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七五三田優奈の観察録  作者: 有馬 茶


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21/22

【足跡のない資料室】署名

 関係者を再び集めたのは、区民ホールの資料室だった。

 狭い部屋に五人も六人も集まると、それだけで空気が重くなる。

 伊勢崎拓真、城戸美咲、松永千尋、早乙女真、そして桐谷由佳。

 全員が、少しずつ違う顔をしている。


 砧は扉の脇に立ち、優奈が話し始めるのを待った。

 彼女は相変わらず、まったく慌てていない。


「望月 浩司さんの死は、事故ではありません」


 部屋の空気が止まる。


「資料室に呼び出したのは、押印済み控えと確認印を使って安心させるため。つまり、ここに来るよう仕向けた人間がいる」


「誰ですか」


 伊勢崎が先に言う。


「まだ焦らないで」


 優奈は資料を一枚ずつ机に並べた。

 回覧簿。

 押印済み控え。

 電話記録。

 鍵の受け渡しメモ。

 そして、望月の倒れていた位置を示す写真。


「この順番を組めたのは、会計・庶務の流れを握っていた人間よ」


 優奈の視線が、真っすぐ桐谷由佳へ向く。


「桐谷由佳さん。あなたね」


 由佳は動かなかった。

 だが、顔色だけがわずかに変わる。


「……どうして、私なんですか」


「書類の流れを変えられたのはあなた。鍵の受け渡しを二度できたのもあなた。望月さんに“サインが必要”と伝えられたのもあなた」


 砧が一歩前へ出る。


「現場じゃ、みんなお前を見てた。静かすぎるからって、誰も気にしてなかっただけだ」


 その言葉は武骨だった。

 責めるというより、逃げ場を塞ぐための言い方だ。


「望月さんは、あなたに何を握られてたんです」


 砧が聞く。


 由佳はしばらく黙っていた。

 その沈黙は長い。

 だが、逃げるための沈黙ではない。

 どこまで言えば壊れずに済むかを、最後まで計算している沈黙だった。


「……再開発の件です」


「続けて」


「望月さんは、私が以前いた法人のことまで調べてました。会計の処理を、あの人は……」


「脅したのか」


「ええ」


 由佳の声は淡い。

 だが、その淡さの奥には、はっきりした怒りがある。


「あの人は、書類を盾にして人を追い詰めるのが上手かった」


「それで、殺したのか」


「……最初は、そんなつもりじゃありませんでした」


「じゃあどうした」


「控えの順番を少し変えただけです。押印を早めて、確認の流れを作って、資料室へ行く理由を……」


 由佳は言葉を切った。

 それ以上は、もう誤魔化せない。


「望月さんは、自分で確認しに行ったつもりだった。でも、実際はあなたが作った流れに乗った」


 優奈が淡々と言う。


「踏み台の位置も、棚の資料の並びも、全部“見に行かせるため”のものだった」


「……」


「あなたは事故に見せた。でも、紙の流れは事故じゃない」


 砧が資料を叩いた。


「全部、お前が握ってた。だから疑われなかったんだろうな。静かな顔して、いちばん奥で動いてたんだ」


 由佳は目を閉じた。

 その表情には、言い訳も、反論もない。

 ただ、ようやく終わるという諦めがあった。


「……望月さんは、私を壊すつもりでした」


「だからと言って、人を殺していい理由にはならない」


 砧は低く言った。

 その声には、怒りがあった。

 だが感情に流されてはいない。

 警察官として、ここで区切りをつけるための声だった。


「お前がやったことは、ちゃんと重い。そこは逃げるな」


 由佳は少しだけうなずいた。


「……私が、やりました」


 それが、最後だった。


 警察が動く。

 伊勢崎は顔をしかめ、城戸は目を伏せ、松永は何かを言いかけてやめた。

 早乙女は帽子を握りしめたまま動かない。


 部屋の外へ出たあと、砧は資料室の壁に手をついた。


「腹が立つな」


「そうね」


「書類ひとつで人を動かして、最後は事故に見せる。くだらない」


「でも、よくある話よ」


「だから腹が立つんだ」


 優奈は何も言わなかった。

 だが、砧の熱を止めはしない。

 彼のそういうところは、仕事には向いている。


 そして、事件は終わった。

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