松明(たいまつ)の先端をねじ込んで火を消した。


「ゆっくり近づこう」


 幸いにもこちらに背を向けている、ように見える。


 足音を殺し、(はや)る気持ちを抑えて、一歩ずつ慎重に進んでいく――。

 

 そして、まだひょいと転がした球体では絶対に到達しえない距離が空いているときだった。

 ()き火に添う者はビクッと身を震わせると、すぐに立ち上がり、一切の躊躇(ためら)う素振りなく、駆けだした。


「待ってっ!!」


 咄嗟(とっさ)に叫ぶも、真っ暗な森の中への逃走は止まらず、その姿は闇に消えた。


 おかしい。足音はほとんど鳴っていなかったし、そもそも人の気配を察知したにしては距離的に早すぎる。

 まるで「後ろから人が近づいてきてるぞ」と誰かに教えられたような反応だった。


「フィンフィエ! 追うよ!」

「待って、火をつけ直さないと――」


 彼女を置いていったっていい。この足の動きはその気持ちを顕著に表していた。


 やがて視覚が使い物にならなくなる。何度も「窃盗犯」と一緒に通った道か、それとも獣すら忌避する道か。


「止まってライノっ!!」


 後方からのフィンフィエの大声が俺の背中に突き刺さり、引っ掛かる。


「はあ……はあ……(あか)りが、ないと、危ないよ。あと、置いていかないで……怖いの」

「……ごめん。それ、俺が持つよ」


 フィンフィエから松明を半ば強引に受け取り、それとは別に彼女の手を握る。


「えっ」

「これでいい?」

「……うん」

 

 まったくもって望んでいないのに、すーっと頭が冷えていく。膨張した熱量だけでまっしぐらに突き進んでいけるほど、夜の森は甘くなかった。でもそれは「彼女」も同じはず。


「茂みとかに隠れてるかもしれないから、周囲をよく照らしながらちょっとずつ進むよ」

「わかった。転ばないように気をつけて」


 俺は(うなず)いて前を向く。彼女の手を握ってさえいれば、もう後ろを向く必要はないだろう。


 おどろおどろしい夜の森。枝を踏み折っただけでも、心臓に刹那的な衝撃が走って、後悔する。


 ただ、今の俺を安心させることができるのは太陽の光でもなければ、頻繁に握り直してくる彼女の手でもない。大きな樹洞の中で身を潜めている少女の姿だけでいいのだ。


 そして、松明を左右に振る動作に疲れを感じ始めたあたりで、俺は足を止め、目を見開いた。


 光だ――。自然現象によるものだとはとても思えない青白い輝き。状況が状況でなかったら、神秘的だと喜ぶ輝き。考えうる中で、最悪の輝き。


「なに、あれ……」


 背後のフィンフィエが声を漏らす。その彼女の手をぎゅっと握り締める。


「行こう……」


 いっそ夢であってほしかった。それも、ライノになる前の、ララカ村のみんなが殺される前から始まった夢。


 どうせ崖から飛び降りるのなら、落下しているあいだはずっと青々とした空だけを見ていたい。全身が叩きつけられる趣のない墜落地点なんてひどくつまらないと思うから。


 俺は早合点が生んだ絶望を胸に、光を遮っていた最後の樹木を通り越した。


「イファナっ!!」


 なぜか宙に浮いている少女の名を呼ぶ。

 いや、それを引き起こしているのがなんなのかは火を見るより明らかだ。


 イファナのすぐそば。蒼白(そうはく)の光源。蛇のような体でありながら、耳と体毛を生やし、尻尾は二股に分かれ、そして傷だらけの赤黒い翼を広げている、なにか。


 異様も異様。あの蛇と似て非なるものが不気味な笑みを浮かべていることも含めて。


 すると、椅子に座っているように浮いていたイファナのまぶたがゆっくりと持ち上がった。


「ら、ライノ……さん……」


 イファナが俺に向かって手を伸ばす。


 なんとなく、あの手を(つか)めさえすれば劣勢を覆せる、そんな気がした。


 フィンフィエの制止を振り切り、得体の知れない生物を前にしながらも地面を強く蹴れたのは、勇気ではない。欲望だ。


 起死回生の種がたった数秒で届く距離に――。


 俺は、空を、飛んだ。警戒を怠っていたわけではない。自分の能力を過信していたわけでもない。なのに、俺の体は一瞬にして宙を舞った。理解の(いとま)もなく、制御の余地もなく木に激しく叩きつけられ、地を()めさせられた。


