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「あなたは男が好きなのですか?」


 佐藤さんの口から出た言葉に俺の意識は一瞬刈り取られてしまった。

おっと、危うく川を渡るところだった。しかし冗談にしてもこれはいただけな……冗談ではなさそうだ。

佐藤さんは勿論のこと鈴木さんや他のクラスメイトの誰一人として冗談の目をしていない。

一度深くため息を吐いて佐藤さんに向き直る。


「なぜその質問が出てきたのかはわからないが、俺は普通に異性が好きだし同性のことは恋愛対象としてみていない。これでいいのか?」


 少し早口になってしまったがそう答え終ると一瞬にしてクラスの雰囲気が緩んだ気がした。

そしてこんなくだらない質問をされて少しイライラしていたのだろう、語尾が強くなってしまったのは仕方がない。クラスの女子に「きみって女性が好きなの?」なんて聞いた日にはその三秒後くらいから学校に居場所がなくなるくらいの覚悟があって初めて聞ける内容なのだから。


 もしかしたら先程の影継とのやり取りを誰かが見ていたのが、一斉に学校中に流れたと考えるのが妥当だろうか。それにしても早すぎだろ。まあこの人数の誤解を解いておけば明日には俺の些細な噂話など話題にもあがらいなだろう。人の噂も七十五日……いや長すぎだろ普通に考えて。どんだけ暇人なんだよ。


 そんなくだらない事を考えているといつの間にか今日の授業は終わり、それぞれが部活や最近できたカフェの話で盛り上がりながらそれぞれ支度を始める頃に。そんな風景を眺めつつ俺も自分の家に帰る準備をしていると


「田中君って好きな人いるの?」


 帰ろうとする俺の服の袖をキュっと掴んだまま鈴木さんが尋ねてきた。


「いるわけがない」


 無意識で出た俺の返答が鈴木さんやクラスメイト達が想像していた答え方とかけ離れていたのか、返事と一緒に無意識で鈴木さんが掴んでいた袖を振り払ったからかはわからないが教室内は物音ひとつ聞こえない状態となっていた。

 「しまった」と思った時には既に遅く「ご、ごめんね。あたし……」と、いつもの一人称すら忘れた鈴木さんは荷物を両腕に抱きかかえる様にして教室から走り去ってしまった。届くはずがないのに彼女へと手を伸ばそうとすると


「あんた何様よ!」


 罵声が先か掴まれた胸倉が先か、目の前には本気で怒っていると思われる佐藤さんの顔がすぐ目の前にあった。


「なにが?」


 これが俺の正直な思いである。「好きな人いるの?」と聞かれ「いるわけがない」と答えただけでここまで怒られる謂れは無い筈だ。……無い筈なんだが去り際の鈴木さんの表情と、目の前の般若と見間違う佐藤さんの圧で胸の辺りが少し痛む。その間も佐藤さんの口は止まる事は無かったが、今の俺には彼女が何を言っているのか聞こえない。


 今、頭の中では昔の出来事が濁流のように押し寄せてきている。好きだった女の子の顔はなぜか思い出せないけど、いつも俺の方を向いて嗤っている気がしてならない。勿論好意な笑顔なんかじゃない。嘲笑だ。

顔のない彼女達はひそひそと言葉を交わしその後にクスっと嗤う。その繰り返しだ。偶に落ち込んだときなんかに彼女達は現れては俺を哂う。勿論俺は彼女達の笑顔を知っている筈なのに。無理をして思い出そうとすると顔のない人物が増えてくる。

「あなたなんて好きになる訳がない」

「嘘の情報に踊らされてるお前を見るのは楽しかった」

「お前なんかが姉貴と付き合いたい? 冗談はやめてくれ」

「ねえ、あなたはあそこでどのくらい私を待ったのかしら?」

「あなた……お前…………ない…………好きになる…………ない」


 遠巻きから俺を哂っていた誰かはいつの間にか囲むようにして俺を哂い続ける。

耐えろ。耐えればこいつらはいつか消える。奥歯を噛みしめて嘲笑の渦の中で耐えていると


「ちょっと、あんた大丈夫なの?」


 不意に体を揺さぶられる感覚に意識が戻ってきた。目の前には先程は般若と見間違う程激怒していた佐藤さんが心配気に俺の顔を覗き込んでいる。


「ああ、大丈夫だありがとう」


 そんな一言が意外だったのか目を丸くした佐藤さんが、がしがしと後頭部を掻くと


「私も人の事言えた義理じゃないけど……あんたも相当面倒臭そうね。今日はここまでにしてあげるわ。今はあんたより哀ちゃんの方が優先だし」


「すまない」


「すまないと思ってるなら今度ご飯でも奢りなさいよね」


 そう言いながら彼女は右手の指を三本立ててこちらに突き出してきた。

三? 二本であればブイサインだろうがこの状況でブイサインの意味も分からない。俺が首を傾げていると


三人(・・)よ三人。全くどんだけ鈍感なのよあんたは」


 それだけ言うと佐藤さんは教室から走って出て行ってしまった。

残された俺は自然と右手を開いて指を三本立て、それをそっと左手で包み込んだ。




 その後、なんか動きづらい空気の中どうしようかと悩んでいると俺の感情を視て駆けつけてくれたのか細田さんが慌てて教室へ入ってきてくれたことで難を逃れた。


 


 

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