第7話 オーバストール-4
「いいかい? ブーセ。その力は安易に人に見せてはいけないよ」
「――――?」
「ええ、ダメよ」
「――?」
「ふふ、ミノリルはついこのあいだ喋れるようになったばかりじゃない」
「――――」
「そうね。ほら、もう帰りなさい」
「――」
「――――――――ふあぁぁ、はあー」
久しぶりにシャムルおばさんの声を聞いたな……。
そのおかげか、やけに寝覚めがいい。
今は朝――じゃないな。
否応なしに日々耳に入ってきていた街の音でそう判断する。
フィンフィエとの約束はたしか昼過ぎだったはず。さっさと支度をして、昨日の場所に向かおう。
傾きつつある前向き思考に引っ張られるように、俺はすっと上半身を起こす。
「ん?」
なんだろう。肩甲骨のあいだ辺りに局所的な熱を感じる。
じっとしているときは看過できないけれど、なにかしらで心拍数を上げさえすれば忘れてしまう――そんな程度の熱。
頭を横に倒し、片方の肘を曲げて、触覚に調査を委ねる。
すると、肘の高さが脳天を超えたあたりで、ポコっと膨らんだ部分を見つけた。感触は、擦り傷によってできた痂皮のような。
熱の発生源はまずこの隆起とみていいだろう。
一瞬爪で引っかいてみようとしたが、その寸前で血だらけになった指が脳裏をよぎったため、大人しく腕を撤収させる。
――心当たりがないわけではなかった。
あれは、たしか9歳のときだ。家の前で遊んでいたところ、今とまったく同じ症状が現れ、そのときたまたま近くにいたシャムルおばさんに診てもらった憶えがある。
思えば、シャムルおばさんの地下室に初めて行ったのもその日だ。
――いや、それだけじゃない。「イバラ」が手中に顕現したのも、魔法という概念をシャムルおばさんに教えてもらったのも、それからすぐのことだったはず。
「まさか……」
俺はみぞおちの前で、右の手を開く。
あとは、肌を伝う水滴のような感覚に意識を向け続けるだけ――。
「はっ!?」
やっとの思いで動かせた歯車に亀裂が走る。手のひらから溢れるように生えてきたのは、慣れ親しんだ朽木色の植物だった。
なんで、どうして、「イバラ」が……。
驚きは、なにも「イバラ」そのものにだけではない。魔法による創造物が示しているのは、当然の如く魔法の存否だ。
なにか根本的に見誤っているのか……?
一度、魔法が惟識暦601年に生まれたという情報に疑いを掛けてみる。
もしかしたら、実際にはそれよりも前から魔法は存在していて、大衆に認知されたのがその601年だったのかもしれない。
――いや、でも待てよ。
シャムルおばさんは、魔法は魔法使いによってそれぞれ違う性質を持っていると言っていたはず。
なら、俺と「ライノ」の魔法がまったく同じというのがそもそもおかしい。
俺が「ライノ」の来世で、「ライノ」が俺の前世だからなのか……?
これらの疑念はしばらく晴れない気しかしない。なぜなら、魔法について教えてくれていたシャムルおばさんはもういないのだから。
こうなったら事を進めるほかない。慎重にではなく、早急に。
魔法が生まれたとされている場所――ラネイロノ森に行こう。
⭐︎
途中、街の人に何度か話し掛けられたが、なにひとつとして頭には入らなかった。
心の中で「邪魔するな」と呟いていたことだけは、かすかに憶えている。
体感10分。
この街で辿ったことのある道筋がひとつしかないおかげか、特段迷うことなく昨日フィンフィエと座って話した場所まで来られた。
耳が心地いい。どうやらここは時間帯を問わず、自然の声が優位に立っているみたいだ。
フィンフィエはまだいない。フィンフィエは。
つけたばかりの勢いはそう簡単には抑えられない。それがたとえ柄にもないことだとしても。
「なに読んでるの?」
そう言って話し掛けると、赤い瞳の少女はチラッと俺のことを見てから、ページをめくった。
「…………なにか用ですか?」
俺よりも幼く見える子どもなのに、もう酸いも甘いも知り尽くしたのかと思わせるような淡々とした口調。
正直苦手なタイプだ。
それにこうして見下ろすと、あの日、目に焼きついた魔女の顔立ちとよく似ているのがわかる。
