第13話 オーバストール-10
――なんだろう…………すごく……あたたかい……。
……ああ、そうだ……この感じ……火の、温もりだ。
目を開ける。視界いっぱいに広がるゆらゆら揺らめく炎。ときどきパチッと音が鳴って火花が飛び散る。それらはこれといって不快には感じない。むしろ心地いい。
次に気になったのは、耳の下にある、ほどよく柔らかいなにか。触って確かめてみると、なぜか硬い。
「あ、気がついた?」
聞き馴染みのある声が耳に入ってきたのを皮切りに、少しずつ意識がはっきりしていく。
成し遂げられなかった。手も足も出なかった。今までの努力が無に帰してしまった。いっそのこと笑いものにされたい。だって俺はこんなにも無力で愚かな人間なのだから。
立ち込める悔恨が誤って口から溢れ出ないようにすべく体勢を仰向けに変える。すると、表情から生気をあまり感じられないフィンフィエと目が合った。
「フィンフィエ……イファナは……?」
「ううん。見当たらない」
白い髪に赤い瞳。見た目だけで判断するなら、魔女はイファナでまず間違いないだろう。俺が根底から読み違えていたのは、魔女という存在が先天的なものではなかったということ。
あの蛇のような生物はいったいなんだったんだ……。
「……俺は、どれくらい気を失ってた?」
「私が気がついてからそんなには経ってないよ」
もうひとつ気になることがあって、俺は彼女の側頭部に手を伸ばす。
「フィンフィエ、血が……」
「大丈夫。もうほとんど止まってるから。たぶん枝に引っかかれたんだと思う」
額から頬まで伸びた血の跡。手で拭ったのか、終着点には濃淡がついている。
――そうだ。フィンフィエだって俺と同じように魔法で攻撃されたんだ。このままフィンフィエの膝で横になってていいわけがない。
動いたら痛みが目を覚まして再び苦しめてくるとわかっていたけれど、それでも俺はできる限り素早く上体を起こし、弾力性の欠片もない木の幹に背中を預けた。
一拍遅れて、フィンフィエが不安げな表情を向けてくる。
「ねえ、ライノ。あれがなんだったのか、わかる……?」
「……いや、俺も、訳がわからなかった……」
「そう、だよね。私たちは泥棒を追ってここに来たはずなのに、イファナちゃんはなぜか宙に浮いてて、見たことのない生き物が光り輝いてて、突然ライノが吹っ飛んで……ほんと、意味がわかんないよ」
事情を中途半端に知っている者とまったくもって知らない者。皮肉にも両者は同じ場所で立ち往生している。
「……でも、イファナならなにか知ってると思う。少なくとも俺たちよりかは」
「…………そうだね……」
フィンフィエの消え入りそう声が引っ掛かり、焦点を焚き火の炎から移す。変化は一目瞭然。彼女の目が虚ろ虚ろになっていた。
「大丈夫……?」
「ごめん、ライノ。私、ちょっと無理そう。寝不足もあると思う……。だから、イファナちゃんのことをいろいろ考える前に、少しだけ、眠ってもいい……?」
「うん。夜が明けるまではここで休もう」
どうせもう手遅れだから……。
フィンフィエは仄かにほほ笑み、少しばかりの距離を四つん這いで埋め、そして俺の肩にそっと頭を乗せてきた。
「……もっと寄り掛かっていいよ」
「…………うん……」
すぐさま遠慮のない確かな重みを感じる。その上でさらに彼女は俺の腕をぎゅっと抱きしめてきた。私から離れないでね、と言わんばかりに。
俺も休みたかった。前世とか、魔法とか、魔女とか、復讐とか、後悔とか――全部忘れて、頭を空っぽにして休みたかった。少なくとも体はずっとそれを望んでいる。
俺は、フィンフィエの手に自分の手を合わせ、指を互い違いに絡めてから、目を瞑ることにした。
ほんの少しのあいだだけ――――。
⭐︎
オーバストールに戻り、フィンフィエを家まで送り届けたあと、俺は疲労困憊の身体に鞭を打って、ただひたすらにイファナを捜した。
死に物狂いで、というわけではなく、俺にはそれしかやることがなかったのだ。
街で噂になっている例の泥棒はあなたの娘ですよ、なんて酷なことは告げずに、イファナの母親に会って話をした。
イファナの母親は、イファナが家からいなくなっていることに気づき、ひどく動揺したようすだったので、自分も捜すからここ最近のイファナについて教えてほしいと頼むと、ふたつ返事で応じてくれた。
その際聞いた話によると、数日前になんらかの動物を拾ってきたイファナは、その動物を自分の部屋に隠して密かに飼育していたらしい。おそらくそれがあの蛇もどきなのだろう。
とすると、イファナが街の食料を盗んでいたのは、ヤツの餌のためだったと推測できる。
たかが動物のために窃盗を――あのイファナがそこまでするのか……?
