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第8話 オーバストール-5


 最後の力を振り絞って部屋のドアを閉める。

 あとはベッドが受け止めてくれることを信じて前のめりに倒れるだけ――。


「はあーーーー、疲れた……」


 惜しい。この足の痛みさえなければ、力がすーっと抜けていく気持ちよさを存分に味わえたというのに。


 フィンフィエとの約束を取りつけたあの日から3日後の今日、ラネイロノ森に行ってきた。


 本来なら1日でも早く調査に赴きたかったのだが、仕立て屋で見習いとして働いているフィンフィエの事情が関係して、待たざるを得なかったのだ。


 無理やり連れて行くのは後腐れが残るだろうし、なによりへたに()くと、またきょとんとした顔で理由を問われかねない。


 だから仕方ないと割り切り、2日間ただならぬ思いで爪を()む日々を受け入れた、だというのに――。


 意気込んで臨んだラネイロノ森の調査は、無念にも徒労に終わってしまった。今まさに眠気に向かって白旗を掲げているのもそのせい。


 強いて言うなら、収穫がないという収穫はあった。


 あー、あとはあれか……。フィンフィエも見たことがないと言っていた、尻尾と耳の体毛だけが赤いキツネを発見したことぐらいか。


 あのときは俺も一緒になって観察していたけれど、内心ではキツネの姿が度々ぼやけるくらいには冷め切っていた。


 やる気がなかったわけでも、覚悟が足りなかったわけでもない。やれることはやった。


 悪いのはラネイロノ森の、あの広大さ。それとフィンフィエも悪い。

 彼女が描いた絵地図には、3本の木の絵で森林が表されていた。あれのせいで俺は「大して広くない森なんだ」という先入観を持たされてしまったのだ。


 樹木が生い茂った(あふ)れんばかりの緑を目にした瞬間、思わずその場で頭を抱えたのを今でも(おぼ)えている。


 全域を調べ上げるのはほぼ不可能だ。


「んーーーー」


 どうしたものか……。


 闇雲に探索を続けて、成果の有無を神に委ねるのは論外。運が悪かったと嘆くくらいなら、森でさまよい死ぬほうがまだいい。


 そもそも有している「魔法が生まれたとされている場所」という情報があまりに漠然としすぎている。


 もしも、魔法は木の枝から生まれたとシャムルおばさんが言っていたとしたら、俺は放火も辞さなかったかもしれない。


 体をひっくり返して天井を見る。


「はあ…………」


 前途多難。日常に関する問題もある。原因不明の症状によって倒れたことは都合がよかったけれど、いつまでも周りが病人扱いしてくれるわけではない。


 俺が活発に行動すればするほど、ライノとしての日常をより広く演じなければならないのだ。


 自分の目で見たものとフィンフィエから聞いた話を合わせて現時点でわかっているのは、ライノの父親は革細工師で、この家の1階は革製品を扱う店舗になっていて、ライノはおよそ1年前から店番を主として働いていた、ということ。


 しかし、それらの知識や経験を持たない新人がここにぽつん。

 

 いっそ、いまだかつて誰も見たことのない大魚を追い求める釣り人になりたいと、鬼気迫る顔でライノの両親に訴え掛けてみようか。

 ライノの日常に適応するのが目的ではないのだから。

 

 考えがまとまらないのを眠気のせいにして目を(つぶ)る。


 明日、またラネイロノ森に行こう。道は覚えた。ひとりでも迷うことはない。


 おやすみ――賢い(・・)俺――――。


 ⭐︎


 次の日。

 フィンフィエと会うと(うそ)()いて家を出た。


 フィンフィエはよほど信頼されているのだろう、ライノの母親は場所すら訊いてこなかった。


 彼女の名前を出す直前までは、家の前に豪雨を降らせていたというのに。


 人様の親の気持ちはわからない。わかってはいけない。ライノの両親からしたら、()なんて極悪人でしかないのだから。


 方角はおそらく北西。

 オーバストールからラネイロノ森に向かうときは、フィンフィエに教えてもらった静かな場所を通って、街を出る。


 見送りは大木の葉が風で揺れる耳心地のいい音。


「――あっ」


 自身の喉の振動を感じ取ってから、意図せず声を発してしまったことに気づく。

 誘因は、一番近くにある木の根本。


「……はあ……せっかく場所変えたのに……」


 ふむ。どうやら俺は迷惑がられているみたいだ。

 

 両膝を立てて座り、その膝の上で本を広げた金髪の少女。

 名前は――そう、イファナ。


 彼女の存在は依然として俺の視線に懐疑を(はら)ませる。

 悪いが煙たがられているとしても、この胸のざわめきが落ち着くまでは接触を試みさせてもらう。


「ねえ、訊いてもいい?」

 

 無視。だが、少なくとも拒絶はされていないと勝手に解釈して、続ける。


「君の両親の髪色って、なに色?」

 

 無視――はできなかったようだ。ギョッとした目がその証拠。


「な、なんですか、急に」

「教えられない?」

「……そんなの、当たり前……」


 別にイファナの機嫌を取る必要はまったくない。もし殺人を躊躇(ためら)わない残虐な本性が隠れているのなら、苛立(いらだ)たせて引っ張り出すのもひとつの手だ。


「じゃあ、妹っている?」


 さすがに無視すると思った。不躾(ぶしつけ)な質問を繰り返している自覚はあったから。しかし、そんな予想に反して、彼女の口はおもむろに開いた。


「……いない、ですよ。……いたら、こんなとこに、ひとりでいない……」


 悲哀には同情を、破壊には恨みを。ぐちゃぐちゃに混ざり合った感情に吐き気を催す。


 その顔で、そんなかわいそうな表情をするのはやめてくれ。


 俺はイファナの隣に人ひとり分の間隔を空けて座った。理由は自分でもよくわからない。


「それって、動物誌?」


 そう訊くと、イファナは獣の絵を見つめたままやんわりと(うなず)いた。

 なんとなく、今のが突破口な気がしたので、すかさず問いを重ねる。


「動物が好きなの?」

 

 ついさっきページをめくったばかりのはずなのに、イファナはまためくる。


「…………好き、です。動物は……友だちになって、くれるから……」

「ふーん、そっか」


 彼女の苦しみはその大部分が表面化しているようで、助けてあげること自体難しくないように思える。


 ただ、そんな些末(さまつ)な哀れみの気持ちは、現在開かれているページの右下にある動物の絵によって、あっけなく消えた。


 俺は腕を伸ばして指を差す。


「俺、この耳と尻尾が赤いキツネ、見たことあるよ」

「えっ」

 

 頭に自然と浮かんできたものをポロッと漏らしただけに過ぎなかったが、彼女の関心をようやく引くことができた。


 とはいえ、赤い瞳に見つめられるという状況に関しては、まったくもって望んでいない。


「本当ですか……?」

「うん」

「ど、どこで……?」

「ラネイロノ森だけど」


 すると、イファナはひょいと立ち上がり、どこかへと歩きだした。

 まさか――。


「どこ行くの?」

「もちろん、ラネイロノ森です」

「ひとりじゃ危ないよ」

「…………大丈夫です」


 いったいなにを根拠に……。


 イファナという人物が俺にとって、利をもたらすのか、害を及ぼすのかは現時点では見当もつかない。

 無意味であったとしても、それはそれで構わない。


 ただ、いずれにせよ俺には箱の中身を(のぞ)く責任がある。後悔するその前に。


「――待って。俺も一緒に行くから」


 イファナは足を止めた。

 

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