「ライノっ!!」


 衝撃のせいか息ができない。

 苦しい。苦しい。苦しい。死ぬ――――――


「くはあっ、はあ、はあ、はあ、はあ――」


 立た……ないと……。立って……イファナを…………あれ……。


 寄ってこないフィンフィエ。ここから逃げろと早く伝えたいのに。

 

 俺は伏した顔を上げ、視線を走らせる。


「フィン、フィエ……?」


 彼女は――倒れていた。俺と同じように木の根元で。ただ、俺と違ってピクリとも動いていない。


 満杯まであと少しだった器がようやく満ち、俺は確信する。今この瞬間が歴史の分水嶺(ぶんすいれい)であると。


 両手を突いて重い重い上半身をなんとか地面から離す。

 大丈夫。ガンガンと鳴り響く体の警報には慣れている。


 だが、歯を食いしばっていよいよ立ち上がろうとした矢先にそれは起こった。突如として空間に亀裂が走ったのだ。それもイファナのすぐ目の前に。


 魔法、あるいは魔法に限りなく近いなにかであることは間違いなかった。


 いったいぜんたいなにが起こって……。


 奇妙な裂け目はわずかな広がりを見せる。すると、そこから(いかり)のようなものが勢いよく飛び出し、イファナの胸に突き刺った。


「あぐぁあ!」

 

 聞くに堪えない幼い少女の苦悶(くもん)の声。血液が一滴たりとも彼女の足を伝っていないとはいえ、胸くそが悪い。


 ヤツだ――あの蛇もどきがすべての元凶なんだ。

 

 たとえフィンフィエに、イファナに大怪我を負わせることになるとしても、ヤツの「悪巧み」は絶対に止めないといけない。


 力を抑える気は毛頭ない。全力をもって阻止する。


 腕が溶けていると誤認してしまうほどの熱を持った魔力にドロドロとした殺意を添加。いちいち意識せずともそれらは勝手に混和されていく。

 そうして出来上がった怨恨の「イバラ」を、あの蛇もどきに向けて何本も何本も何本も放――――てなかった。


 ……は?


 なぜか、なぜなのか魔法が出せない。こんなことは初めて。魔力が手首の辺りで詰まっているような感覚がある。


「うっ!?」


 違う。問題はもっと根本的なものだ。いつの間にか体の自由が利かなくなっている。吹っ飛ばされた衝撃によるものだとしても、指の関節すら動かせないのはおかしい。


 遅れて、視界内の小さな変化に気づき、ゾッとする。あの蛇もどきが鋭い目つきで俺を凝視してきていたのだ。抑えきれなくなった負の感情を押しつけるためではなく、視線を向けること自体に意味があるような。


 これも、魔法なのか……?


 複数の魔法を扱えるのは魔女ひとりだけだとシャムルおばさんは言っていたはず。つまり、ヤツは「来世」で見た魔女と同等、もしくはそれ以上の存在――。

 

 希望にも憎悪にも知勇にも悲哀にも――そのすべてに寄り掛かれなくなった宙ぶらりんの気力は、限界を超過した代償を今になって払い始める。


 だんだんと薄れていく意識。全身を動かせない俺にできたのは、ただじっと事の成り行きを眺めることだけだった。


 大きく広がった裂け目から多種多様の小虫が大量に(あふ)れ出てくる光景を。

 イファナの金髪が真っ白に変化するその様を――。

 

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