第27話 ニノーチェス-3
森にはいい思い出がない。あるのは深く刻み込まれた悔恨だけ。
まあ、だからといって樹木の密集地であれば、総じて嫌悪感を抱くというわけでもないが。
こうして気が進まないのは、骨折り損でしかない回り道を強いられているからだ。
ニノーチェスから西にある森の少し手前。俺らはそこに設けられていた簡素なテントが目に入り、ひとまずは立ち寄ってみることにした。
「おっ、エアリスじゃねえか。なんか久しぶりに見たなあ」
イノシシ1匹にさえも苦戦しそうなくらい粗末な装備を身につけた男が朗らかな笑みとともに言う。
「ああ、ええと……誰だっけ?」
「おま、忘れんなよ。俺俺、イリヤだよ」
「あーね。酔っ払ってないとこあんま見ないからわかんなかったよ」
男は「じゃあ仕方ねえかー」と返し、さも褒められたかのように後頭部をさする。そのようすを見てか苦笑いを浮かべるエアリス。
もしかしたらああいう能天気系が苦手なのかもしれないな。まあ、どうでもいいことだけれど。
「ってか、ここでなにしてんだ? 今、森に近づいちゃダメなことは当然知ってんだろ?」
「あーうん。実はそのことでようすを見に来たの」
「おいおい、まーた危ないことに首を突っ込もうとしてんのか? 怒られても知らねえぞ」
「だからまだ様子見だってば。で、今はどんな状況なの?」
ジト目のエアリスが半ば強引に話の脱線を阻止する。俺としてもありがたい。
「はあ、俺から聞いたって言うなよ。現状は多少のケガ人が出たから一時撤退中。吉報を待つ街の人たちには申し訳ないが、調査再開の目処はしばらく立ちそうにないな」
「誰にやられたのかはわかってるの?」
「あーそこが問題でよお。『森の主を見た』だとか、『犯人はカラスだ』とか、『何十年も前に絶滅した部族の生き残りの可能性が高い』だとか……情報が錯綜しまくってて困ってるんだよ」
なるほど。そうなるのも無理はないよな。彼らは魔法使いの存在を知らないわけなんだし。
「ふーん、ありがと。だいたいわかったよ」
「一応言っておくけど、森には行かせはしねえからな」
「はいはい、大人しく帰りますよーだ。行こっふたりとも」
エアリスはフィンフィエの手を握り、来た道を引き返す――かと思いきや、彼女の足は支えている小柄な体を回転させるために使われた。
「あ、そうそう。ウチ、この人たちと旅をすることにしたから。だから、この街のことはよろしくねー」
そして彼女は歩き始めた。イリヤという男の反応をほとんど見ずに。
こいつ、勝手に話を進めて拒みづらくしようとしてんな……。
⭐︎
エアリスの性格からして当然諦めるわけもなく、俺らは弧を描くように遠回りをして森の入り口の前まで来た。
「なんか、色々思い出すね……」
フィンフィエがぽつりと呟く。
「そうだね……。ねえ、あの日の俺ってさ、フィンフィエから見てどうだった……?」
訊くまでもないこと。でも、向き合い忘れていた気がふとしたため、口から出た。
「それはもうすんごーく慌ててたに尽きるよ。顔もなんか怖かったし」
「……そっか」
状況が状況だったとはいえ、あれほどまで取り乱すのは愚行以外のなにものでもなかった。今生きているのきっと彼女のおかげだ。
――なら、ちゃんと言葉にして伝えておかないと。
「……ありがとね」
「ん? なんのお礼?」
「その……そばにいてくれて。フィンフィエがいなかったらさ、今頃俺は死んでたと思うから」
そう照れくささをうっかり漏らしながら言うと、背の高い樹木を見上げていたフィンフィエがふふっと笑った。
「どういたしまして。これからも絶対に死なせたりしないから安心してて」
まるで言うことを聞かない俺の表情筋が勝手に頬を緩ませる。ただ、それに呼応するようにフィンフィエの口角がまた動いた。
芽を出した花をなにもせずともそのままの状態で保存しておけるのならそれが最善だ。わざわざ水をやる必要も、生育環境を気にする必要もない。最低限、害虫にさえ注意を払っていれば十分だ。
「――ちょっとおふたりさん」
忘れた頃にエアリスが割り込んできた。物理的にも。
「ついてきてなくてびっくりしたんだけど! もうっ、どうせ昨日散々イチャイチャしたんでしょ。なら、今くらいはあとにしてよね」
「イチャイチャなんてしてないよっ!」
フィンフィエがきっぱりと否定する。客観的に振り返ると、とてもそうは思えないけれども。
「もお、まるでウチが邪魔者みたいじゃん」
うん、まさしくそのとおり。
「ごめんごめん。ほら、手繋いでいいから」
「それ、フィンねえが繋ぎたいだけでしょ。……まあ繋ぐけどさ」
ふて腐れた表情を浮かべているわりに、フィンフィエの手をぎゅっと握り締めるエアリス。まごうことなき子ども。もっと言うならくそガキだ。
「ライノにい、先頭歩いてー」
「は? なんで?」
「うーわ。こういうときは普通男が先導するもんでしょ。それともなに? ウチらみたいなか弱い美少女の背中に隠れてたいの?」
「いやいや、フィンフィエはともかく、エアリスはか弱くねえだろ」
すごく暴力的だし。
「あーはいはい。口じゃなくて足を動かしてねー」
「足場が悪いところで急に押したりすんなよ?」
「しないしない、ほら進んで!」
俺は渋々前を歩く。いちいち遅いだの、速すぎるだの言われない程度の速度で。
ラネイロノ森ほど広大ではないとはいえ、まさかまたあてもなく森の中を探し回る羽目になるとは。仮に頭頂部から苗木がぴょこっと生えてきたとしても、大きくは驚かないかもしれない。
光合成ができるようになるまであとちょっと。
そんな自分でも訳のわからないことを考えてしまうくらい身が入っていなかったが、その反面、意外にもあっさりと神はほほ笑んだ。
人だ。木の根本に身を縮こませて座っている、おそらくは男。運よくこちらに背中を向けているため、俺たちの存在にはまだ気づいていない。
「ねえーライノにいー、今フィンねえのお腹鳴ったー!」
「ちょっとっ!」
ああ最悪だ。
ただ、俺が直感で怪しいと睨んだ人物は一切逃げるような素振りを見せなかった。
どちらかというと、自分と同じように隠れろと言わんばかりの仕草をする。
「おいお前ら気をつけろ。や、やべえカラスがいんぞ」
声を抑えつつも、彼は緊迫した表情で知らせてくる。
――カラス。耳にするのは本日2回目。
ふむふむ、そうかそうか。もしかしたらこの一件で、そこそこ気になっていた「アレ」を見られるのかもしれない。
ほんの少しだけ、やる気が湧いた。




