え?
夜。寮の部屋の窓はぱたぱたと音を立てていた。
大雨だ。だけど、落ち着いて本を読む時には雨の匂いがするくらいがちょうどいい。
昼間は太陽が照ってたし、あつらえたみたいに良い日じゃないか。
「おんまはみんな、ぱっぱか走る、ぱっぱか走る……」
ガーネットはベッドの下に座って、髪を撫でながら、聞いたことのない歌を歌ってる。
そして、たまに目の前の瓶を傾けて中のものを手に伸ばして、また歌いながら髪を撫でていた。
中に花びらが浮かぶそれは、昼間にガーネットが買わされたもの。
「……ガーネット、その精油使って大丈夫なの?」
「はい! 髪の毛、うるうるになりそうです。とてもいい感じです!」
ガーネットの指さばきはまるでハープを弾いてるみたい。
細い指に黒い髪が絡んで、伸ばされて。
その動きを繰り返しながらも、ガーネットは「うふふ」って、笑って言った。
「これ、売ってくれたのはルゥくんのお父さんですけど、作ったのはルゥくんらしいんです。『せめて少しでもいい商品を使ってほしくて』って言ってました!」
「ああ……」
なるほどな。
詐欺に加担してしまうなら、せめて良い物を渡したいってことか。
ずっと、このままじゃ良くないって思ってたんだな、あいつ。
「本当にいい匂いです。お花畑にいるみたいです!」
それだけ言って、ガーネットはまた髪を労わるのに集中し始めた。
紫の小さな花びらが散った、濡れた黒髪は、まるで物語に出てくるお姫様みたいだった。
こういう所を見ると、ガーネットってすっごく女の子なんだなぁって思っちゃう。
普段何事にも無頓着に見えるけど、実は自分磨きに余念がない。
ボクだって必要な時はメイクくらいするけど、鬱陶しいだけだ。
でもガーネットが髪を労わるのは、楽しいからやってるだけに見える。
そういうガーネットの側面に触れた時、思うことがある。
ガーネットとボクは真逆の存在だ。
ガーネットは歌っているのに、ボクはもう疲れて一歩も動けない。
こいつは明るくて元気で、背がすとーんと高くて、女の子らしい。
一方のボクは暗くて、すぐ疲れて、ちびで……。
こいつは素直で。
ボクは、ひねくれてて。
だからボクには、ガーネットが眩しい。
でも、でもだ。
今日からは違う。
ボクを孤独から救ってくれたガーネット。友達って言ってくれたガーネット。大好きだって言ってくれたガーネット。
そんな彼女を、ボクだって。
守れるんだ。守ったんだ。
詐欺師から、取り返したんだ。彼女のお金を。これからも変わらない毎日を。
ガーネットに救われるだけじゃない。胸を張って、共に歩けるんだ。
「おんまはみんな、ぱっぱか走る……」
「ご機嫌だな、ガーネット」
水を差すつもりはなかったけど、つい口に出てしまった。
嫌な感じだったかなって思ったけど、ガーネットは気にしてないみたいで、さらさらと指を動かしながら言った。
「だって最近、いいことばかり起きるんです」
「いいことって?」
「それはもちろん、毎日ノエルさんと一緒に居られるし! 昔は二週間に一度会うかどうかでしたよね。私、次にいつガーネットさんに会えるかなーって楽しみにしてたんです。それが、今は毎日お泊り会! ふふふ、今までの人生で、こんなに楽しいことはありません!」
「あはは、言いすぎだって」
「あとあと、リンベルさんやスイカさんとお泊り会も出来ましたし。新しいお友達も出来ましたし! ルゥくんにも会えた! それから……」
指を追って出来事を並べてたガーネットが、ふと動きを止めた。
珍しいな? こいつが言いよどむなんて。
どちらかというと、言っちゃいけないことを言って、後から反省するタイプ……。
「えーと、ノエルさん。私って、誰にでも会っていいんでしたよね?」
え?
「うーん、そうですよね。この前確かに言ってました、ノエルさん!」
ガーネットは一人で納得してる。
ボクはゆるんだ頭で、ガーネットの言葉を後から追いかけた。
それって、この前のお泊り会での話だ。
確かにボクは、ガーネットに、誰にでも会っていいって言った。
だって、ガーネットは。
あいつから。
ハンカチを。
「実はですね、今度、デュオさんと会うことになったんです!」
……。
そっか。うん。別に。
ガーネットは、やりたいことをすればいい。好きな風に過ごせばいい。
ボクは何かあれば守るだけ。今日みたいに。
それはもう決めたこと――。
「で、デュオさんに会ったら、私のことが好きかって聞くんです!」
……。
「それで、デュオさんが私のことを好きなら、なんとですよ」
……。
「『結婚』が出来ちゃうんです。結婚! デュオさんと!」
え。
は?
「あ、もちろん。デュオさんが、私のことを好きって言って、お互いの気持ちを確かめた後の話ですけど!」
……。
「ふふふ。楽しみだなぁ。私の夢が叶っちゃうんです。それも、これも、全部。ノエルさんが私をウエストリアに誘ってくれたからです!」
……。
そっか。
うん。いいじゃん。
ガーネットが幸せならさ。
うん。うん。いいよ。
ボクはそのために頑張ったんだから。
うん。うん。うん。うん。
「なあ、ガーネット」
「はい!」
「ボク、ちょっと、外に出てくる」
「はい! 帰ってきたらまたお話しましょう!」
「だっ……い、じょう、ぶ。寝てて……いい。部屋の明かりも、けっ……消して」
言いながら、ボクは立ち上がって部屋の扉を開けていた。
腹の方から喉にかけて、脈動のようなものが突きあげてくる。
それをなんとか抑えるのが精いっぱいだった。
ボク達の部屋からそこまでは数十歩。だけど、とても遠くに感じる。
外から聞こえる雨の音がざあざあと頭を叩いてるみたい。
足がふらついて、身体が壁にぶつかった。
でも、足が萎えそうだからちょうどいい。
腕を使って、前に進んでいく。
「こぷっ」
口の中が熱くなって、上を向いた。
前が見えないまま、ボクは進んだ。もはや猶予はない。
手が空を掻いた感覚を頼りに道を曲がる。
手の感覚を頼りに進んでいくと、足先がそこに当たった。
感覚で分かる。それは、小さな個室に据え付けられた開口部。
そこに向かって、ボクは。
「おえええええええっっっ……」
杯がひっくり返ったように、ボクの中のものがどぼどぼと落ちていく。
喉を焼く痛みに涙が出てきて、それも穴の中に吸い込まれていく。
粘ついた音は、さっきよりも強くなった雨の音に混じって溶けた。




