第28話 ニノーチェス-4
足を挫いた行商人をいったん森の外へと送り届けたあと、元いた場所まで戻ってきた。
当の本人がもうひとりで大丈夫だと言うのだから、ニノーチェスまで付き添う必要はないだろう。と、珍しくも俺とエアリスの意見は一致した。2対1だ。ごめんフィンフィエ。
そんなことよりも、だ。またもやシャムルおばさんに教えてもらったある知識が念頭に浮かんできている。
俺自身はまだ見たことはないが、なんでも魔法を使うのは人間だけではないらしい。ある程度の大きさを持った生き物なら基本的には例外なく可能性があると。
魔物やら、魔獣やら――今回の場合は魔鳥と呼ぶべきか。
また、今の俺ならこの知識を授かった当時とは少し違った見方ができる。魔法使いという存在の誕生が未知の虫に寄生されたことによるのなら、ほかの生き物が宿主に選ばれたとしてもさして不思議ではない。
でも、そうしたらなぜ人間のほうが圧倒的に多いのだろうか。単に生命力が高そうな個体を選り抜いているとかか?
「ライノにい、なんで下ばかり見てるの?」
唐突に背後から掛けられた疑問の声で、俺はハッとする。
「え?」
「え、じゃないよ。警戒すべきはカラスなんだよ。だから、上のほうを見ないとでしょ」
「ああ、ごめん。考え事してた」
「えーしっかりしてよー。あ、フィンねえそこ根っこあるから気をつけて」
エアリスはさておき、フィンフィエの状況の呑み込みの早さは異常だった。きっと、奇怪な現象を幾度となく目にしたことで、ちょっとやそっとでは驚かなくなったのだろう。
まさか「水の塊」を飛ばすカラスがいるだなんてありえないよ――そんな油断を排する言葉を一応は考えていたというのに。
おっと、いけないいけない。また足元を見てた。 上のほうを、っと――
「あっ」
思わず漏れた声。それは黒い野鳥との遭遇があまりにも突然だったから。
大木の主枝に止まってこちらを見下ろしているそれは、一見はただのカラス。体も特別大きいわけではない。
そして肝心の鳴き声のほうは――
「ガアアーガアアーガアアー」
まずい。明らかに威嚇してきている。まさか縄張りに入ってしまったのか。仮にあれが魔鳥であろうがなかろうが、いったんは距離を取らないと。
しかし、そんな猶予はなかった。すぐさまカラスの姿がよく見えなくなる。視界いっぱいの透徹の水がそうさせた。
俺は咄嗟に背後にいるふたりの少女を腕で巻き込むようにして抱きしめた。直後、重々しい衝撃音が響く。
――――――い、生きてる。痛みも、ない。
「大丈夫だから、目、開けて?」
耳元で発せられたささやき声はフィンフィエのもの。
とても落ち着いている。俺の心臓の鼓動と違って。
俺は言われたとおりにゆっくりとまぶたを持ち上げる。すると、すぐに全身のこわばりが解ける。自ら遮断した情報を更新するのはそう難しくなかった。
俺ら3人を丸々覆っている半球状の黒い石。これは間違いなくフィンフィエの魔法だ。
途端に惨めな気持ちに襲われ、俺は腕をすっと引っ込めた。
「あ、ありがとうフィンフィエ」
「ふふ。すごいでしょ?」
「うん、助かったよ」
正直フィンフィエの魔法の成長速度には驚かされる。少し前までは円盤状に広げるのがやっとだったはずなのに。
まさか、こそこそ俺の目を盗んで練習しているのか……?
