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七五三田優奈の観察録  作者: 有馬 茶


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【記録された死】第二章 捜査コンサルタント

【記録された死】

第二章:メインキャラクターのプロローグ

 朝の警察署は、いつだって人の機嫌が悪い。


 砧志朗は、書類の束を両手で抱えたまま廊下を歩き、心の中で三度目のため息をついた。

 朝一番で呼び出され、軽い報告のはずが、なぜか押収品の整理まで回されている。

 これが彼の所属する部署の日常だった。


「砧、お前、ついでにこれもやっとけ」


 デスクの向こうで、年配の警部補が書類を放るように寄こす。

 砧は受け取りながら、表情を変えずに返した。


「ついでが多すぎます」


「若いんだから動け。どうせ自然死だから事件性もない」


「若いから動くんじゃなくて、仕事だから動くんです」


 警部補は鼻で笑い、もうそれ以上相手にしないという顔をした。

 砧は慣れている。こういうとき、真正面からぶつかっても得をしない。

 だが、言うべきことは言わないと気が済まない性格でもあった。


 机に戻ると、スマートフォンが震えていた。

 画面には、見覚えのある名前が表示されている。


 ――古沢先輩。


 砧が警察学校時代から世話になっている先輩で、今は別の署にいる。

 彼は電話に出るなり、軽く笑った。


「元気か、砧。相変わらず損な役回りばかりしてるだろ」


「お見通しですね。それで、今回はどうされたんですか?」


「先日話した件だ。そろそろ七五三田さんに頼ってみたらどうだ」


 砧は少しだけ目を細めた。

 その名は、先輩から一度だけ耳にしたことがある。

 警察の人間ではない、妙に調査や事件の勘が鋭い女。しかも、面倒なことは嫌いだが、金になれば動く。

 自称“コンサルタント”らしい。

 良く言って、普通の協力者とは少し違う人物だと聞いていた。


「七五三田優奈……」


「そうだ。あの人は、頭の回転が速い。代わりに、人の気持ちにはあまり興味がない」


「……それ、褒めてます?」


「褒めてる。お前みたいに妙な義理で動くやつには、ああいう人が必要だ」


 砧は返事をしなかった。

 否定できないからだ。


 電話を切ったあと、彼はしばらく天井を見上げていた。

 そして、先ほどまでの理不尽な書類の山に視線を戻す。


「……本当に、必要なんですかね」


 その言葉は独り言だった。

 だが、今日に限っては、妙に重く響いた。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 七五三田優奈は、高級カフェの窓際席で、砂糖の入っていない紅茶を指先で揺らしていた。

