ノエルは満足している。
取り返した。取り返した。取り返したっ!
ボクが、このボクが、たった一人で、ガーネットのお金を!
懐が重い。だけど足取りは軽い!
頭からじわりと何かが降りてきて、びりびりしながら全身に広がる感じがする。
すごくいい気分だ。
ボクは……ボクはやっと、ガーネットを守ることが出来た!
正直、うまく行きすぎた、と思う。
あいつらの名前を知れたのだってボクが酒場の裏でうじうじしてたからだ。自分から集めた訳じゃない。
会話を元にした推論だから呼び間違える可能性もあった。実情は綱渡りだ。
でも、全部終わったことだ。
乗り切ったんだ。やり遂げたんだ!
ふと、前を歩く人の目線に気付いた。
見られてる訳じゃない、と思う。通行人に対して、普通にするような目だ。
だけど、その目は浮かれているボクの心を現実に引き戻した。
喜んでもいいさ。だけど、注意だけはしておかないとな。目立たないように。
露店街の方に道を曲がる。ガーネット、大人しくしてるかな。
いや、それより。
どんな顔するかな。お金を見て。
喜んでくれるかな。褒めてくれるかな。
……だめだ。想像するだけで顔がにやけちゃうよ。
浮かれるな、ノエル・リンウッド。お前はガーネットからのお返しを期待して動いた訳じゃない。
親友を守るっていう、当然のことをしたまでなんだ。
ああ、でも……やっぱり、『凄いですノエルさん』なんて言われたら……。
ふわふわしながら歩いてると、牛乳屋が見えてきた。
でも、ガーネットの姿はない。
まあ、ずっと牛乳屋の前に立ってる方がおかしいか。
けどちょっとだけ不安がよぎって、ボクはそのわずかな距離をかけた。
足音で気付いたのか、牛乳屋の店主が顔を上げた。
「おお、お前さん戻ってきたのか」
「あ、あの。あの背の高い女の子は!?」
「そこにいるよ、ほら」
ガーネットだ。居た!
手に杯を持って、石のベンチに座って……。
石のベンチに座って、同じく杯を持った子どもに何か話しかけてる。
ん? 誰だ。近所の子かな?
「お前さん、気を落とすなよ。あの子の金、取り戻せなかったんだろ? でも、世の中捨てたもんじゃないぜ。だってな……」
「お金なら取り戻したよ」
「そう、あの子が……えっ!?」
牛乳屋を尻目に、ボクはベンチへと歩いた。
辿り着く前に、ガーネットがはっとした顔になって、こっちを見た。
そして、「ノエルさーん!」と、手を振って、杯を置いて立ち上がった。
いつもと同じニコーッとした表情に、なんだか泣きそうになってくる。
ボクの涙を止めたのが、ガーネットの隣に居る子どもだ。
ガーネットと同じように立って、なんだか、ボクを見て顔色を悪くしてる。
なんでなんだ? よくわからない。
けど、とりあえず。
「ノエルさん、お帰りなさい!」
「ガーネット。ほら、手を出して」
「はい、こうですか」
にゅっと伸びてきた手に、袋を乗せた。
ガーネットは、最初それが何なのかわかってないみたいだった。
それを不思議そうに見て、二、三、首を傾げた後、その眼が一層大きく開いた。
「ノエルさん、これ!」
「ああ、取り返してきた。なんとか」
「わああ!」
「わっぶ!?」
暖かいもので視界が塞がって、柔らかいものに巻き付かれた。
身体が左右に揺さぶられる。
だ、抱き着かれてるんだ。外なのにっ!
「ありがとうございます、ノエルさん! これで帰ってからも節約しないで済みます。本当にありがとうございます!」
「い、いいから、ガーネット! 離してっ」
「はい、すみません!」
ボクはすぐに解放された。
……理性を恨んだことは初めてかもしれない。
ガーネットからの称賛、もうちょっと味わっても良かった。
だけど。
「お金、取り戻したんだ……」
すぐ横に、子どもがいるんだよ。
子どもは直立不動でこっちを見てる。お金のことも知ってる?