まあ、それ自体は咎めることではないからいいけれども。
しばし遅れて、エアリスが冷ややかな視線を向けてきていることに気づく。
「あのさライノにい、守ろうとしてくれたのは嬉しいけど、今のは悪手だよ。あのカラスが飛ばしてきた『水』には家を半壊させるほどの威力があるってわかってたでしょ? むやみに庇ったところで、まとめてぐちゃぐちゃにされるだけだから」
反論の余地のない正論をぶつけられ、いっそう惨めになる。
「……ごめん。咄嗟のことで頭が回らなかったんだ」
それと、この件に魔法が絡んでいると推測しつつも、敵はしょせん鳥だから、と気を抜いていたのもよくなかった。危険であることには変わりないというのに。
俺の本心からの謝罪を受けたエアリスがフッと笑う。
「今は落ち込んでる場合じゃないよ」
……それもそうか。反省はあのカラスを焼き鳥にしてからでも遅くはない。
「ら、ライノ……」
服を引っ張られる感覚とともに聞こえた弱々しいフィンフィエの声。気づけば、彼女の額には少量の汗が滲み出ていた。
「どうしたの!?」
「これ……維持するの、結構きつい、かも……」
「うん、もう大丈夫だからいいよ。ありがとう」
俺が再びお礼を言うと、すぐにフィンフィエの魔法が霧散した。
そして、またやかましいカラスの鳴き声が耳に障る。しかももう1匹のものではない。すでに仲間がわらわらと集まってきていて、どうにも聞くに堪えない合唱が響いている。
普通のカラスと魔鳥とでは見た目に差異はほとんどない。ひとたび飛び立たれでもしたら、まず見分けがつかなくなってしまうだろう。
それならば――
「エアリス、悪いけどフィンフィエのこと看ててもらってもいい?」
「もち。ちゃちゃっとやっつけてきちゃって」
「うん」
あの1回で相当量の魔力を消費したのか、フィンフィエはすっかり憔悴した顔つきになっていた。
でも、エアリスがそばにいてくれれば、たとえ魔法が飛んできたとしても、なんとかはなるだろう。
前を向く寸前でフィンフィエが視線を送ってきた。
「ライノ、気をつけて……」
「ああ、わかってる」
ふと下を見る。フィンフィエの魔法によって跳ね返された「水」は、ごっそりと地面を抉り取っていた。まともに当たったら即死も十分ありうる。
――だったら、1発で仕留めればいいだけだ。
今回は速度が最重要であるため、魔力は分散させない。研ぎ澄まされた1本の槍を目にも留まらぬ速さで飛ばすようなイメージで。
柄にもなく心の内で叫ぶ。
――行けっ!!
電光石火。初めて耳にする「イバラ」が風を切る音。思わず目を見開いてしまうほど驚いた。自分の今の力量に。そして、あっけなく避けられてしまった事実に。
魔鳥1匹の羽ばたきを皮切りに森がバサバサと騒がしくなる。
ただ、幸いにも魔鳥はそのまま飛んで逃げるわけではなく、すぐ近くの別の木に移るだけだった。
「ガアッガアッ」
ヤツは俺らを徹底的に排除しようとしている――間髪入れずに生成された「水」がそれを物語っていた。
先ほどとは少し様相が違う。ひと塊の「水」が次第に無数の粒となって――。
俺は身を翻しながら声を張り上げる。
「エアリスっ!!」
それは助けを求めるためではなく、警鐘を鳴らすため。
しかし、彼女たちの反応を視認することは不可能だった。当然だ。薄灰色の煙はもうすぐ目の前まで迫ってきていたのだから。
想像以上に高いエアリスの危機察知能力に俺はそのまま抵抗を示すことなく呑み込まれる。
感覚で、立った状態から遷移の過程なく仰向けの状態へと変化したことには気づくが、脳はどうしても混乱してしまう。
そして、この覚えのある流れから来る重み。もう決めつけたっていいだろう。覆いかぶさっているのはフィンフィエだ。
よって俺は煙が晴れる前に優しく言う。
「どいて……」
「あっ、ごめん」
この悪ふざけはともかく、フィンフィエが無事でよかった。あとは――
「ぎゃー死ぬかと思ったー!」
視界が開けてきたあたりで、カラスの鳴き声がするほうからエアリスが駆け寄ってきた。
「なんで前線に残ったんだよ」
「あー、言ってなかったけど、この煙、自分の位置は変えられないんだよねー」
思わぬ告白。
「そういうのは早く言えよ。あと、いちいちフィンフィエとくっつけんな」
「ごめんごめん。咄嗟のことで頭が回らなかったよー」
こいつ……。
「もうわかった。ふたりはもっと後ろのほうで隠れてて。俺もそっちのほうがやりやすいからさ」
「……避けられたくせに」
ぼそっと癪に触ることを言うエアリス。
「さっきのはちょっと距離があっただけだから。次は絶対いけるって」
「はいはい。死なないでねー」
「ガアア!!」
心臓がビクンッと跳ね上がる。低空の滑空。急接近による思考の急停止。恐怖。視界を埋め尽くした煌びやかな液体に自分の顔が映る。
誰も、なにもできるわけがない。終わった――――。
――ドサッ。
「…………えっ……?」
いったいぜんたいどういうことなのか、飛ぶ鳥はひとりでに落ち、そして動かなくなった。