 店内は静かで、やわらかいジャズが流れている。

 周囲には仕事の打ち合わせらしき男女が数組いたが、優奈は一切気にしていない。

 そもそもまるで視界にすら入っていないようだった。


 小柄な身体に、飾り気のない黒のワンピース。

 長い睫毛の奥で、彼女の目は退屈そうに半分だけ伏せられていた。

 見た目だけなら、気品のある若い女性に見えるかもしれない。だが、その実態はかなり違う。


「お久しぶりです」

 彼女は何も話さなかった。

 挨拶へのリアクションは無かったが、砧は本題の相談したい事件に関して話し始めた。


「最低報酬は10万円」


 向かいに座る砧が事件の概要を話し終える前に、優奈は言いきった。


「……いきなりそこですか」


「そこよ。私が事件を解くのは慈善事業じゃない」


 砧は感情をグッと堪え苦笑しながら、今朝の書類の中の一つにあった事件に関する手元のメモを見た。

 死んだのは榊原アート財団の理事長、榊原修也。急死に見えたが、状況に不審点がある。

 そして、現場には理事長に呼ばれていた黒瀬里奈という経理担当がいた。


「病死のように見えるが、俺は違う気がしてる」


「あなたの“気がする”は、どのくらい当てになるの」


「少なくとも、放っておくと後悔する程度には」


 優奈は初めて顔を上げた。

 砧のその言い方を、少しだけ評価したらしい。


「ふうん。で、依頼主は警察?」


「厳密には、俺だ」


「私的依頼ね」


「そうなる」


「なんでもいいけど、面倒な案件なら値段が上がるわよ」


「先輩から話は聞いている。最初からそれも想定していた」


 優奈は紅茶を一口飲み、少し考えるように目を細めた。

 事件を語る砧の声には、変に感情が乗っていない。

 だからこそ、逆に彼が本気で気にしていることが伝わる。

 そういう人間は、少しだけ信用できる。優奈にとっては、かなり珍しい評価だった。


「で、その財団理事長は、誰かに恨まれていた?」


「それはありそうだ。弟がいて、経理担当がいて、広報がいて、外部監査もいる。全員が何かしら抱えてる」


「全員怪しいと、だいたい本当に怪しいのは一人だけなのよね」


「それがわかるなら助かる」


「まだよ。でも、死因が自然死に見えて、現場が整いすぎてるなら、たぶん“仕組んだ”のはいる」


 優奈の声は淡々としていたが、その目はすでに走り始めている。

 頭の中で、現場の絵を組み立てているのだろう。


「報酬は」


「……10万円持ってきた」


「全然足りないわ」


「おい」


「冗談。今回の事件、5割増しの15万円でどう?」


 砧は少しだけ顔をしかめた。

 だが、優奈はその反応を見て、口元だけをわずかに動かした。


「そういう顔をするってことは、あなたはまだ私を必要としてる」


「必要だよ」


 即答だった。


 優奈はその一言に、ほんの少しだけ目を細める。

 人の誠実さを信用していない彼女にとって、その反応は意外だったのかもしれない。


「なら決まり。行きましょう」


 そう言って立ち上がると、優奈はテーブルに置いたレシートをつまみ、何気なく金額を確認した。

 そして、わずかに眉をひそめる。


「……この店、紅茶の値段のわりに席料を取るのね」


「今、それ気にする?」


「当たり前でしょ。仕事前の無駄遣いは嫌い」


「無駄遣いしに来たわけじゃないだろ」


「私にとっては、あなたの説明が少し無駄だったかも」


 砧は、イラっとした。

 こういう女だ。頭が切れる。だが、切れすぎていて、会話をすると少しだけ人の心を削る。


 店を出ると、外気は思ったより冷たかった。

 砧が車を停めた場所まで歩きながら、優奈はコートのポケットに手を入れ、空を見上げた。


「現場は財団の上階? 一般人は出入りしづらい?」


「そうだ。警備もある」


「ふうん。なら、単純な侵入犯じゃなさそうね」


「俺もそう思う」


「死体が一つで、皆が言い訳を持ってる事件は、だいたい面白い」


「面白いって言うな」


「じゃあ、興味深い」


「そっちもどうかと思う」


 砧が運転席に回り込む。

 優奈は助手席のドアを開けながら、もう事件のことだけを考えていた。


「ところで、死んだ理事長の名前は」


「榊原修也」


「家族は」


「弟の恒一。他当日同じフロアにいたのは経理の黒瀬里奈、広報の三浦沙耶、運転手の牧野誠、監査役の天城俊也」


 優奈はその名を順に復唱した。

 事件概要を頭の中で浮かべているかのように少し上を向きながら、最後に小さく言う。


「黒瀬里奈ね」


「気になるのか」


「いえ」


 優奈はシートベルトを締め、口の端だけを上げた。


「ただ、こういう事件で最初に静かな人間は、たいてい何かを知ってるのよ」


 砧はエンジンをかけながら、横目で彼女を見た。

 その横顔には、もう仕事人の表情がある。

 冷たく、正確で、そして少しだけ楽しそうだった。


 車は静かに走り出す。

 榊原アート財団へ向かう道は、まだ朝の光に薄く照らされていた。

 だが、そこで待っているのは、光の似合わない事件であることを、二人はもうわかっていた。

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