第26話 ニノーチェス-2
満月の夜。
とりあえず今日は必要な物資を買い足すだけして、あとは宿屋で旅の疲れを癒やすことにした。
一応何人かに、白髪の少女を見掛けなかったかどうかを訊くには訊いてみたが、結果として首を縦に振る動作を目にすることはできなかった。
たかが半日だ。いちいち気落ちしたりはしない。
それと、意外にもエアリスとは最初に別れたっきり一度も会うことはなかった。
きっと彼女にもそれなりの居場所がちゃんとあるのだろう。いいね。ぜひともそのままのうのうと暮らしていてほしいものだ。
「ねえライノ。明日どうする?」
同じベッドで横になっているフィンフィエの声が背中のほうからした。灯りはまだ消して間もない。
「ん? 例の如く聞き込みをするつもりだけど……」
俺は壁を見ながらそう答える。
「違うよ、さっきもちょっと話したじゃん。『水の塊』がどうとかってやつ」
ああ、その話か。たしか「私たちなら解決してあげられるかもよ」とかなんとか飯を食べているときにフィンフィエは言っていた。やはり適当に流すだけではダメだったか。
「んー、わざわざ渦中に飛び込む必要はないでしょ」
「それはそうだけど……でも、見て見ぬふりもできないよ。だってここってエアちゃんの故郷なんだよ?」
「じゃあ、ここがエアリスの故郷じゃなかったら助けなかったの?」
「……もお、意地悪」
言い返しはしない。自覚はあるから。あと、すごく眠いから。
悪人は皆滅びるべきだと思ってはいる。ただ、胸を張って善人とは言いづらい者が自分とは関係のない悪を対処するとなると、どうしても別の感情がもうひとつ必要になる。
傍観者から踏み出す一歩目というのはいつなんどきだって重いものだ。
後ろから布の擦れる音。諦めて寝るのか――と思いきや、背中が妙にくすぐったくなった。
わざわざ閉じたまぶたを持ち上げずとも、フィンフィエが指を這わせてきているとわかる。
「やめて」
まじめ寄りの声で俺は窘める。
「なんて書いてると思う?」
「――――はあ……意地悪、でしょ」
「ふふ、正解」
正しい答えを出したのにもかかわらず、フィンフィエの指は止まらない。俺が答えるのをやめてもなお。
背中を這う微弱な刺激に意識が向けば向くほど、目が冴えていく。
飽きるのを待つか、それとも語気を強めて注意するか。いや、単純になぞれる場所を取り上げてしまえばいい。
俺はフィンフィエのほうにゆっくりと寝返りを打つ。
思いのほか顔が近くて、残っていた眠気が一瞬にして吹き飛んでしまったけれど、それを悟られるわけにはいかない。こんなに神経を使ってする半目は初めてだ。
「えっ、ど、どうしてこっちを向くの……?」
俺は口をつぐんだまま、目を泳がせているフィンフィエの頬っぺたを2本の指で挟んだ。
「むぅ、あーに?」
「寝られないから離れて」
「うぉかったうぉかった、うぉなれるよぉ」
と言うものの、頭ひとつ分しか後退してくれないフィンフィエ。そして、どういうわけかそのままじっとこちらを見つめてくる。
対する俺の視線はなぜか雁字搦め。逸らしたくても逸らせない。
室内は薄暗いのにもかかわらず、彼女の目元がとろんとしているのがわかってしまったがゆえ、正直な身体がとても人には見せられない場所で静かに声を上げた。これは至近距離で見ていいものではない。
「……ねえ、ライノ……」
「……ん……?」
彼女の言葉は当の本人が唇を巻き込んだせいで続かない。
ほんの少し欲を出せば独占できてしまいそうな幸せ。それがあまりにも魅力的に映る。さっきからずっと後悔する気がしてならないというのに。
――――――でも、1回だけなら…………。
気づけばせっかく広がった間隔は縮まっていて、気づけば右手が毛布から抜け出していて、気づけば目の前の少女がかわいくてかわいくて仕方なく思えていた。
そして、グッと抑えつけた反動で理性が吹っ飛ぶ寸前、フィンフィエが口を開いた。
「やっぱなんでもない……」
「なにそれ、気になってもっと寝られなくなるじゃん」
いや……それでいい。この肩透かし感がどうかしていた自分に絶妙に効く。
「違うのっ、おやすみって言いたかっただけ」
「火を消すときに言ってたよ?」
「あー! うるさいうるさい。早く寝てっ」
「邪魔してきたのはそっちだろ……」
俺は再び寝姿勢を変える。フィンフィエと比べると、目線の先にある壁がとてもとても不細工に見える。けれど、どこか安心する。
思考を放棄する前に今一度刻みつけておいたほうがいいだろう。フィンフィエの視界に映っているのは、俺ではなく「ライノ」であることを――。
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――――――ん……話し声がする…………女どもの。
なんて寝覚めの悪い朝なんだ。いったん二度寝をして状況が一転していることを祈ったっていい。いや、まだこの目で見るまでは――。
俺は上体を起こし、現実と向き合う。ああ、残酷だ。
「あっフィンねえ、起きたよ」
あまり嬉しくないほうの少女が歩み寄ってくる。
「ライノにいおはよー」
「……なんでいるんだよ」
小首を傾げるエアリス。
「なんでって、そんなの会いたいからに決まってるじゃん。あ、もちろんフィンねえにね」
「……あっそ」
寝起きでこいつの相手をするのはなかなかにきつい。朝食はさっぱりとしたものにしておこう。
「ねね、頭をすっきりさせてあげようか?」
「いやいい」
俺の目が開き切らないのは眠いからじゃない。お前が朝からうるさいせいで、身体が自然と現実逃避をしているだけだ。
「もうっ仕方ないなあー」
どうやら拒否権は元よりなかったみたい。
「あのねあのね、ウチがこの部屋に来たとき、ライノにい、寝てるフィンねえの胸に顔をうずめてたよ」
「えっ……ほんとに?」
「うっそーん!」
俺はなにも言わずにベッドから降り、フィンフィエのもとに逃げる。ふう、危うく手が出るところだった。
「おはよう。はい、これお水」
「ありがとう」
打って変わってフィンフィエは毎朝そばにいてほしい安心感がある。16歳と13歳でこうも違うのか。
すると、そんなオアシスもといフィンフィエが肩をツンツンと優しくつついてきた。
「ん? どした?」
「……エアちゃんが言ってたことね……実は……ほんとなの……」
「え……あ、えっと……ごめん」
「ううん、同じベッドで寝てるんだし仕方ないよ……」
次第に顔が熱くなり、そして当然のように気まずい空気が流れる。俺はどうにも耐えられず、苦虫を噛み潰す思いで踵を返した。
――ベッドに座ってニヤついているエアリスのもとへ。
「お前、謀ったな」
「んー? なんのことー?」
くそ。俺にも非があるからこれ以上は責められない。
「そんなことより、早く準備して行くよ」
「は? 行くってどこに?」
「決まってんじゃん。森にいる悪者を退治しに、だよっ!」
ああ、やっぱりか。なんとなく、エアリスの顔を見た瞬間からこうなる予感はしていた。
………………はあ、とっとと終わらせるしかないか。




