【足跡のない資料室】署名
関係者を再び集めたのは、区民ホールの資料室だった。
狭い部屋に五人も六人も集まると、それだけで空気が重くなる。
伊勢崎拓真、城戸美咲、松永千尋、早乙女真、そして桐谷由佳。
全員が、少しずつ違う顔をしている。
砧は扉の脇に立ち、優奈が話し始めるのを待った。
彼女は相変わらず、まったく慌てていない。
「望月 浩司さんの死は、事故ではありません」
部屋の空気が止まる。
「資料室に呼び出したのは、押印済み控えと確認印を使って安心させるため。つまり、ここに来るよう仕向けた人間がいる」
「誰ですか」
伊勢崎が先に言う。
「まだ焦らないで」
優奈は資料を一枚ずつ机に並べた。
回覧簿。
押印済み控え。
電話記録。
鍵の受け渡しメモ。
そして、望月の倒れていた位置を示す写真。
「この順番を組めたのは、会計・庶務の流れを握っていた人間よ」
優奈の視線が、真っすぐ桐谷由佳へ向く。
「桐谷由佳さん。あなたね」
由佳は動かなかった。
だが、顔色だけがわずかに変わる。
「……どうして、私なんですか」
「書類の流れを変えられたのはあなた。鍵の受け渡しを二度できたのもあなた。望月さんに“サインが必要”と伝えられたのもあなた」
砧が一歩前へ出る。
「現場じゃ、みんなお前を見てた。静かすぎるからって、誰も気にしてなかっただけだ」
その言葉は武骨だった。
責めるというより、逃げ場を塞ぐための言い方だ。
「望月さんは、あなたに何を握られてたんです」
砧が聞く。
由佳はしばらく黙っていた。
その沈黙は長い。
だが、逃げるための沈黙ではない。
どこまで言えば壊れずに済むかを、最後まで計算している沈黙だった。
「……再開発の件です」
「続けて」
「望月さんは、私が以前いた法人のことまで調べてました。会計の処理を、あの人は……」
「脅したのか」
「ええ」
由佳の声は淡い。
だが、その淡さの奥には、はっきりした怒りがある。
「あの人は、書類を盾にして人を追い詰めるのが上手かった」
「それで、殺したのか」
「……最初は、そんなつもりじゃありませんでした」
「じゃあどうした」
「控えの順番を少し変えただけです。押印を早めて、確認の流れを作って、資料室へ行く理由を……」
由佳は言葉を切った。
それ以上は、もう誤魔化せない。
「望月さんは、自分で確認しに行ったつもりだった。でも、実際はあなたが作った流れに乗った」
優奈が淡々と言う。
「踏み台の位置も、棚の資料の並びも、全部“見に行かせるため”のものだった」
「……」
「あなたは事故に見せた。でも、紙の流れは事故じゃない」
砧が資料を叩いた。
「全部、お前が握ってた。だから疑われなかったんだろうな。静かな顔して、いちばん奥で動いてたんだ」
由佳は目を閉じた。
その表情には、言い訳も、反論もない。
ただ、ようやく終わるという諦めがあった。
「……望月さんは、私を壊すつもりでした」
「だからと言って、人を殺していい理由にはならない」
砧は低く言った。
その声には、怒りがあった。
だが感情に流されてはいない。
警察官として、ここで区切りをつけるための声だった。
「お前がやったことは、ちゃんと重い。そこは逃げるな」
由佳は少しだけうなずいた。
「……私が、やりました」
それが、最後だった。
警察が動く。
伊勢崎は顔をしかめ、城戸は目を伏せ、松永は何かを言いかけてやめた。
早乙女は帽子を握りしめたまま動かない。
部屋の外へ出たあと、砧は資料室の壁に手をついた。
「腹が立つな」
「そうね」
「書類ひとつで人を動かして、最後は事故に見せる。くだらない」
「でも、よくある話よ」
「だから腹が立つんだ」
優奈は何も言わなかった。
だが、砧の熱を止めはしない。
彼のそういうところは、仕事には向いている。
そして、事件は終わった。




