第11話
教室を出て、教室に戻ってきている人達の波に逆らって目的の教室に向かって廊下を歩きだす。
次の授業は私達がいつもいる教室とは別の特別教室が連なっている棟にある。
移動するついでにチラッと環樺の教室を一瞬だけ確認してみるが、席の問題で死角になっているのかどこかに行っているのか分からないけど姿は見えずに少しだけがっかりする。
一人で歩いていると周りの人の会話がよく聞こえてくる。もちろん意識的に盗み聞きをしているわけではないんだけど。
食堂のご飯のあれこれが美味しかったねという話だったり、次の授業が昼休み明けにすぐ体育なのがキツイという話だったりが大きい声で話しているのが聞こえてきたり、それこそ気になる人ができたなんていうような話を小声で話しているのもすれ違った時に一瞬だけ聞こえてしまったり。
ご飯美味しそうでいいね、ご飯食べた後にすぐ体育はやだなぁ、といったものなど。
聞こえちゃってごめんね、と聞こえてくる会話に勝手に自分の中で相づちを打ってみたりしながら気分転換をしてみる。
階段を一階分上がり、渡り廊下に差し掛かると少しずつ人が減ってくる。お昼休みは目的がある人じゃないとこっちの棟には来ないのだろう。
渡り廊下を渡り終わり、少し歩くと目的の教室に着く。
教室の扉を開けると思った通りまだ誰も来ておらず、しん、とした周りから隔てられたかのような空間の雰囲気を堪能しつつ自分の席に向かい、道具を置いてから天井に向かって身体をググーっと伸ばして一息ついて席へと座る。
なんとなく教室を見渡し、ひと通り見てからなんとなく黒板に目を留める。数秒見てから目線を少し上げると時計が目に入る。
昼休みの終了までまだ少し時間があり、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ってから五分後に五時間目の授業が始まるのであと少し余裕がある。
予鈴が鳴ってから移動を開始する人もいるだろうが、あと何分かするときっとこの教室にもぽつぽつとクラスメイト達がやって来始めるだろう。
もう少しだけ一人で居たいと思い、立ち上がって誰かが来る前に一度教室を出る。
といっても特に当てがあるわけでもないのでどうしようかと考える。
数秒悩んで、とりあえずこっちの棟を散歩してみようかとフラフラとさっき来た方とは反対の方向へと歩き出す。
ゆっくりと歩きながら廊下の窓から外を眺めてみる。窓からは向かいの棟の私たちがいつもいる普通教室だったり、中庭が見渡せる。
教室によってはワイワイと沢山の生徒達が過ごしているのが見えたり、カーテンが掛けられていて中が見えなかったり。
まだそれほど学校の作りに詳しくないのでこちらから見て自分の教室、環樺の教室がどこにあるのかぱっと見では見つけられない。
まぁ今は頑張って探さなくてもいいやと思って、別の方向に立っている木に目を移して立ち止まる。
入学当時には綺麗なピンク色の桜が咲き誇っていたその桜の木も、今は時期が過ぎて緑の葉っぱを全体にまとっていた。それを見て日々の経過を感じる。まだ二週間とちょっとだけど。
環樺はどうしてるのかな。
さっき少しだけ教室を探したことと、静かで周りの声が聞こえてこないために頭の中に他の情報が入ってこないのも相まって、今はあまり考えないようにしようかなと思っていた「そこ」へと自然と意識が行ってしまう。
考えてしまうとキリがないからと頭を軽く振って思考を飛ばして目線を前へと戻し、そのまま奥へと歩いていると女子トイレが目に入る。
それほどでもないけれど、午後の授業が始まる前に行っておいてもいいかな、こんな辺境のトイレには人も来ないだろうしちょうどいいや、と思ってそちらの方へと身体の向きを変える。
扉に手を掛けて少し開けた瞬間、中から人の話し声が聞こえてきたので入るのを躊躇する。
このまま戻ろうかとも思ったその時、どこからともなく手が伸びてきて目の前の扉を大きく開けられる。
「......っ!?」
何が起きたのか分からず、反応もできずに思考停止していると、その勢いで扉に手を掛けていたはずで今は空中に浮いている私の手を握られ、同時に後ろから肩を抱かれて身体ごと押されてトイレの中へと連行される。
入った瞬間に洗面台の前に三人で話している人達が確認できた。きっと上級生だろうと思われるその人たちは幸いこちらをみることなく、鏡と向き合って自分の顔や髪を気にしながら話に夢中になっているようだった。
そのままグングンと押されながら進んで、最奥の個室に押し込まれる形で入っていく。もちろん、私と後ろから押してきている人物と共に。
バタンと扉を閉められ、ガチャリと鍵も勢いよく閉められる。
さっき手が繋がれた事で誰だか分かってしまったが、ようやく向かい合ったことで姿も確認できる。
なぜかうつむいていて顔は見えないが目の前に居るのは間違いなく環樺だった。
あんな感じにいきなりトイレの中に連れ込まれたとしたら普通ならびっくりして叫んでしまっていただろう。
でも手を取られた瞬間に環樺であろうと分かったおかげでとっさに声を抑えることができた。声を出してしまっていたら洗面台の前に居る三人の注意を集めてしまって二人で一緒の個室に入っていくおかしい奴らだと思われていたところだっただろう。
「ねぇちょっと、今そこに二人入っていかなかった......?」
......見られてしまっていた。
三人のうちの一人の口から先ほどまでとは違った小さい声で私達にとっては都合の悪い事実が発せられる。こちらに聞こえないくらいで言ってくれているつもりなのだろうが、いかんせん他に声や音を出している存在もなかった状況なのでこちらにもバッチリ聞こえてきてしまった。
「え~流石にそんなことないっしょ」
「見間違いじゃない?」
他の二人には気づかれていなかったようで少し安心する。
声が聞こえてきて扉越しにその人達がいるであろう方向にやっていた目線を目の前に居る環樺に戻す。
この個室に入って、否、入れられてから十五秒くらい経つが、未だにうつむいているままで一言も言葉を発さない。
「環樺......?」
そろそろ何がどうしてこういう状況になっているのか環樺に聞きたいところなのだが、表に人もいるので囁き声で声を掛ける。
すると、環樺がゆらりと動いたかと思えば、突然勢いよく両腕をあげて私の後ろへと回されると同時にこれまた勢いよく抱きしめられる。
「ちょっ......!?」
この短時間でいきなりや突然のことが嵐のようにやって来過ぎてそろそろパンクしてしまいそうだ。
結局うつむいていた状態から勢いよく抱きしめられてしまったので環樺の表情を見ることはできない。何も言わないうえに表情も見えないので環樺が何を考えているのか知る事ができない。
知る事はできない、が......
