第29話 ニノーチェス-5
「ほんとにいいの!?」
「いいって」
「やっちゃうよお!?」
「早くしろ」
「えーいっ!」
ザクッ。脅威であった黒い魔鳥は、フィンフィエのナイフを持ったエアリスの手によって、その生涯を終えた。不思議と吐き気を催さない血溜まりがじわじわと広がっていく。
「なんか悪いことした気分」
「自分からやりたいって言ったんじゃん」
「違う違う。『やりたい』じゃなくて『やってあげる』だから」
あんま変わらん。
それはそうと、このカラスはいったいどうして急に力尽きたのだろうか。フィンフィエたちは、特になにもしていない、できなかったと言っていた。
推測として一番しっくりくるのは、体内にある魔力を使い果たしたから、というもの。
現にフィンフィエもその兆候を見せていた。
とはいえ、俺自身が魔法の使用をシャムルおばさんに制限されていたこともあって、魔力を枯らした経験が一度たりともないため断定はできない。
でも、この目で見た以上、よくよく肝に銘じておくべきだ。魔法の過剰使用は決してしてはならないと。重要な場面でああなったら、きっと死んでも死に切れないだろうから。
「ねえ、一応埋めてあげようよ」
だいぶ回復したようすのフィンフィエが俺の顔を見ながら提案する。
「まあ、確かに。このまま放置するのはよくないよな」
せめてもの憐れみだ。
「ん、ライノにい。向こうのほうの地面、草少ないから穴掘りやすそうだよ」
ナイフに付いた血を葉っぱで拭っているエアリスが横から助言してくる。
「俺が運べと?」
「当たり前じゃん。ウチ触りたくないし」
「……はあ」
俺だって嫌だよ。
――と思いつつも、魔鳥の足をつまんで持ち上げる。さも新米猟師かのように。
ポタポタと滴り落ちる血液で服を汚さないように気をつけながら、先を行くエアリスについていく。
腑に落ちる終わり方ではなかったとはいえ、これでようやく本来の目的に目を向けることができる。
まあ、この一件が徒労だったかと言われたらそうでもない。色々と収穫はあったわけだし。
――んっ、なんだこの臭い。
突如として鼻腔を突き抜けたのは、なんとも筆舌に尽くしがたい悪臭。まさかものの一瞬でこのカラスが――とはとても考えられない。ならこれはいったい……。
「エアリス、なんかこの辺臭くない?」
俺は前方にいる少女に声を掛けた。しかし、彼女は応えてくれない。突っ立ってただ一点を見つめている。
「おい、無視すん――あ……」
エアリスに追いついたと同時にゾッと背筋が凍った。カラスが手から滑り落ちる。でも、拾う気にはとてもなれない。
原因がなにであるのかを瞬時に把握できたのにもかかわらず、身体は絶えず苦しみ続ける。
見たことがあるから苦しいのか。見たことがあるからかろうじて堪えられているのか。それは一向にわからない。
木の根本。そこで仰向けになっていたのは老婆の死体。見たところかなり腐敗は進んでいて、当然虫という虫がこれでもかとたかっていた。
「どうしたの?」
遅れて近づいてきたフィンフィエ。
「止まって。えと……フィンフィエは見ないほうがいい、と思う」
「なにそれ。エアちゃんは見ていいのに私はダメなの?」
「いや、できれば誰も見ないほうがいいっていうか……」
「大丈夫だから、どいて?」
「……わかっ、た……」
トラウマになるかもしれないが、死にはしないだろう。なにより、俺と一緒に旅を続けるのならこういう光景に巡り合うのは時間の問題だったはずだ。
目の当たりにしたフィンフィエはきっとひどく取り乱す、そう俺は思って彼女を落ち着かせる心構えをしていた。
けれど、死体の前に立った彼女は至って冷静に見えた。
「エアちゃん、大丈夫?」
「う、うん。ちょっと衝撃的すぎて」
「知り合いだったりする?」
「うーん……見たことあるような、ないような……」
ふたりが思いのほか動じずに遺体を観察しているのを見て、俺ももう一度向き合わざるを得ない気持ちになる。
おそらくだが、死因はあの胸に惨たらしく空いた穴だろう。まるで一般的な男性の腕に貫かれたかのような大きさをしている。
それによくよく周りを見てみると、血がかなり遠くのほうまで飛び散っているのがわかる。
「さっきのカラスの被害者なのかな……?」
フィンフィエがぽつりと呟く。
なぜだろう、そんな気がしない。状況的には全然ありうることなのに。この穴の大きさに強い見覚えがあるからだろうか。
「うっ、ちょっと気持ち悪くなってきたかも……」
