ボクだけの力で。
扉が大きな音を立てて開いたら、こいつらは静まるかと思った。
だけど違った。
一番近くの机に居た奴が目線をやっただけ。
内心ドキッとしたけど、そいつはヘラヘラした顔で片方の眉をひそめて、また自分のテーブルに顔を戻した。
うん。
想像してたよりは普通の奴らだ。
顔に傷があって怖い顔をしてるとか、そんな感じじゃない。
それは、ボクの中の……き、恐怖心を拭うほどの慰めにはならないけど。
だけど、酒場の奥から声が聞こえてきたんだ。
「――今まで生きてきてあんなに仕事がうまくいったことはねぇ! まさに箱入り娘って感じだったな。さっすがウエストリアの学生様だ。世間知らずのカモ……」
息が止まるほどの怒りで周りが見えなくなる。
ダメだ。これは本当にダメだ。
早く、早くあいつを黙らせないとっ!
澱んだ空気の中を真っ直ぐ歩いて行く。
酒臭くて気持ち悪い。
けど、そんなの知ったことか!
椅子にだらけて座ってる、大人の男。
ヘラヘラしながら丸テーブルに着いてる他の奴と喋ってる。
ボクが目の前にいるのにまったく気づいてない。
ふざ、けるなっ!!
ボクは男の前の机を叩いた。
手がじんとする。
その代わりに、男がボクに気付いた。
「なんだぁ? このガキ」
とうとう、始まってしまった。
会話だ。ガーネットから金を奪った奴との。
――不安になるな。
ボクなら出来る。ガーネットを守る。
それだけがボクのすべきことなんだ。
「お前、金を取っただろ。女の子から」
「……金?」
男は片方の唇を上げて、ひらと両手を広げた。
「何のことやら」
忍び笑いが起きた。
落ち着け。ここできょろきょろ、不安げにでもしてみろ。
それこそ呑まれておしまいだ。
ボクは机に、今度は鉄拳を降ろした。
だん、と音がして、今度こそ奴らは静まり返った。
今だ。
机によりかかったまま、男を睨み付けながら――。
「――今なら、金を返すだけでいいんだぞ。それだけで穏便に済ませてやる」
ボクの言葉を聞いた男は、目をきょろきょろとさせた。
そして……。
「ぷっ」という破裂音の後、口元が、歪んだ。
「あはっ、あっはっはっ!! はっはっはっはっは!!」
男に釣られてか、酒場の中が笑いに包まれた。
頭の中が急激に上擦るような感覚がする。
顔に血が集まっていく。
喉が縮まるのが分かる。
ボクは今、笑われている。
「マジかよ、いひひっ、こんなガキがよぉ、いひひひっ」
「『今なら穏便に済ませてやる』だってよ」
「ぎゃははははっ!!」
哄笑。
それは静まり返ることはなく続く。
ボクは聞こえてしまう耳を持ってるから。
昔から陰口を聞いていたから、こういった嘲りには慣れていると思ってた。
だけど、違った。
陰で笑われる事なんてしょせん、ボク程度が耐えられるものでしかない。
これは、悪意だ。
人の悪意。面と向かってぶつける悪意。
それを隠さず突き付けられたことは、ボクにはない。
少しずつ、鼻にツンとしたものが溜まっていく。
今すぐここから消え去りたい。
後で笑われたっていい。こいつらなんかの前で涙を流すよりマシじゃないか。
お金は……。
そうだ。ボクが出してガーネットには「取り返した」って言えばいい。
うん、いい考えじゃないか?
それなら誰も、困らない。今まで通りになる。
ボクならお金をこっそり出しても大丈夫だ。だってボクは――。
『公爵令嬢なんだから』
――は?
一瞬、自分が何を考えたのか分からなかった。
その言葉をもう一度なぞると――内蔵が冷える感覚がした。
頭のてっぺんから寒気が走って、ぶつぶつと鳥肌が立つ感覚がした。
一体何を考えてるんだ、ボクは?
公爵令嬢だから、金を出せる?
