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七五三田優奈の観察録  作者: 有馬 茶


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19/22

【足跡のない資料室】綻び

 砧は聞き取りの内容を机いっぱいに広げ、記録を整理し直した。

 警察の仕事は、派手ではない。

 現場で何かを見つけるより、誰が何を言ったかを、どの順番で並べるかの方が重要なことも多い。

 今回もそうだった。


「望月 浩司は、資料室へ自分で行ったように見える」


 砧が言う。


「でも、行かせた人間がいる」


「ええ」


 優奈は机に肘をつき、資料の束をめくった。


「鍵を持っていたのは早乙女。書類の流れを握っていたのは桐谷。再開発の圧をかけていたのは伊勢崎と松永。恨みがあるのは城戸」


「全員、怪しいです」


「その通り。こういう事件は、怪しい人間が多いほど面倒ね」


 砧は頷く。

 今回、容疑者たちはそれぞれが望月を嫌っていた。

 そのため、会話の中でも互いを疑う。


「俺は、あの人をそこへ行かせる必要なんてなかった」


 伊勢崎が現場で言う。

 だが、声の裏には焦りがある。


「でも、再開発の資料には関わってたんですよね」


 砧が聞くと、伊勢崎は眉をひそめた。


「関わってたから何だ」


「資料の順番を知っていたのは、あなたですか」


「……違う。俺は回覧なんか知らない」


 その返答に、松永がすぐ割って入った。


「知らないなら、口を出さないでください」


「そっちこそ、議会の名前を出して押し通そうとしただろ」


「言いがかりです」


「言いがかりじゃない」


 城戸がそれを聞いて、苦く笑う。


「みんな、望月さんのことを嫌ってたんですね」


「嫌ってたさ。あれで嫌わない方がおかしい」


「じゃあ、誰でも怪しい」


「……そうなる」


 砧は、その会話を全部拾っていく。

 城戸は望月に責任を押しつけられた過去がある。

 伊勢崎は再開発の順番を巡って激しく対立していた。

 松永は議会の圧力をかける立場にいた。

 早乙女は鍵を扱っていた。

 そして桐谷は、書類の流れの中心にいた。


 優奈は現場の踏み台を指差した。


「これ、普通の脚立ね」


「ええ」


「でも、位置がずれてる」


「転倒時に動いた可能性もある」


「そうね。けど、倒れ方と合わない」


「どういうことだ」


「望月さんは、棚から資料を取ろうとして身を乗り出したはず。でも、机の角にぶつかってるなら、最初にバランスを崩した位置が違う」


 砧は現場写真を見直した。

 たしかに、倒れた向きと、棚へ伸びる腕の角度が少しずれている。

 偶然でも説明できなくはない。

 だが、偶然にしては綺麗すぎる。


「誰かが、資料を取るように見せた?」


「たぶんね」


「どの書類だ」


「そこが問題よ」


 優奈は押印済み控えを手に取った。


「この印、少しだけ新しい」


「本当だ」


「しかも、望月さんの確認印なら、本人が見てる。つまり、ここに来る必要があった」


「自然な流れに見せたわけか」


「ええ。でも、流れの作り方がうまい」


 砧は資料を見つめた。

 押印、回覧、控え、確認。

 ごく普通の事務作業が、人を動かすための罠になっている。


「桐谷由佳が怪しくなってきますね」


「静かすぎるのが、いちばん厄介よ」


 そのとき、早乙女が低い声で口を開いた。


「由佳さんは、当夜、俺に二度鍵を返しに来た」


「二度?」


「ええ。最初は資料室。次は控えの確認が終わったあとだ」


「それは変だな」


「そうだろ」


 砧はメモに書き込む。

 二度の鍵の受け渡し。

 その間に何が起きたのか。

 ここに何かがある。


 由佳が現れると、空気が少し変わった。

 相変わらず表情は少ない。

 だが、今朝よりは少しだけ疲れて見える。


「桐谷さん」


「はい」


「二度鍵を返したって本当か」


「……はい」


「理由は」


「控えの確認に時間がかかったので」


「それだけですか」


「ええ」


 砧は、由佳の手元を見た。

 指先が微かに乾いている。

 書類を扱う人間の手だ。

 何度も紙をめくる者の手。


「この書類、あなたが作ったのか」


「一部は」


「一部?」


「回覧に必要な部分だけです」


「なら、誰が押印欄を整えた」


「望月さんです」


 由佳はそう答えた。

 だが、その答え方には、少しだけ余裕がない。


 優奈はその様子を見て、ふと口を開いた。


「ねえ。あなた、書類が戻る順番を全部把握してたでしょ」


「……はい」


「なら、置き場所を変えることもできた」


「……」


「それ、誰かに頼まれた?」


 由佳はすぐには答えなかった。

 沈黙が長い。

 だが、最後まで答えは出ない。


「いえ」


 そう言っただけだった。


 砧はそこに引っかかる。

 否定はした。

 しかし、妙に間があった。

 何かを隠している者の間だ。


 その後、砧は伊勢崎と城戸にも話を戻した。


「あなたたちは、望月さんに何を言われてたんですか」


「再開発の順番だ」


 伊勢崎が答える。


「順番?」


「資料の提出順だよ。あいつはそれを盾にして、色々握ってた」


「城戸さんは?」


「私は……」


 城戸は一度目を伏せた。


「過去の件を、まだ持ち出されてました」


「どの件だ」


「仕事をやめた時のことです。あの人、私がいなくなってからも、ずっと好きに言ってたみたいで」


 砧はそれを聞き、少しだけ眉を寄せた。

 やはり、恨みは十分にある。


 松永は、それを横で聞きながら静かに言った。


「議会側としては、望月さんにこれ以上騒がれたくなかったのは確かです」


「騒ぎにしたくなかった?」


「ええ。再開発は、表に出る前から揉めるものですから」


「それを上手く隠してたわけか」


「……そういう言い方でもいいです」


 砧は全員を見回した。

 誰もが、望月に対する不満を抱えている。

 そして、その不満の種類が少しずつ違う。


 優奈はその場の会話を聞きながら、資料室の棚へ視線を向けた。


「砧」


「なんだ」


「この事件、たぶん一人が全部やったわけじゃない」


「え?」


「いや、実行は一人でも、周りがそれぞれ小さく手を貸してる可能性がある。少なくとも、そう見せられる」


 砧は眉をひそめた。

 確かに、今のところ皆が少しずつ怪しい。

 だが、その怪しさが事件の本線かどうかはまだ不明だ。


「桐谷由佳が中心なのは、少し見えてきたな」


「ええ。でも、まだ確定じゃない」


「じゃあ、次か」


「そう。次で、書類のどこがズレたのかをはっきりさせる」


 砧はその言葉に頷いた。

 現場の空気は重い。

 しかし、その重さの中に、確実に人為の匂いがある。

 問題は、それがどこで生まれたのかだった。

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