一番に音を上げたのはエアリスだった。フィンフィエがすかさず肩に手を回す。
「いったん離れよっか。ね、ライノ」
「あーっと、ごめん。先に行ってて」
「……わかった。なるべく早く来てね」
「うん」
森の出口のほうへと移動していくフィンフィエたち。
彼女がとどまる理由を訊いてこなかったのは、きっと俺の表情に好奇心などではない感情がはっきりと浮かんでいたからだろう。
とはいえ、確かめたいことはひとつだけ。遺体の脇下の辺り。服が不自然に黒くなっている部分が気になる。
俺は手で鼻をつまみながら、躊躇なく老婆の服をめくった。
――やはりか。思ったとおりだ。これは魔鳥がやったんじゃない。
横腹についている火傷の痕。その形は少し前に見たあのキツネのマークに酷似していた。
無慈悲に人を殺す魔女という存在。憶えのある殺害方法。白髪の少女が目撃された場所に残されていたキツネの印。
イファナだ。きっとイファナが魔法で殺したんだ。
ここまで出揃ったら確証がないというのは些末な問題とも言えるだろう。
イファナがなぜ人を殺すのか、なぜ転々と移動を続けているのかはわからない。けれど、ひとつ確かなのは、あの廃れた町からニノーチェスときたら、次は間違いなく王都ラーディックロックに向かう可能性が高いということだ。
俺は老婆の遺体も、カラスの死骸も、気を抜けばつい腰を下ろしてしまうほどの疲労感も置き去りにして、フィンフィエたちのあとを急いで追った。
⭐︎
翌日の朝。
この街でイファナの目撃情報は得られなかったものの、俺は一切下を向かずに出発の準備を進めていた。
森で亡くなっていたあの老婆は、なんでも数日前から行方がわからなくなっていたニノーチェスの住民だったらしく、その上とても事故死とは思えない遺体の状況だったため、街はそこそこの騒ぎとなっていた。
しかしながら、その犯人についての情報も、街に飛来する「水の塊」の件を片づけたことも、包み隠さず話すわけにはいかないので、こうして逃げるように身支度を急いでいる。
「でしょでしょ。これウチの一張羅なんだあ」
……はあ。どうやらひとりの小娘からは逃げられなかったみたいだ。まだ太陽がかわいい早朝にしたのはそのためでもあったのに。
俺はフィンフィエと話しているエアリスに向かって手招きをする。すると、すぐにニコニコしながら近寄ってきた。
「なあに?」
「ついてくる理由は?」
「そりゃあもちろん旅がしたい――じゃなくて、フィンねえとライノにいのことが大好きだからだよっ」
唐突に顎を引いて上目遣いをしてくるエアリス。だが残念、俺にそんなのは効かない。
「ダメ」
「じゃあ復讐」
「は? なんの?」
復讐という言葉が軽々しく発せられたことに内心イラッとしてしまう。
「ほら、あのおばあさんのだよ」
「でも面識はなかったんだろ?」
「そうだけどさ、同じニノーチェスの住民として許せないよ。それに昨日の夜聞いたけど、ライノにいたちが捜してるイファナって女の子が関係してるかもなんでしょ?」
ん? 昨日の夜……?
「待って。日が落ちる前に宿屋の前で別れたはずだよな?」
「へへへ。実はウチも一緒に寝てたって言ったら驚く?」
「……キモ」
どうりで途中で目が覚めたとき、やけに狭く感じたわけだ。
「それはそれとして、ウチが同行する動機としては十分でしょ?」
「ああ、お前が本当にあの老婆のためを想ってるならな」
「お、想ってるよ! 言っとくけど、ウチってすんごく人情に厚いんだからねっ」
まあ、それは否定しないけど……。
ふとフィンフィエのようすをチラッと見る。彼女は見守るような笑顔で俺らの会話をただ聴いていた。
――――ここまでか。
エアリスの魔法が日常的なことから危機的状況において潤滑油となりうるのはもう言うまでもないだろう。ここまで渋っているのだって、正直仲間にいたら心強いと思っていることを悟られたくないからだ。
それにエアリスが加われば、清く澄み切った恋情に当てられ、受け入れ、快楽と安泰に浸ろうとする自分をうんと遠ざけられるのかもしれない。
……今のところは逆効果な気もするけれど。
俺は小さなため息を吐いてから、大きな決断を下した。
「……死んでも知らないからな」
「うんっ! あ、でもある程度は守ってよねっ」
「はいは……」
俺の返答を待たずしてフィンフィエのもとに駆け寄っていったエアリス。
――これからはなにかと疲れる旅になりそうだ……。




