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第16話 パネアドノ-3


 小さな鍛冶(かじ)屋から出ると、すぐに赤毛の少女と目が合った。


「いいナイフは買えた?」

「うん、丈夫そうなやつを選んだよ。フィンフィエのほうは?」

「はい、これ」


 フィンフィエから手渡されたのは、1枚の羊皮紙。よく見なくても、それが地形や都市名が詳細に記された地図だとわかった。


 品質は、文句なしの出来栄え。いつぞやのフィンフィエが地面に描いてくれたものとの差は歴然だ。

 まあ、あれはあれでかわいらしかったけれども。


「ナイフはフィンフィエが持ってて」

「え、私が持つの?」

「うん。フィンフィエのほうが手先が器用だし、なにより護身用としてフィンフィエに持っててほしいんだよね」


 と、いかにも妥当な理由でシースに入った刃物を渡したところ、なぜかフィンフィエは眉根を寄せた。


 ――あ、そうか。「護身用」は余計か。


 ナイフの所持が護身用のためだと明言してしまうと、「任せた」というより「1本しかないから仕方なく譲った」と取られてもおかしくはない。利他の心があるフィンフィエならなおのこと。


 とはいえ、危機的状況に(ひん)したとき、俺の魔法は殲滅(せんめつ)能力も拘束能力も申し分ないため、取り急いで武器を携帯する必要がないと思ったがゆえの判断だったのだけれど。


 説得は(はな)から諦め、フィンフィエの粘り強い異議申し立てが始まる前に、さっさと宿に戻ろうとしたそのとき――俺は脊髄反射を強いられた。


 回避は不可能。あっけなく衝突。勢いよく尻餅をついた。


「いって……」


 俺は向きを変えただけ。悪いのは絶対に向こうだ。


 状況把握に(ふん)した謝罪の言葉を欲する視線を送る。対象は、前屈(まえかが)みになった図体の大きい男。


 ただ、ようすが変だ。互いに目を合わせているのにもかかわらず、男はまったく俺を見ていない(・・・・・)


「す、すまねえ。誰か、俺と、ぶつかっちまったか……?」


 それらの言動で、おおよその事情を察した。


「あ、はい。ええと、もしかして目が見えないんですか?」

「いや……わかんねえ。急に視界が真っ暗になってよお――あっ! も、戻ったわ」


 ん、なにを言ってるんだこいつは。


「たぶんですけど、疲労によるものでは……?」

「ああ、そうかもしれん。少年、悪かったな。ケガしてねえか?」


 俺は差し伸べられたたくましい手を(つか)んで立ち上がる。

 

「はい、大丈夫です。じゃあ俺はこれで」


 あいにく見ず知らずの男の体調を気遣って、どことも知らない家に送ってあげるほど、俺は優しくもないし、余裕もない。


 親切なフィンフィエがお節介を焼かないといいけど……って、あれ? フィンフィエがいない。


 すぐに辺りを見回す。けれど、目に入るのはどうでもいい人ばかり。街の活気が途端に鬱陶しく感じる。

 

 フィンフィエがなにも言わずに俺から離れるなんてことが今まで一度もなかったからこそ、首を左右に何度もねじる。


 すると、一瞬、少し先の曲がり角に消えていく赤い髪の毛が見えた――気がした。

 

 もしあれがフィンフィエなら勝手な行動は厳禁だと叱らないといけない。それを伝えるためにはまず彼女に追いつかないといけない。だから、俺は迷いなく風を切った。


 人混みの間隙を縫い、フィンフィエが消えた角を曲がり、あとは道行く人々に「赤い髪の少女を見ませんでしたか?」と尋ね、指し示された人差し指に従って進んでいく。


「――ああ、危うくぶつかるところだったよ……ったく」

「――あっちに走っていったのを見たわよ」

「――おう。そこの路地に入ってったぞ」


 なぜか走っているフィンフィエ。大丈夫。彼女は体力こそそれなりにあるものの、足はさして速くなかったはずだ。このまま同じ道を駆けていられれば、いずれ追いつける。


 そして、ちょうど日当たりが悪い路地の丁字路に差し掛かったそのとき、重たいなにかが勢いよく水の中に落ちたような音と、それに伴って起こった水しぶきが水面を打つような音が聞こえた。

 

 近い。右だ。


 今の音がフィンフィエと関係しているのかどうかはわからない。でも、なんとなく、無視はできなかった。


 右の道を少し進むと、再び直射日光の下にさらされる。広がった視界の大部分を占めたのは、小船が穏やかに行き交う水路。


 さすがに水の上は走れないので、足を止める。また右か、左かの二者択一。


 と、小舟に乗った人らが一様に同じ場所を凝視していることに気づく。


 俺のすぐ目の前の、気泡によって白く見えるようになった水面に――。


「ぶはっ! げほっげほっげほっ」

「フィンフィエ!?」


 水中から顔を出したのは紛れもなく俺が捜していた人。まさか身勝手な行動の果てが水路に落下することだなんて。


 あと、いくらパネアドノの住民しか通らなそうな場所とはいえ、柵のひとつも設けないのはどうかと思う。


 俺はそんな感想を抱きつつ、膝を突いて腕を伸ばした。


「ほら! 掴まって!」


 鼻から海水を飲んでしまったのか、苦しそうに()き込み続けるフィンフィエが俺の手にしがみつく。

 

 ぐぬぬぬぬ。こりゃあ大物だ……めちゃくちゃ重い……。痩せてるほうなのに、なんでこんな重いんだ……あっ、服が水を吸ってるからか。危ない危ない。危うく口に出すところだった……。


 配慮ゆえの澄まし顔を保てていられたかどうかは若干怪しいが、それでもなんとかフィンフィエを引き上げることはできた。


「げほっげほっげぼっ……はあ、はあ、はあ……」

「えーっと、大丈夫?」

「ライノ……わ、私はいいから……早く……」


 フィンフィエが水路に架かった弧形の石橋のほうを指差した。


「……地図……取り返さないと……」


 ハッとした。ない。手に持っていたはずの地図が。


 いったいいつから……いや、今はそんなことどうだっていい。「取り返す」ってことは()ったヤツがいるってことだ。


 石橋の真ん中。目が合う――欄干に片肘を突いて、薄ら笑いを浮かべている小太りの少年と。


「あのデブ?」

「そう、あの……人」

「安心して。すぐに取り返してくるから」


 フィンフィエのドジを嘲笑っているだけなら見逃してあげてもいい。だが、もしも水路に落ちたのがあのデブの仕業だとするのなら、迷わず、そして徹底的に(きゅう)を据えてやらねばならない。


 まだなにか言いたげだったフィンフィエを尻目に、俺は結果の見え透いた肥満体型との追いかけっこを始めた。

 

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