【閉ざされた楽屋】 それは何の協力費
【閉ざされた楽屋】
第七章:締め
事件が片づいた翌朝、砧志朗は警察本部の廊下で、珍しく深いため息をついていた。
手には事件報告書。
頭の中には、昨夜の自白と、今朝の上層部の妙に張りつめた顔が残っている。
「砧」
背後から呼ばれて振り向くと、捜査一課の管理官が腕を組んで立っていた。
「お前、例の件どうだった」
「どうだったも何も、終わりましたよ」
「そうか。じゃあ報告書、三部出せ」
「……三部もいるんですか」
「いる。上が読む。課長が読む。うちの経理が読む」
「経理は関係ないでしょう」
「ある。高い報酬を払うんだから、領収処理が必要だ」
砧はそこで、嫌な予感を覚えた。
いや、もう半分はわかっていた。
「……報酬、やっぱり高かったですよね」
「高い。かなり高い」
「そういえば、何で上層部が今回動いてたんですか」
管理官は少しだけ口ごもった。
そして、まるで大した理由ではないかのように、視線を逸らして言った。
「上層部のひとりが、あの劇団の昔の芝居の大ファンだったんだ」
「……は?」
「いや、正確には霧島銀次の“舞台演出の頃”からのファンだな」
「それ事件と関係ありますか」
「関係ない。だが、ある人がやたら熱くなってな。『多くの市民の日常に活力を与えてきた劇団だ、こちらも礼を尽くせ』とか言い出した」
「礼を尽くすって……それで正式調査だったんですか」
「そうだ」
砧は一瞬、言葉を失った。
「なんですかそれ」
「わからん。俺もわからん。だが、あの人は若いころ芝居をやっていたらしい」
「まさか」
「まさかだ。だから今回、費用をかけてでも正しい調査を、という熱い想いだったらしい」
砧は天を仰いだ。
重い事件だと思えば、そんな個人的な趣味が混じっていたとは思わなかった。
「じゃあ、上の連中が妙に真剣だったのは……」
「事件の重さでも複雑さでも政治でもない。一人の舞台への思い入れだ」
「くだらねえ……」
「聞かなかったことにする。」
そこへ、別の若い刑事が資料を抱えて走ってきた。
「管理官、請求書の件ですけど、これ、なんで“舞台協力費”なんですか」
「知らん。それで書けとの指示だ」
「いや、普通は捜査協力費でしょう」
「“舞台協力費”のほうが上が通りやすいらしい」
「通るんですか、そんなの」
「聞くな」
砧は唖然とした。
事件そのものは決して笑い話ではない。
だが、警察内部の事務処理だけを切り取ると、妙にくだらない。
「つまり、七五三田さんに高い報酬が出たのは、上が芝居好きだったからか」
「要約するとそうだ」
「……ふざけてますね」
「……だが、事故で片付けられそうな事件の真実を明るみにできた。」
砧は書類を脇に抱え直し、そのまま廊下を歩き出した。
途中、別の部署の係長が顔を出してくる。
「砧、この間の捜査で高額請求かましたって本当か」
「まぁ……そうらしいですね」
「何があったらそんなことになるんだ」
「俺も聞きたいですよ」
「で、犯人は?」
「見つかりました。ちゃんと」
「ならいい。今度、うちにもその協力者安く紹介してくれ」
「無茶言わないでください」
どこまで本気だったのか、係長は去っていった。
砧はその背中を見送りながら、頭をかいた。
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その夕方、砧は七五三田優奈と喫茶店で向かい合っていた。
彼女はスマホで通帳を見て、満足そうに目を細める。
「やっぱり良いわね」
「お前、本当にお金しか見てないだろ」
「そこが一番大事だから」
「今回上が動いた理由、なんだったと思う?」
「……確かに妙ね」
「芝居好きの上司が、妙に義理を通したらしい」
優奈は一瞬だけ固まり、それから目を細めた。
「……何それ」
「俺もそう思う」
「警察って、もっと硬い組織かと思ってたわ」
「硬いのは表面だけだな」
「中身は柔らかいのね」
「腐ってるともいえる」
「それは知ってる」
二人はしばらく黙っていた。
やがて優奈が、カップを置きながら言う。
「まあ、いいわ。高報酬なら何でも」
「結局そこか」
「当然でしょ」
砧は苦笑した。
事件は終わった。
真柴梓は連れて行かれ、霧島銀次の支配ももうない。
警察の中では、なぜか“舞台協力費”という妙な名目だけが残った。
「今回の事件。そんな複雑じゃなかったんだから次はもっと安くお願いしたい」
「無理ね」
「なんでだ」
「それはそれ、これはこれ。嫌なら上層部を説得し続けなさい」
優奈はそう言って、黙った。
その顔は相変わらず冷たい。
砧はコーヒーを飲み干し、ゆっくり立ち上がった。
「もう行くな」
「ええ。頑張ってもっと高額案件を拾ってきなさい」
砧は言い返そうとしたが、そっと口を閉じた。
警察の中の妙な事情も、上層部のくだらない采配も、すべてひっくるめてこの事件だったのだろう。
そう思うと、気が抜けた。
店を出ると、街はいつも通りに動いていた。
事件のあとに残るものは、犯人の自白だけじゃない。
多くの人が関わるがゆえに、どうでもいい話も一つ二つ出てくる。
今回はそれが、警察内の妙にくだらない大騒ぎだっただけだ。
砧は少しだけ笑って歩き出す。まだ事件は他にもある。
七五三田優奈は、そんな彼の背中を無表情で0.3秒ほど見つめていた。