もしこの子の髪色が白だったら、考えるよりも先に手が出ていたかもしれない。
「あーいや、ただ君と話をしてみたくって」
「……あなたはたしか、仕立て屋の女の子といつも一緒にいる人ですよね……」
仕立て屋の女の子? フィンフィエのことだろうか。
「えーっと、そう、かな」
「…………ごめんなさい、私、ああいう感じの人は苦手なんで断っておいてください」
「ん? なんの話?」
理解に苦しむ俺に与えられたのは、パタンッという本が閉じる音。
「……なんでもないです」
結果、初対面では到底計り知れないなにかを垣間見せてきて、「どうしてわからないの?」と理不尽に文句を言われたような気分になった。
――やっぱり苦手だ。
「ライノー!!」
後方から、助け舟もとい出し慣れていなそうな張り上げ声がした。
「呼んでますよ…………友達が」
「あ、うん」
いったんフィンフィエかどうかをこの目で確認し、そして体の向きを元に戻したときには、もう赤目の少女の姿はなかった。
「ふう、なに話してたの?」
やや息の荒いフィンフィエが訊いてくる。
「うーん、これといってなにも。ただちょっとあの子のことが気になってさ」
「……イファナちゃんってまだ10歳だったと思うけど……」
眉をひそめるフィンフィエ。明らかに誤解している。
「単に人として、だから。さすがに5つ下は対象外だよ」
「ふーーん」
「そんなことより、訊きたいことがあるんだけど」
「んーー?」
「ダメ、かな……?」
「……んふふ、いいよ。昨日のとこに座ろ」
……はあ。意外とめんどくさい一面もあるんだな。
深掘りしようとした相手にはかわされ、そのきっかけを作った人物の理解は勝手に進む。なかなか思いどおりにいかないものだ。
昨日とまったく変わらない風景。特に掛け声があったわけでもないのに、ふたり綺麗に揃って、石垣に腰を下ろした。
「で、訊きたいことってなあに?」
フィンフィエは俺の顔を覗き込むようにして言う。
対して俺は少しだけ体をのけ反らせた。
「この街周辺の地理って、わかる?」
「うん、わかるよ。ざっくりとだけどね。地面に描いてあげようか?」
「お願い」
俺の懇願を受け取ったフィンフィエは、膝を抱え、近くにあった小枝を拾い、ぽつぽつと呟きながら枝を走らせる。
都市や山脈、河川――。見る見るうちに、簡略化されたひとつひとつの絵が地図の一部となっていく。
そして、その中でも特に俺が注目したのは、角張ったからだに、もじゃもじゃ髪を生やしたものたちの絵。
「で、ここにはお花畑があってー」
「ごめん、ちょっといい? この木みたいなのが書かれてるところって……」
「ああ、そこはラネイロノ森って呼ばれてる場所だよ」
思わず笑みを浮かべそうになった。それは、はたから見れば不自然極まりない情動。
「ここから近い?」
「うーん、どうだろう。近くもなければ遠くもないって感じかな。それこそライノとも一緒に行ったことがあるんだけど、帰ってきた頃には足が痛いって言い合ってたよ」
いい。遠くないんならなんだっていい。
「行ってみたい」
「ええっ! ど、どうして?」
「え、えっと、なんとなく……」
理由を問われることすら予期できなくなっていた自分に驚き、反省する。
「んー、でも今は野生の動物たちが活発な時期だから危ないと思うよ」
「なら、フィンフィエは森の入り口で待ってるか、途中まで案内してくれるだけでいいからさ……」
俺が押しつけがましい提案をすると、フィンフィエがブンブンと首を横に振った。
「ううん。行くなら私も一緒に行く。ライノのママにライノのことを任されてるし」
ひとりで行って辿り着ける自信はない。とはいえ、彼女を危険な目に遭わせるのは違う。この齟齬はさして高い壁でもないはずだ。しばらく封印しておくと決めた力が俺にはあるのだから。
「じゃあ……フィンフィエは俺が守るから、案内をお願いしてもいい?」
反応がなかなか返ってこない。
こういうときは思いきって彼女の顔を覗き込んでみればいい。
ほら、首を前に倒した少女の口角が見るからに上がっているではないか。
「……いいよ。ずっと守っててくれるならね」
上目遣いに吐息交じりの声。俺もずるいけれど、フィンフィエも大概ずるいと思う。