そうしていると再び洗面台の前に居る人達の会話が聞こえてくる。
「うーん、見間違いかなぁ。目がぼやけて分身して見えたのかも」
「アンタ目良くないんだから眼鏡買ったら?」
「えぇやだよ、ワタシ眼鏡似合わないもん」
......双子で見た目が似ててよかった。何とか気のせいで済ませてくれるらしい。
上級生で誰か分からない人達とはいえ、また会う可能性もある同じ学校の人に二人でトイレに入る人だと思われるのは避けたい。
というか人間としての尊厳みたいなものが......
「はいはい、それよりそろそろ時間だから行こ、二人とも」
そうしてその人達がトイレから出ていく気配がした。
ふぅ......。
「環樺? もう人居なくなったよ?」
「......」
声のトーンをいつものものに戻して環樺に声をかける。
誰も居なくなって二人きりの空間になったのにも関わらずまだ環樺は喋らない。
「......環樺?」
返事がない代わりにギュッと私を抱きしめる環樺の腕によりいっそう力が込められる。
今のこの状況で表情や言葉で環樺の考えている事を知る事はできないが、何となく伝わってくるものはある。
......きっと環樺も寂しかったんだろう。私と同じように。
「おねえちゃん......」
そこでやっと環樺が一言だけつぶやく。
その声からは最大限に安心しきって甘えてきているのが伝わってくる。
「はぁ......。よしよし」
私の右肩に乗せられている環樺の頭を撫でてあげると首元に顔をスリスリと擦り付けてくる。
しょうがない子なんだから。
なんて思いつつ、もちろん私も環樺と会えたことが嬉しくて安心している。
環樺の頭を撫でている手を環樺の背中に回し、優しく抱きしめ返して環樺の肩に頭を預ける。
すると胸の奥、身体のずっと奥の物理的には触れられないようなところからじわっと温かいものが溢れ出す。
こうして抱きしめ合ったりするのは何だか久しぶりな気がする。
(あぁ......。環樺の匂いだ)
呼吸をすると環樺の匂いが鼻腔から脳に直接届くような感覚がする。シャンプーやボディーソープ、お風呂上がりのヘアオイルとかも一緒の物を使っているはずなのに何かが違うと感じる。どうしてなんだろう。
環樺も私もたまに気分転換で部屋でアロマを焚いたりしているが、きっとそういう問題でもなく、もっと本能的なモノのような……
でも今はそんなことは気にしなくてもいいや。とその思考をどこかへ放り投げ、環樺を堪能......したいところだった。
ここがトイレでなければ。
匂いという物と関連して意識が現実へと引き戻されていく。
それと同時にキーンコーンカーンコーンと昼休みの終わりを告げる予鈴が校内に鳴り響く。
最後の音が鳴り終わると、抱きついてきた時と同じくらいの勢いでババッと離れて鍵を開けて飛び出して行ってしまう。
そしてやっぱり表情は見れなかった。
「ちょっと待って環樺!」
用は特になかったが入口の扉に手を掛けようとしている環樺の後ろ姿をとっさに呼び止めてしまう。
「えっと......今日、一緒に帰らない?」
自然とその言葉が口から出た。きっともう少し一緒に居たかったという想いから。
いつも一緒に帰っていた真尋ちゃんも今日は体験入部に行くと言っていたし問題ないだろう。環樺次第にはなってしまうが。
声を掛けてから数秒だけ環樺が固まり、そしてようやくこちらを振り向きその顔を見ることができた。
「......うん!」
満面の笑顔で短く返事だけを残して環樺は出て行った。ここは別棟なので早く戻らなきゃいけなかったのかもしれない。私は近いけど。
今日の環樺の行動は本当に奇想天外だ。短い時間とはいえ二人きりなんだから話をしたらよかったのになんで無言だったんだろう。
というかやっぱりああいうことをするならトイレはないでしょ。風情がない。いや、別に風情なんて考えなくてもいいのか。でもトイレは......
とりあえず、時間ももう残り少ない事だし私もこのまま戻ることにしてトイレから出る。
教室に戻ると周りの席の子達に声を掛けられる。
「藤咲さん、どうしたの?」
「え? 何が?」
着席すると真尋ちゃん達もこちらをのぞき込んでくる。
「いや、顔が......」
「円樺ちゃん、すっごいニヤけてる!」
「ホントだ! 何かあったの?」
「え、うそ、何もない! 見ないでー!」
顔を手で覆い隠して机に伏せる。
どうやらかなり浮かれてしまっていたようで、結局また恥ずかしい思いをしてしまうことになった。




