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第14話 パネアドノ-1


 旅をするのは初めての経験。


 オーバストールからはもちろん、ララカ村からどこか別の村や街に行ったことは一度もない。


 今でこそ本がいかに価値ある物なのかを理解しているものの、元々俺は文字を読むのがあまり得意ではなかった。それゆえ、ララカ村とその近辺以外の場所に強い興味を抱きはしなかったのだ。


 とはいえ、初めてオーバストールの街並みを目にした瞬間の感動が自分の余裕のなさによってかなり薄れてしまったことに関しては、もったいなかったと思ってたりもする。


「ふう……なんとか真っ暗になる前に着けたね」


 太陽が起きてから照らすことに飽きて帰るまでのあいだ、ひたすらに歩き続けていたというのに、まだまだ元気なようすのフィンフィエがそう言った。


「ちょっとゆっくり歩きすぎたかな」

「もお、私に合わせなくていいってずっと言ってたのに、ライノが全然聞いてくれなかったせいだよー」

「はいはい。ごめんごめん」


 まさか長距離移動で先にへとへとになるのが俺のほうだとは思わなかった。フィンフィエに休憩をうるさく促し続けたのだって、ほぼほぼ自分のためだ。


 薄々気づいてはいたが、「ライノ」は普段からあまり体を動かしていなかった可能性が高い。疲労の蓄積速度が尋常ではないのがその証拠。


 木登りが最もうまいヤツがララカ村で一番すごい、と語っていた少年期の俺をぜひ見習ってほしいものだ。


 ともあれ、苦労の末に辿(たど)り着いたのは、海に隣接した交易都市パネアドノ。一風変わった服飾や食べ物が多く見られることだけではなく、人やもの、そして情報の行き交いが盛んなのがここの特徴である――と訪れたことのあるフィンフィエが教えてくれた。


 要は、イファナの目撃情報を集めるにはうってつけの場所ということだ。


 隣を歩いていたフィンフィエが一歩前に出る。


「とりあえず今日はもう宿で休もっか」

「うん……そうしよ」

 

 そこからは意識を保つので精一杯だった。気づけば、長方形の石が敷き詰められた石畳ばかり見ていたし、気づけば壁の大部分に漆喰(しっくい)が塗られた真っ白な宿屋に着いていたし、気づけば突き当たりにある部屋の前に立っていた。

 

 聞き込みは明日の朝からでも遅くはない。こんな状態で事を行うのはきっと効率が悪い。

 よし、早く起きるためにも、早く横になろう……。


 と踏ん切りをつけたが、しばしの覚醒を余儀なくされ、水の入った(おけ)を手に持っていたフィンフィエに向けて、その原因を述べる。


「いまさらだけど、ふたりでひとつの部屋なんだね。しかもベッドもひとつだし……」

「あーうん。私が()めてたお金を全部路銀にしたとはいえ、贅沢(ぜいたく)はできないからね。もしかして、嫌だった……?」

「俺は、まあ、フィンフィエが嫌じゃなければ別に」

「私は全然嫌じゃないよ。小さい頃はよく一緒のベッドでお昼寝とかしてたしね」

「そう、なんだ……」

 

 わんぱくな時期と今とじゃ訳が違うと思うけど……。


 まあ、でもそうだ。華やかで楽しくて、なに不自由のない旅をするのが目的ではない。旅はあくまでも(はる)か先にかかった(もや)を晴らすための手段だ。

 

 だから、たとえ牛小屋で眠ろうが、嵐に見舞われようが、回復の見込めない深手を負おうが、決して不幸だと思ってはいけない。


 ベッドで眠れるだなんて、なんて幸運なことなんだろう。


「……ねえ、ライノ」

「ん?」

 

 なぜか顔を下に向けているフィンフィエ。

 急にどうしたんだ……?


「ごめん。えーっと、私、体、拭きたくて……だからその、ちょっとのあいだだけ向こう向いててもらってもいいかな?」


 あーあ。


「いや、部屋の外に出てるよ」

「え、そこまでしなくても――」


 バタンッとドアを閉めた。


 欲をかき立てられる雑念と、とてつもない睡魔で頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。


 果実の甘みを初めて知った人間が、その後どうしたのかなんて容易に想像がつく。

 今の俺の心にそういった甘美を挿し込もうとするのなら、代わりになにかひとつ抜き出さないといけない。俺はそれほどまでにいっぱいいっぱいなのだ。

 

 壁に背中をつけて腰を下ろすと、すぐにまぶたが落ちてくる。


 そういえばここ2日間、まともに寝てない気が…………――。


 ⭐︎

 

 翌日。

 宿屋の1階で朝食をとったあと、一度借りた部屋に戻ってきた。


 昨夜の記憶がおぼろげだったので、パンをちぎってせっせと口に運んでいたフィンフィエにおそるおそる訊いてみたところ、俺はしっかりと自分の意志でベットに横になったらしい。


 まあ、華奢(きゃしゃ)なフィンフィエが部屋の前で寝てしまった俺を運べるはずもないので、当然といえば当然だった。まったく(おぼ)えていないけれども。


 そんなどうでもいいことはさておき、さっきからもぞもぞしているフィンフィエが気になる。


「どうしたの?」

「あ、うん。なんか背中の真ん中ら辺が熱くて」


 身に覚えのある症状。すごく嫌な予感がする。


「ちょっと見せて!」

「えっ、で、でも痛みがあるわけじゃないし」

「いいから早くっ」

「う、うん……」


 頬を赤らめたフィンフィエはこちらに背を向け、後ろ髪を両手で束ねて持ち上げる。


「……服、少し引っ張るよ」


 彼女の頭がこくんと縦に動いたことを確認してから、襟に指を引っ掛けて、優しく引き下ろした。

 