なんとなく、怯えた目だ。
本当になんだ? 別に、耳はキャスケットで隠れているし、見た目のことじゃないはずだ。
「ガーネット、この子は?」
「この子はルゥくんです!」
ガーネットは片足を上げて、子どもの肩に両手を置いた。
ああ、ルゥくんね。ルゥくん?
「お前、ガーネットを騙した奴じゃないか!?」
ボクは、その子ども――ルゥに詰め寄った。
でもその瞬間、ルゥの頭がひゅっと下がった。
「ごめんなさいっ! ガー姉ちゃ、じゃなくて、ガーネットさんに迷惑をかけましたっ!」
「ルゥくん、ガー姉ちゃんでいいですよ。ガー姉ちゃん」
「おれが、おれが弱かったから。悪いと思ってたのに。ガーネットさんが父ちゃんにお金取られるの、黙ってみてたっ。本当にごめんなさい!」
「ガー姉ちゃんって呼んでぇ」
本当に何なんだ?
何が起きてるのか、飲み込めない。
「驚いたろ?」
牛乳屋の店主が、いつの間にかそばに立っていた。
「お前さんがここを離れてから、嬢ちゃんはルゥの奴を見つけて、捕まえに行ったんだ。目にもとまらぬ速さだったよ。ボルダーから金を取り戻したお前さんといい、あんたら何者なんだ」
「えっと……」
「でもよ、その後はもっと驚いたよ。その後嬢ちゃんはルゥと仲良く歩いてきて、『牛乳を二杯くださいな』つったんだからな」
どこまで身分を明かすか迷ったけど、大した疑問じゃなかったみたいだ。
牛乳屋の店主は手首で頭をかいて続けた。
「まあ、俺もあんたらの事情は分かってたんだが、ルゥの奴、俺にも頭下げてきてな。迷惑をかけてすまないって。あんたにも、それから、今まで自分が迷惑かけてきた人にもなんとかして償いたいって。どうも嬢ちゃんにこってり絞られたみたいだよ」
「……えぇ?」
ガーネットが、人を叱った? まさか、そんな。
「ルゥの奴、しっかり反省したみたいでなぁ。悪いのはガキ使った仕事してたボルダーだってのによ、ま、そういうこった」
それだけ言って、牛乳屋はまた店の方に歩き始めた。
いい人だな、さっぱりとしてて。ちょっと唐突だけど。
ルゥの奴は、まだ頭を下げていた。
ガーネットが背中に手を置いてる。
「おい、お前……えーと、ルゥ、でいいのか」
「はい!」
ルゥはびっと頭を上げた。
顔が、こわばってる。
多分、本当に反省してるんだろう。
そうだな。
親が、悪い奴なんだ。
それに関しては、ボクは何も言えない。
ボクは、恵まれすぎてる産まれだから。
しかも恥ずかしいことに、さっきまでそれをはっきり認識してなかった。
そんなバカが何を言えるって言うんだよ。
「ルゥ。お前、親に逆らって大丈夫なのか」
「え?」
目の前の緊張した顔が、拍子抜けって感じに変わった。
叱られると思ってたんだろうな。
ルゥは、つっかえながら言った。
「そ、その、父ちゃん、おれに優しい所もあるから、大丈夫だと思う。思い、ます。たぶん、自分で食い扶持見つけるって言えば、許してくれる」
「食い扶持って……大丈夫なのかよ。まだ子どもなのに」
「うん、牛乳屋のおっちゃんも、色々考えてくれるって言ってくれたから」
「え!?」
ボクは思わず牛乳屋の屋台の方を仰ぎ見た。
店主は果物を湯気が立つ鍋に入れている。
本当にいい奴じゃないか、あの人!
