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「昨日はどうだった?」


 次の日の朝、やはりというか勿論というか友人から昨日のことを聞かれた。

正直俺はそれにどう答えたか覚えていないが、「来なかった」とは伝えなかったと思う。


 「残念だったな」と言っているこいつは本当にあの子が手紙を取ったところを確認したのだろうか? 実は適当なことを……いや、弟があそこに来たんだから手紙は確かに相手に渡ったのだろう。

それでも弟があの場所を、ただ別の理由で通ったということも……駄目だ。考えれば考えるほど深みにはまっていくのがわかる。

目の前の人物は俺を裏切ってはいないと自分に言い聞かすので精一杯だ。


 前回は感じた「なんで?」という思考すら出来てないことも忘れて。


 

 それから卒業するまでは早かった。

そして四月から高校に通うまでの準備期間の春休みに「それでは出て行きます」と携帯電話に一通のメールが送られてきた。差出人は母親だった。


 それを見ても別になにを思う訳でもなく「あっそう」ぐらいに受け取ったのを覚えている。

これは別に急に出て行ったわけではなく、年を越した辺りから家族で話し合っていたことなので驚くこともないからだ。


 別れる理由は俺達兄弟には知らされず「離婚することになった」と聞かされて初めて知ったのだ。それでもその時も別に驚いた記憶はない。常の両親の仲を見ていれば誰だって気が付く。


 せめて俺が中学を卒業するまでは……そう言っていた。別に俺を理由にしなくてもいいのに。



 高校に入学して、ここでも新しい友人が出来た。

 兄は俺の入学と同時に県外の大学に行ったので今は家に俺と父親しかいない。少し広くなった家ではゆっくりとした時間が流れていく。

 緊張から始まった学校生活に不満や不安はなく過ごしていたけど、家ではじわじわと変化が訪れ始めた。


 初めは兄からの電話だった。


「母さんが実は不倫をしていてあの時には既にお腹に赤ちゃんもいたらしい。相手は偶に家に来てた会社の同僚だって言ってた人」


 その言葉には流石に驚いたと同時に怒りが湧いてきた。

夫が居る時に不倫相手を家に呼んでた? しかもその時には妊娠してた? そしてあたかも自分が被害者みたいな顔して離婚? これ以上はお腹が大きくなってバレるとでも思ったんだろう。


 ……なんだよそれ


 その時俺の中で母親だった人間は死んだんだ。

それから偶に兄との会話で出てくるときも「あの人」とかで、決して直接的な呼び方はしなかった。


 俺が知ったということは父親もこのことを今は知っているんだろうな。

 もし、離婚する前に知っていたらあの父親が怒らないはずがないからな。俺たちの父親は厳格な人だった。小さい頃から食事のマナーにも厳しく、一緒にご飯を食べるのが怖かった時期もあった。

お小遣いを貰う時も、お小遣い張と手持ちの現金が一致していないと渡してくれないとかもあった。もし誤差が出来た時は兄と一生懸命帳尻を合わせたっけ。

門限もあり、月に二回破ると一ヶ月外出禁止なんてペナルティも今思うと酷いもんだ。

 それでも優しい人だった。

 

 それからそんな父親の様子がおかしくなっていくのを見ていることしか出来なかった……

日に日に増えていくお酒の量や、夜中家に帰ってこないことも頻繁にあった。俺はそれを仕方がないくらいで済ませ、特に注意することもなく日々を過ごしていたある日兄が家に帰ってきた。

 別に夏休みとかではなくまだ五月も半ばなのに。「話があるから一度帰って来いってさ」と、どうやら父親に呼ばれたらしいけど何の用だ? まさか再婚とかかな? くらいに考えていたけど正か



「この前病院へ行って診断してもらったら末期癌だった。医者が言うには余命半年(・・)らしい」



 ……



 ……




 それを聞いた俺達は何も言えなかった。


 無言の時間が続く中、次に口を開いたのは隣に座っていた兄だ。


「これからどうするつもり?」


 それに答える父親。そしてまた兄がそれに返す。俺は黙ってそれを聞くのが限界だ。


「太郎、お前はちゃんと高校を卒業しなさい。その後は自由にするといい」


 最後にそう言って久しぶりの家族の会話は終わりを迎える。

それから父親は会社を辞めて自分の好きなことをして過ごすことが多くなり、心なしか笑うことも増えたと思う。

 そんなある日家に帰ると知らない女性が居た。

父親が言うには高校の時の彼女らしく、久しぶりに連絡を取ってみたら相手も独り身だったみたいで最後くらい一緒に……という話だ。それに勿論反対なんてする訳もなく「宜しくお願いします」と言って、その日は何故か一緒にご飯を食べた。


 それから夏を迎えた頃、父親の容体が急変したと女性から連絡があり病院へ急ぐ。兄にも連絡をすると今から向かうとのこと。


 教えて貰った病室へ行くとベッドで寝ている父親と、その隣で座っている女性。

その人が言うには……もう、ながくはない……とのこと。今から延命治療をしても遅く、父親もそれには反対していること。


 それから入退院を繰り返して季節は秋。


 あの日のことは鮮明に思い出せる。

まだ日も登らない時間に兄からの電話で起こされた。電話越しから「今日が山場らしい」と、それだけで十分理解してしまった。

 急いで着替えて自転車で近くの病院まで全速力で向かう。今だけは赤信号も気にならない。

 だけど心の中では「行きたくない」と叫んでいた。多分”死”ということを見たくなかったんだと思う。


 それでも行かないと……行きたくない! でも!

