【足跡のない資料室】持ち主はだれ
書類の流れを追う作業は、地味だが、今回ばかりは核心に近かった。
砧は区民ホールから持ち帰った回覧簿と押印済み控えを机の上に並べ、順番を一つずつ確認していった。
「ここだな」
砧が言う。
「回覧の順番が、一か所だけずれてる」
向かいで優奈が資料をめくる。
「どこが?」
「押印前の控えが、いったん警備の手を経由してる。普通は会計から直接望月に渡るはずだ」
「つまり、早乙女が一度触ってる」
「そうだ。だが、問題はそこじゃない」
優奈は少しだけ目を細めた。
「そのあと、誰が受け取ったかでしょ」
「そういうことだ」
砧は回覧簿を指で叩いた。
「桐谷由佳だ。彼女が回覧の中心にいた。控えの修正も、押印欄の整えも、全部できる立場だ」
「だから怪しい」
「けど、それだけじゃ決め手にならない」
優奈は頷く。
その通りだ。
書類に触れられる人間が犯人候補になるのは当然だが、だからこそ決定打にはなりにくい。
「で、望月は何を見に行ったんだ」
「最終確認用の書類だ」
「でも、普通の確認じゃないわね」
「ええ。由佳の押印済み控えを見て、確認印を押してる」
「つまり、自分で見た」
「そうだ」
砧はその確認印を指先でなぞった。
新しい。
だが、そこに不自然なほどの“安心”がある。
望月は、これを見て資料室へ向かったのだろう。
なら、誰がその安心を作ったのか。
「桐谷が自分で呼んだ?」
「たぶんそうだ」
「でも、呼び方が雑だと怪しまれる」
「だから、誰が見ても普通の連絡に見えるようにしてる」
砧は記録を取り出した。
会場の電話記録。
メモの下書き。
回覧簿の日付。
それらを並べると、一つの流れが見え始める。
「問題は、望月が資料室で何を探していたかだな」
「確認書類じゃないの?」
「そう見せてるだけかもしれない」
「どういう意味」
「本人は書類を見に行ったつもりでも、実際は別のものを探してた可能性がある」
優奈は少しだけ考え込んだ。
それから、資料の端にあるメモを引き寄せる。
「“至急、確認を”……ね」
「これ、妙に簡単だろ」
「ええ。だから逆に、上手い」
「上手い?」
「複雑な言葉にしない方が、人は急ぐ。急いでるときは、短い文しか見ないから」
砧はその言葉を聞いて、少しだけ頷いた。
確かにそうだ。
自分だって、急ぎのメモを渡されたら、長い文は見ない。
そのとき、城戸美咲が面会を求めて入ってきた。
少し顔色が悪い。
「望月さん、あの人……本当に、書類だけで動いてたんですか」
「どういう意味だ」
「私、見たんです。あの人、資料室に向かう前に、由佳さんと少し話してました」
砧は目を上げた。
「何を?」
「そこまでは……でも、由佳さんが、あの人に“ここにサインが必要です”って言ってた」
「サイン?」
「ええ。たぶん、書類の確認のことだと思います」
砧はその話を聞いて、メモに書き込んだ。
サイン。
確認。
控え。
それらが全部、望月を資料室へ誘導する材料だったのだろう。
優奈は城戸を見た。
「そのとき、由佳さんの様子は」
「……普通でした」
「普通、ね」
「ええ。怒ってるようにも見えなかったし、焦ってるようにも見えなかった」
その“普通”こそが厄介だ。
何も起きていないように見える人間が、いちばん怪しい。
その後、砧は早乙女にも再度確認を取った。
警備員として、鍵の受け渡しを二度したことは事実だった。
「控えの確認のあとで、鍵は返ってきた」
「誰からだ」
「由佳さんからです」
「どのくらい経ってからだ」
「十分もしないうちに」
「早いな」
「ええ。だから、少し変だと思った」
早乙女はそう言った。
だが、変だと思っただけで止めなかった。
そのあたりにも、ホールの空気がにじむ。
皆、何かおかしいとは思っていた。
だが、望月に逆らうのが面倒だった。
「この件、かなり整理できてきたわね」
優奈が言う。
「ええ」
「でも、まだ一つ足りない」
「何だ」
「桐谷由佳が、どうやって資料の流れを操ったか」
砧は頷いた。
書類を動かせるだけでは足りない。
彼女がどこで押し印をずらし、誰に何を見せたのか。
そこがまだ見えない。
優奈は机の上の回覧簿を閉じた。
「次で、由佳が何を持っていたかはっきりする」
「いけるか」
「ええ。紙は正直だから」
砧は、少しだけ息を吐いた。
ここまで来れば、事件はもう半分見えている。
だが、まだ犯人の口からは何も出ていない。