何か、この辺りで力を持ってる人なのかな。
そういえば、露店の立地も良い気がするし、色々商売をやってたみたいな話をちらっとしてた気がする。
――とにかく、ルゥのことは心配なさそうだ。
「……わかった。うまくやれよな。もう、ガーネットみたいな子を騙したりするな」
「はい!」
迷いのない声。
きっとこいつは、もう何があっても大丈夫なんだろう。
……でも、心配だよな。
ボクはルゥの頭に、軽く手を置いた。
ルゥはガラス玉みたいな目をぱちぱちして、こっちを見てる。
なんだろう。なんというか……。
色々、してあげたくなるな。
「いいか、ルゥ。これからお前は決して腐ったりせず――」
言いかけたその時、白い手が横から伸びてきた。
「え――」
「ノエルさんも撫でたくなりますよね、ルゥくんのこと!」
「……ガーネット、水差さないでよ」
まあ、わかるけど。
手に伝わる髪の感触は柔らかくて、触ってるだけで気持ちいい。
「あ、あの、ガー姉ちゃん、ノエルさん」
「ガーネット、ぐしゃぐしゃ撫でないで手ぐししてやりなよ。ほら、こんな感じ」
「くしくしするんですね! こう?」
ルゥの髪を指ですくと、ガーネットの手もボクにならった。
髪の毛、ちょっとはねてるな。ここは何度も往復させて……。
「そうそう、耳にかける感じで」
「や、やめてよっ!!」
「ひゃあっ!」
ルゥが手をぶんぶん振り回しはじめて、ボクたち二人とも離れた。
びっくりした。
ルゥを見ると、顔が真っ赤になってる。
あっ、そうか。
ルゥは、男の子だ!
ボクはともかく、ガーネットにぺたぺた可愛がられたら……。
なのに、ボクったら何も考えずに二人で触って。
悪いことをした。謝らないと。
「悪かった、ルゥ。恥ずかしかったよな、ごめん」
「は、恥ずかしくなんかないっ」
そう言ってルゥはそっぽを向いてしまった。
そうか、そうだ。ボク、こういうの慣れてないからな。
もっと慎重に、相手の気持ちを重んじて――。
「ふふふ。ノエルさん、可愛くないですか? 反抗期ですよ、反抗期! 発達過程にある子どもの特徴です!」
「え? ガー姉ちゃ――」
「ちょ、ガーネット!?」
ガーネットが横からルゥの首に手を巻き付けた。
ルゥは目を白黒させてる。けどガーネットは意にも介さない。
「ガーネット、やめとけよ、やめとけ……」
「ああ、お別れしたくないなあ。一瞬、ルゥくんのこと連れて帰れないかなって思ったんですよね! 人に見られそうになったら、ほら、こうやってマントの中に隠しちゃえば」
「ち、ちょっとガーネット!?」
嘘だろ!?
ガーネットが、マントの前からルゥをすっぽり入れちゃった!
「ガーネット! やりすぎ、絶対それ!」
「えー? でもルゥくん、さっきみたいに暴れてないですよ? あ、でもこれ、足が見えちゃいますね。んーと、軽く持ち上げて」
「いいから、出してやれっ。ほら、ルゥ!」
マントの中に手を突っ込んで探ると、湿った空気と布の感触の中で確かに肩を掴んだ。
それを引き出す時、ルゥが倒れ込みそうになって、慌てて支えた。
「ああ、そんな!」
「んん?」
ルゥは目を見開いたまま、カチコチになってた。
ガーネットは「ふむ」と顎に手を当てた。
「もしかして私、ルゥくんのこと壊しちゃいました?」
壊すってなんだよ。
いや、うん。そうだな。
壊れたね。ルゥの中の何かが。
ルゥは、しばらくしてから活動を再開した。ゆっくりと、日差しを浴びた亀が動き出すみたいに。
それからもう少しだけ、ボクたちは三人で話をした。
ガーネットは「ルゥくんと目が合わないー」とかなんとか言ってたけど、当然だろう。何をやってるんだこいつは。
だけど、そろそろ日が沈みそうになって別れる時にはルゥは完全に自分を取り戻したみたいで。
ボクと、手を振りまくるガーネットに、「ありがとう」って言ったんだ。
初めての王都は、ガーネットといつも通りって訳にはいかなかった。
沢山買い物をする訳にも、いつもみたいに街を歩き続ける訳にも。
だけど。今日という日は、それ以上の価値があった。
きっと、物語ほどじゃないかもしれないけど。
王都で起きたことは。
凄かった。怖かった。楽しかった。
そして。
ここに来るまでに抱いていた気持ちなんて、小さいものだった。
本気でそう思えたんだ。




