心を何処に置く
突如叫びをあげて意識を失った聖者をスモモは一番近くにあった空き家に担ぎ込んでいた。
死んだように動かない聖者をスモモはただ見つめることしかできなかった。
「旦那様……いったいどうしたんじゃあ……聖者ではなくなったとはいえ聖性までも失ったわけではないというのに……病気はあり得ぬ……なにか精神的な攻撃を受けたとしても鋼鉄をもしのぐ旦那様の心が折れるはずもない……いったい何が……」
鋼鉄をもしのぐ心など聖者は持ち合わせいなかった、焦点をずらして目をそらしてやっとこの世界と向き合っていた。前の世界と違うことなど自分の変質など何でもないと思い込むことで逃げ続けてきた。
それが崩れた。
心が悲鳴を上げて血があふれだし、ただでさえ少ない容量を大幅に超えてしまった。
自己防衛のために意識を遮断したがその先は本人次第である。
目覚めることはもうないかもしれない、すぐに目覚めるかもしれない。
それを決めるのは聖者の心一つである。今回に限って言えばあまりにも大きなショックに引きづられて精霊と裁定者も休眠状態に陥ってしまったため、スモモの同伴は必要不可欠であったといえるだろう。
「どうすれば……いいんじゃ……」
「お困りかな?」
スモモの刀が抜かれた、切っ先は声の主の喉元でピタリと停止する。
「誰だ」
余裕がないことの現れかスモモの殺気は全身からあふれ出ていた。常人であれば三十秒も意識を保てないであろうその中で突然声をかけた男は笑っていた。
「おお怖い、怖すぎて気を失ってしまいそうだよ」
「目的はなんだ」
「助けてあげようか、そこの人」
「っ……!?」
一瞬だけスモモに動揺が走る。
「信用できぬな」
「迷ったね、それだけで十分だよ」
悪寒を感じたスモモの刃が男の首を落とす軌道で振るわれた。
「物騒だねえ、僕じゃなきゃ死んでるよ?」
刀は虚空を泳いだ、男はいつの間にか少年になっていた。
「僕の事は知っているかな、勇者さん」
「第一魔王ソロ……じゃと!?」
「そう、僕は第一魔王ソロ・エターナーだよ。そしてこっちが」
ソロの後ろから何かがぬるりと這い出してきた。それは半透明の少女だった。
「第二魔王ヅヴァロ・サァクルよ。さっさとそこの奴をよこしなさい、助けてあげるわ」
「しかし……魔王に旦那様を渡すわけには……」
「ああ、そういうのはいいから」
ソロの手のひらが聖者の足に触れる。次の瞬間ソロとヅヴァロは聖者とともに消えていた。
そこにはただ一人スモモだけが残された、そして全身から吹き出す鮮血。
血液を媒介とした契約により命の連結が起こっていたことをスモモは初めて知る、存在が同期しているにもかかわらず離れてしまったことで存在矛盾が発生し肉体の崩壊が始まっていた。それは聖者も同じであるといことも想像に難くない。
「あ……嫌じゃ……嫌じゃああ……」
スモモはこの連結を切ることができる、しかしそれは現状残った最後のつながりを手放すことに等しい。もしかしたらこれをたどって聖者を取り戻すことができるかもしれない。
だが、このような重傷を負い続けることはスモモ自身は耐えられても聖者が耐えられるかは分からない。
「嫌じゃ……これを失ったら……旦那様との……」
スモモの頭は冷静だった。口と心は否定しても頭と身体は既に行動を開始していた。
「あ……ああ……ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
左手の薬指に浮かび上がっていた円環状の紋章、それが契約の証であるという判断が終わっていた。速やかに行動は完遂される。
震える手を無理矢理もう片方の手で押さえ込み、指を根元から咥える。
「嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃああ……」
判断が終わるということはその場所の意味と色と形状の関係性も十全に理解してしまったことを意味する。
左手の薬指にある円環、それは永遠の絆を象徴する。結ばれた誓いと愛を表す神聖なるもの。加えて血の色である紅い円環は血の契りをも意味する。
血の契りは肉体の融合を意味し、同一になることすら厭わないという最上級の愛情表現となる。
「いやじゃあ……!」
ぶちり。
鋭い牙が指を根元から食いちぎった。
瞬時に回復した指をスモモは穴があくほどに見つめた、そこには諦めと絶望。一握りの願いが込められている。
「ああ……ワシは……ワシはぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
そこには紅い円環の紋章など最初からなかったかのようにきれいな白い指があった。
スモモの慟哭は止むことなく、全てをすり減らしながら続いていった。