もしかしたら、俺はイファナのことをわかった気になっていただけで、彼女の動物に対する愛情というのは、早熟な理性をも突き破る、鋭利な形状をしていたのかもしれない。
あるいは、あの蛇もどきがかなりの大食漢で、泣く泣くそうせざるを得なかったのか。
いや、それらに関してはさほど重要ではない。この期に及んでしまっては。
それからラネイロノ森にも行った。
現場に残されていたのは、オーバストールに戻る前にフィンフィエと一緒に見つけた、緑色の血溜まりのような痕跡だけ。
定かではないが、あの蛇もどきは弱っていたのだと思う。現にヤツの体は満身創痍だった。
ただ、そう仮定すると、自分の無能さがいかに甚だしいのかを痛感することにもなる。
イファナはきっともうこの街にはいない。
およそ50年後の居場所は知っている。王都ラーディックロック。
可能性が完全についえたわけではない。魔法が自然現象によるものではなく、あの蛇もどきの陰謀によって生まれたのだとしたら、ヤツさえ殺せばなにかが変わるのかもしれない。
まだ望みはあるのか、はたまたないのか――。
白み始めた空がやけに美しく見えて、俺は少しのあいだだけ瞳を閉じる。ただ、歩みは止めない。
昨夜はよく眠れなかったはずなのに、どうしてかあくびは一切出てこない。
オーバストールの住民は皆優しいし、大抵の物は労せず手に入るし、それに街並みがララカ村とはまるで毛色が違って、見ていて面白い。
だけど、もうここに用はない――。
光を見る。でもそれは、そろそろなにかにぶつかりそうな気がしたからではなく、右手首が突然後方に引っ張られたからだ。
「……フィンフィエ、どうして……」
「ライノがどこに行こうとしてるのか、私わかるよ。昨日ずっとイファナちゃんのことを捜し回ってたもんね。でも見つからなかった。だから……ほんとはなんとなくなんだけど、ライノはここを離れて、遠くに捜しに行っちゃう気がしたの」
「まさか、昨日ずっとついてきてたの?」
「うっ……いざ言葉にされると、私、危ない人でしかないよね……」
一日中、尾行されていたことに気づけないなんて……ほんと、俺ってつくづくどうしようもないな……。
「……それで?」
「私も連れてって」
そんなの考えるまでもない。足手まといだ。この街では大いに俺を助けてくれたけれど、だからといってこれから行く先々で同様に彼女が役に立つとはとても思えない。
「ケガは? 無理しないほうがいいよ」
「大丈夫。動けないほどじゃないから」
「しばらく……いや、一生ここには帰ってこられないかもしれないよ?」
「いいよ。もう家に手紙を置いてきたし」
生半可な気持ちで俺を引き止めているわけではない。それが――覚悟が、彼女の表情からひしひしと伝わってくる。
でも、だからこそ承諾できない。俺にはそれを受け止めてあげられるだけの余力も自信もないのだから。
少しの沈黙ののち、フィンフィエが俺の手首をパッと離した。真剣な面持ちに変化はない。
「私のこと、ずっと守ってくれるって約束してくれたよね? 私から離れて、どうやって守るつもりなの?」
「いや、あれは森の中だけの話で……」
「やだ。私の認識に合わせて」
なんだよそれ……自分勝手すぎるだろ……。
「……フィンフィエって、結構――」
「めんどくさい?」
「……うん」
「でも……めんどくさいけど、私料理ができるよ。どこでだって寝られるよ。こう見えても意外と力持ちだよ。痛いのにも全然耐えられるよ。あと――」
「わかったわかった…………俺が折れるよ」
思えば、フィンフィエのわがままを突っぱねられたためしがない。要は、彼女に引き止められた時点で、取れる選択肢はひとつに絞られていたのだ。
心の奥底でほっとしている自分がいることに関しても、正直驚きはない。
「じゃあ、私のことをずっと守ってくれるんだよね?」
「まあ……その『ずっと』がいつまでかにもよるけど」
「ん? なあに?」
「……なんでもない。早く行くよ」
「あ、待ってよー!」
魔法がこの世に生まれないようにする――それが失敗に終わったのなら、魔法をこの世から消す方法を見つけるまでだ。