 そうしていつもの病室へ向かうと兄と女性が既に居て、ベッドの上では目を瞑って静かに眠っている父親。

 まさかという思いがあったが


「太郎か、間に合った」


 そう兄に言われて父親がまだ生きてることを知る。

医者は「どうか最後まで呼びかけてあげてください」と言い残して静かに部屋を出て行く。


 それから女性は父親の名前をずっと囁きながら手を握っている。

俺達も久しぶりに”父さん”と、子供の頃によく言っていた呼び方で呼ぶ。

 そうしている内に朝日も顔を出して少しすると


「お前は、今日学校を休むって連絡してこい」


 と兄に言われて病室を出て近くの電話室で切っていた携帯の電源を入れ、電話帳から学校を探して掛けるも繋がらなかった。さすがに早すぎたかな? と思っていると勢いよく扉が開かれた。

驚いて後ろを振り返ると……ゆっくりと顔を横に振る兄がいた。


 ”病院では走らない”そんなことも頭から抜け落ちて、兄と一緒に病室まで走って戻ると……


 父親の手を握って泣いている女性の声と、父親の心音が止まったことを知らせる機械の音だけが静かに響いているだけだった。


 気が付けば俺はベッドの隣の椅子に座って、ずっと父親を見つめていた。

 どのくらいそうしていただろう? 親戚の人達が病室へと現れ始めたのでそれに挨拶をした。

そして俺はその中にいた人物を見て”怒り”が湧いてきた。


「なんであんた(・・・)がここにいる!」


 本当はそう叫びたかった。人目を気にせず叫んで目の前の人物にこの気持ちをぶつけたかった。なんであんたがいまここで泣くんだと。


 この場所に居ていい筈もない”元母親に”

ただ離婚したんならわかる。だけどあんたは不倫してた挙句そいつの子供もいるんだろ? 俺達とは縁を切ったんだろ? じゃあなんでここにいるんだよ!


 

 この時俺は壊れた(・・・)んだと思う。

もう何を信じればいいのかわからない。誰を信用すればいいのかわからない……


 



 それから父親の葬儀も終わり兄と一旦家に帰る。


「これから大丈夫か?」


 隣にいる兄からそう聞かれた。


「大丈夫だ」


 そう答えることしか出来なかった。幸いそこそこのお金を残してくれていたので高校を卒業して大学へ通うことも俺には出来ると言う。


 それから広い家で一人で生活するようになり、学校にも行くと学年主任の先生から「なにかあったら何でも言いなさい」と言って貰え、それに「ありがとうございます」とは答えるが助けを求めるつもりはない。


 もう他人の助けは要らない。

 もう誰も信じない。

 

 無意識にそう心に決め、父親に言われた「高校だけはちゃんと卒業しろ」という約束を守る為だけ俺は学校へ通う。

 多分他の人は部活だの恋人だの、もしかして勉強の為の人もいたかも知れない。だけど俺にはそんなのどうでもいいんだ。


 表面上は他人と上手くコミュニケーションをしていますと演じて先生が心配してくることも無くなった。


 最初は苦戦していた一人暮らしに慣れ始めて季節はまた春へと変わり、俺も二年生へと進級した。

新しい生徒も入ってきて騒がしくなった学校を背に、部活に入っていない俺は一人帰宅していると信号待ちをしている女子生徒の後ろ姿に目を奪われた。

 俺とは違う制服は近くの学校の生徒だ。後ろから見ただけだけど多分綺麗なんだろうなとかも思ってたけど、気になったのは何となくだけど俺と同じ雰囲気を感じたからだろう。


 ”人を信用していない”


 まさか、気のせい……だよな。


 その子を見ているといつの間にか俺が渡る筈だった信号は赤になっており、逆に彼女は青に変わった信号を渡り始めた。

いつまでも見るのも失礼か。そう思い視線を前に戻そうとするも視界の端にトラックを捉えて、気が付けばその子の背中を押していたんだ……


 



 もう疲れた。


 表情や声のトーンで相手の感情を観察するのも。


 それをくみ取り、その場に合ってそうな会話を続けるのも。


 一人になればそんなことしなくてもいいが、本当に一人で生きていけるほど強くはない自分が嫌だ。


 誰かと繋がっていたい。


 誰かを愛したい。誰かに愛されたい。


 そう願うのにはもう遅いだろうか?


 思考の渦へと沈みゆく中、ふと指先に暖かいものを感じた。

そうだ……今は一人だけもう一回、もう一回だけ信じてみようと思える人がいたんだっけ。

 でも、その人も本当は俺の事を……



 そこで俺の意識は途切れ、ゆっくりと、だけど確実に暗く冷たい闇へと沈んでいった。


 

登場人物の過去編はこの辺りで止めときます。次回からは普通の紳士パートに戻れたら……いいな


これからも宜しくおねがいしますm(__)m

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