 気持ち悪い。それ以上でもそれ以下でもない感想。


 予期したとおり、彼女の背中には親指の爪くらいの大きさの隆起があった。

 

 ただ、身の毛がよだつおぞましさを感じたのは、その膨らみのさらに上に浮き出た模様のほう。


 背甲に覆われた体。先端が鉤爪(かぎづめ)状になった複数の脚。そして、ごくごく小さな黒い点がふたつ。


「ど、どう……?」

「え? あー、うん。ちょっと……腫れてる」

「虫にでも刺されたのかな?」

「……もう髪を下ろしていいよ」


 パッと赤い尻尾が束縛から解放される。


 俺は、突然の胃酸の逆流に耐え、自分に言い聞かせた。彼女は単なる重篤な病気(・・・・・・・・)(かか)ってしまっただけなのだと。

 

 悲観的な思考が共感を仰ごうと、必死に駆け回っている様相が滑稽で滑稽で仕方ない。


 小心者の涙をなんとか胃に送り返し、ひと息ついたところで、フィンフィエが「わっ!」と驚きの声を上げた。


「見てっ、ライノ」


 くるりと振り返るフィンフィエ。俺の視線は水をすくうように合わせた彼女の手にまで落ちる。そこに乗っていたのは光沢のある不透明な黒い石。


「そ、それは……?」

「わかんない。なんか、急に頭の中にこの黒い石のことが浮かんできて、それで気づいたときには手の中にこれがあったの」


 ――魔法だ。間違いない。魔法を扱える俺だからこそ断言できる。


 惟識(いしき)暦601年。ラネイロノ森。神秘的な光。得体の知れない生き物。不可解な力による攻撃。そして、魔女と(うり)ふたつの姿となった少女。


 (かたく)なに認めていなかったわけではないが、ようやく自分以外の魔法使い(マヴィルギー)の存在――すなわち、魔法の誕生を裏づけるものを目の当たりにした。


 だが、フィンフィエがマヴィルギーになったことが一番の問題ではない。


 そもそもなにを経たらマヴィルギーになるのか。普通の人間とマヴィルギーではなにが違うのか。なぜ魔力は背中から送られてくるのか。ラネイロノ森で見た、摩訶(まか)不思議(ふしぎ)な裂け目から大量に(あふ)れ出てきた虫々。今しがた目にした彼女の背中にあった模様。


 シャムルおばさんは俺に隠し事をした。おそらくは俺のことを想って。

 

 まだ推測の域を出ていないとはいえ、辻褄(つじつま)は合う。


 マヴィルギーというのは、あの裂け目から溢れ出てきた奇妙な虫に寄生された人間のことを指す可能性が限りなく高い。


 とすると、俺の背中にも「いる」ってことだよな……。


 とりあえず今は、手元の石を不思議そうに観察しているフィンフィエの相手をしないと。


「それ……ほかの人には見せないほうがいいと思う」

「え、どうして?」


 説得力は――あり余るほど有している。


「フィンフィエもラネイロノ森で見たでしょ? 青白い光とか、イファナが空中に浮遊してるところとか、翼の生えた蛇みたいな生き物とか」

「う、うん。あのときの光景のほとんどが非現実的だったよ」

「たぶんだけど、あの生き物はこの世のものじゃない未知の力を使えたんだよ。それで、近くにいた俺たちはその力の影響を受けてしまった可能性があるんだ」

「俺たちってことは……もしかして、ライノも?」

 

 俺は寸分の迷いなく、最小限の魔力で「イバラ」を生み出し、フィンフィエに見せつけた。


「昨日の、この街に着く少し前にこれが……」

「な、なんかそれ、(とげ)があるみたいだけど、痛くないの?」

「大丈夫……だと思う」


 こうやってペラペラと(うそ)を並べ立てるのも、もうすっかり慣れてしまった。俺にシャムルおばさんを責める資格はない。


 フィンフィエはふたつの生成物を見比べるように視線を行ったり来たりさせたあと、首を(かし)げた。


「確かに、手から急に石とか植物とかが出てくるなんて普通じゃないよね……。えっと、さっきの、人に見せないほうがいいっていうのは……」

「あーそれは、悪人にもし知られでもしたら、よからぬことに利用されかねないだろうし、それに俺らからまた別の人に伝播(でんぱ)するかもしれないだろ」

「な、なるほど。……ライノはすごいね。私じゃあ、そこまで頭が回らなかったよ」


 フィンフィエには魔法はよくないものだと思ってもらわないと困る。少なくとも一緒に旅をしている限りは。畏敬の念などもってのほかだ。


「あ、待って!」


 フィンフィエがハッとした表情を見せる。


「じゃあ、あの蛇のすぐそばにいたイファナちゃんにも、私たちと同じようなことが起こってたのかな?」

「きっとそれだけじゃないよ。イファナの母親によれば、イファナは数日間ずっとあの蛇と一緒に過ごしてたらしいから」


 念のため、真実を織り交ぜておく。フィンフィエは基本人を疑わない性格をしているとはいえ、油断はできない。

 もう彼女の背中に貼りつけた嘘は、正面からでも視界に入るほどの広がりを見せているのだから。

 

 そんなよくも悪くも純粋なフィンフィエがクスッと笑った。


「やっぱり、ライノはイファナちゃんのことを信じてるんだね。あの窃盗にはなにか事情があったんだって」

「……うん。イファナはきっとよくないことに巻き込まれただけの被害者だと思ってる」

「そっか。じゃあ、早く見つけてあげないとだね」


 そう。イファナが加害者になる、その前に。

 

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