【足跡のない資料室】綻び
砧は聞き取りの内容を机いっぱいに広げ、記録を整理し直した。
警察の仕事は、派手ではない。
現場で何かを見つけるより、誰が何を言ったかを、どの順番で並べるかの方が重要なことも多い。
今回もそうだった。
「望月 浩司は、資料室へ自分で行ったように見える」
砧が言う。
「でも、行かせた人間がいる」
「ええ」
優奈は机に肘をつき、資料の束をめくった。
「鍵を持っていたのは早乙女。書類の流れを握っていたのは桐谷。再開発の圧をかけていたのは伊勢崎と松永。恨みがあるのは城戸」
「全員、怪しいです」
「その通り。こういう事件は、怪しい人間が多いほど面倒ね」
砧は頷く。
今回、容疑者たちはそれぞれが望月を嫌っていた。
そのため、会話の中でも互いを疑う。
「俺は、あの人をそこへ行かせる必要なんてなかった」
伊勢崎が現場で言う。
だが、声の裏には焦りがある。
「でも、再開発の資料には関わってたんですよね」
砧が聞くと、伊勢崎は眉をひそめた。
「関わってたから何だ」
「資料の順番を知っていたのは、あなたですか」
「……違う。俺は回覧なんか知らない」
その返答に、松永がすぐ割って入った。
「知らないなら、口を出さないでください」
「そっちこそ、議会の名前を出して押し通そうとしただろ」
「言いがかりです」
「言いがかりじゃない」
城戸がそれを聞いて、苦く笑う。
「みんな、望月さんのことを嫌ってたんですね」
「嫌ってたさ。あれで嫌わない方がおかしい」
「じゃあ、誰でも怪しい」
「……そうなる」
砧は、その会話を全部拾っていく。
城戸は望月に責任を押しつけられた過去がある。
伊勢崎は再開発の順番を巡って激しく対立していた。
松永は議会の圧力をかける立場にいた。
早乙女は鍵を扱っていた。
そして桐谷は、書類の流れの中心にいた。
優奈は現場の踏み台を指差した。
「これ、普通の脚立ね」
「ええ」
「でも、位置がずれてる」
「転倒時に動いた可能性もある」
「そうね。けど、倒れ方と合わない」
「どういうことだ」
「望月さんは、棚から資料を取ろうとして身を乗り出したはず。でも、机の角にぶつかってるなら、最初にバランスを崩した位置が違う」
砧は現場写真を見直した。
たしかに、倒れた向きと、棚へ伸びる腕の角度が少しずれている。
偶然でも説明できなくはない。
だが、偶然にしては綺麗すぎる。
「誰かが、資料を取るように見せた?」
「たぶんね」
「どの書類だ」
「そこが問題よ」
優奈は押印済み控えを手に取った。
「この印、少しだけ新しい」
「本当だ」
「しかも、望月さんの確認印なら、本人が見てる。つまり、ここに来る必要があった」
「自然な流れに見せたわけか」
「ええ。でも、流れの作り方がうまい」
砧は資料を見つめた。
押印、回覧、控え、確認。
ごく普通の事務作業が、人を動かすための罠になっている。
「桐谷由佳が怪しくなってきますね」
「静かすぎるのが、いちばん厄介よ」
そのとき、早乙女が低い声で口を開いた。
「由佳さんは、当夜、俺に二度鍵を返しに来た」
「二度?」
「ええ。最初は資料室。次は控えの確認が終わったあとだ」
「それは変だな」
「そうだろ」
砧はメモに書き込む。
二度の鍵の受け渡し。
その間に何が起きたのか。
ここに何かがある。
由佳が現れると、空気が少し変わった。
相変わらず表情は少ない。
だが、今朝よりは少しだけ疲れて見える。
「桐谷さん」
「はい」
「二度鍵を返したって本当か」
「……はい」
「理由は」
「控えの確認に時間がかかったので」
「それだけですか」
「ええ」
砧は、由佳の手元を見た。
指先が微かに乾いている。
書類を扱う人間の手だ。
何度も紙をめくる者の手。
「この書類、あなたが作ったのか」
「一部は」
「一部?」
「回覧に必要な部分だけです」
「なら、誰が押印欄を整えた」
「望月さんです」
由佳はそう答えた。
だが、その答え方には、少しだけ余裕がない。
優奈はその様子を見て、ふと口を開いた。
「ねえ。あなた、書類が戻る順番を全部把握してたでしょ」
「……はい」
「なら、置き場所を変えることもできた」
「……」
「それ、誰かに頼まれた?」
由佳はすぐには答えなかった。
沈黙が長い。
だが、最後まで答えは出ない。
「いえ」
そう言っただけだった。
砧はそこに引っかかる。
否定はした。
しかし、妙に間があった。
何かを隠している者の間だ。
その後、砧は伊勢崎と城戸にも話を戻した。
「あなたたちは、望月さんに何を言われてたんですか」
「再開発の順番だ」
伊勢崎が答える。
「順番?」
「資料の提出順だよ。あいつはそれを盾にして、色々握ってた」
「城戸さんは?」
「私は……」
城戸は一度目を伏せた。
「過去の件を、まだ持ち出されてました」
「どの件だ」
「仕事をやめた時のことです。あの人、私がいなくなってからも、ずっと好きに言ってたみたいで」
砧はそれを聞き、少しだけ眉を寄せた。
やはり、恨みは十分にある。
松永は、それを横で聞きながら静かに言った。
「議会側としては、望月さんにこれ以上騒がれたくなかったのは確かです」
「騒ぎにしたくなかった?」
「ええ。再開発は、表に出る前から揉めるものですから」
「それを上手く隠してたわけか」
「……そういう言い方でもいいです」
砧は全員を見回した。
誰もが、望月に対する不満を抱えている。
そして、その不満の種類が少しずつ違う。
優奈はその場の会話を聞きながら、資料室の棚へ視線を向けた。
「砧」
「なんだ」
「この事件、たぶん一人が全部やったわけじゃない」
「え?」
「いや、実行は一人でも、周りがそれぞれ小さく手を貸してる可能性がある。少なくとも、そう見せられる」
砧は眉をひそめた。
確かに、今のところ皆が少しずつ怪しい。
だが、その怪しさが事件の本線かどうかはまだ不明だ。
「桐谷由佳が中心なのは、少し見えてきたな」
「ええ。でも、まだ確定じゃない」
「じゃあ、次か」
「そう。次で、書類のどこがズレたのかをはっきりさせる」
砧はその言葉に頷いた。
現場の空気は重い。
しかし、その重さの中に、確実に人為の匂いがある。
問題は、それがどこで生まれたのかだった。




