【閉ざされた楽屋】 異例の高額報酬
『閉ざされた楽屋』
第二章:メインキャラクターのプロローグ
七五三田優奈は、朝から機嫌がよくなかった。
正確に言えば、機嫌がいい日などほとんどないのだが、今日は特に表情が冷えていた。
砧志朗が待ち合わせ場所に選んだのは、警察本部近くの静かなカフェだった。
窓際の席で優奈は、砂糖の入っていない紅茶を前に、資料の束を眺めている。
小柄な身体を椅子に沈めるように座り、ときおり周りを見つめる。まるで世の中の全員が自分より少し愚かだと確信しているような顔で。
「で、いくらだ」
砧が席につくなり、彼女はそれを聞いた。
「最初にそれか」
「当然だろ。お前がわざわざ正式依頼って言うからには、相応の価値があるんだろうな」
「ある。上層部が金を出すくらいだ」
「なんだ、最初からそう言え」
砧は苦笑した。
こういう女だ。
事件の説明より先に、金の話をする。
だが、その現実感覚が、彼女の強さでもある。
「舞台俳優の事故死。被害者は霧島銀次という男」
「事故死?」
「現場は劇場の舞台袖。転倒して、そのまま亡くなったことになってる」
「ふうん」
優奈は資料をめくりながら、何も言わなかった。
だが、ページを追う速度が少しだけ早い。
彼女なりに興味が出ている証拠だ。
「被害者はどういう男だ」
「どうやら支配的なリーダータイプで、劇場を自分のものだと心から思っていたらしい」
「なるほど。嫌われるには十分ね」
「……正直な」
「犯人候補は」
「制作担当の真柴梓が、一番怪しい」
「静かな女らしいな」
「ええ。仕事はできるが、何を考えてるかわからない印象だ」
「それは怪しまれるわね」
優奈はすぐにそう言った。
何を考えているかわからない人間は、だいたい何かを隠している。
彼女の中では、それはほぼ同義だった。
「上層部が本気で金を出すくらいなら、よほど面倒な案件でしょうね」
「そうだ。だから来た」
「いいわ。面倒なほど解きがいがある。何より高額報酬が確約されたようなものだしね」
優奈はそう言って、レシートを確認した。
「それにしても、この店、紅茶高いわね」
「またそれか」
「当然でしょ。無駄な出費は嫌い」
「高い報酬をもらう人の台詞じゃないな」
「高い報酬をもらうからこそ、無駄遣いが嫌なのよ」
砧は少しだけ笑った。
この女は、こういうときだけ妙に現実的だ。
車に乗り込むと、優奈はすぐ窓の外を見た。
劇場へ向かう道は朝の光で明るいが、その先にあるものは明るくない。
人が集まる場所ほど、裏では泥が溜まる。
彼女はそういう場所が嫌いではなかった。
綺麗な顔をした人間が、どこまで汚れているのかを見るのは、少しだけ面白い。
「で、霧島銀次はどういう男だった」
「ろくでもない男だ」
「随分はっきり言うわね」
「現場で聞いた印象だ。周りを見下してる。裏方を使い潰すタイプだな」
「それは確かに嫌ね」
「だろ」
「でも、そういう男ほど、周りに恨まれる」
「そういうことだ」
優奈は資料の最後のページに目を落とした。
現場写真。
舞台袖。
ケーブル。
転倒位置。
そして、真柴梓の証言。
「この女ね」
「気になるか」
「話が少なすぎる」
「それだけか」
「それだけで十分よ。静かな人間は、二種類いる。何も知らない人間か、知りすぎてる人間か」
「で、どっちだ」
「まだわからない。だから面白い」
砧は、その言い方に少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
優奈は、お金だけではない。面白い事件ならより動く。
それだけは信頼できる。
劇場はもうすぐだった。