ボクが稼いだ金でもないのに、産まれ持った地位でしかないのに。
ボクはこの地位に産まれてきたことを恨んでもいたのに!?
そんなことが頭をよぎるのか!?
負けて、逃げて、親友には勝った振りを取り繕うのか!?
父さまの立場と財産を使って!?
ボクはなんなんだ?
リミエールにも、ヴァルナートにも格の違いを見せられて、落ち込んで!
それでもガーネットを守るって決めたのに、いざとなったらそんなことを考えるのか!!
違うだろ!! こいつから金をきっちり取り返す。
ボクだけの力でだ!!
その為にどうするかに力を尽くすべきだろう!?
――考えろ。ボクに出来る唯一の事がそれだ。
こいつらを説得する? 無理だ。最初からそんな相手じゃない。
取引する? 違う、奪い返すんだから取引なんて必要ない。
じゃあ、脅す?
うん、それだ。それしかない。でもどうやって?
出来ないなんて考えるな。頭を振り絞って考えろ!
ボクが持つ脅しの道具は。
リンウッドの名前――。
使わないぞ、そんなもの!
ボクはこいつらの知らない相手のまま圧倒する――。
――こいつらの知らない相手?
ぷん、と一本の糸が、頭の中で張った。
知らない。
そうだ。こいつらはボクを『知らない』。
だけどボクは――『知ってる』。
例えば、テーブルの向かいにいる男。
こいつの名前は――。
「……ニール」
そうだ。こいつは賭けカードの話をしていたはずだ。
その中で何度もニールと呼ばれ、今と同じ笑い声を出していた。
我関せずという感じでグラスを磨いている、バーテンダーの名前は。
「……ピート」
こいつは間違いない。何度も酒を注文されていた。名前を呼ばれながら。
奥のソファでだらけて座って笑ってる奴らは。
「ノミ、デイヴィス、ビンゴ、エルマ、ウェルス、」
ひとつひとつ、顔と名前を照らし合わせながら言う。
知ってるぞ。
ボクは、しばらく裏口でうじうじしてたんだ。
その間一人一人の喋り声を聞いてた。こいつらが話してたことも、ぜーんぶ聞こえてる。
どう呼ばれて、どう答えたのかも。
全部"聞き分けられてる"んだよ、ボクにはな。
気づけば、耳に届く嘲りが小さくなっていた。
奴ら、ボクの顔を見ている。
どうして? って、思ってるんだろうな。
何故いきなり現れたボクが、こいつらのことを知っているのか。
それを想像させる。推理させる。
ひとつ。ボクはボルダーに金を返せと言った。
ふたつ。ボクは既にこいつらの情報を握っている。
そこから推測できることは?
そうだ。脅してるんだよ。ボクは、お前らのことを。
……嘘だけど。ハッタリだけど。情報を握ってるのも、偶然だけど。
でも、それでいい。
スイカによるとボクは、ウエストリアでは、『謎多き孤高の公爵令嬢』として通っている。
それと何も変わらない。
「誰か二階のアダムに水を持っていってやれよ。苦しそうにしてるから」
小さくざわめいた。
もう誰も笑ってない。
誰もがボクを見ている。
と、一人、剣呑な顔の男が立ち上がろうとしているのが見えた。
こいつは確か……。
やばいやばい。えっとぉ、確か。
「――宝石の話は、後でお前に聞けばいいのか?」
剣呑な男の顔が驚きに染まった。
そうだ。こいつは宝石を捌くとかなんとか言ってた奴だ。
ついでに脅しも入れておく。
「そんなにボクと話したいなら……後でウチの奴らを迎えに行かせるが」
――少し嘘くさいか?
って、思ったけど、男は剣呑としていたのが嘘みたいに緊張した顔で座り直した。
よし、それでいい。
ボクは改めてあたりを見渡した。
困惑。ほんのわずかな恐怖。一言で言えば、その場の空気はそんな感じだった。
でも、まだ足りない。
まだ敵対心を持って目線をぶつけてくる奴もいる。
ボクのターゲットであるボルダーもその内の一人だ。その目は、訝しさと、意地の悪さに彩られている。
渡したくないんだろうな。せっかく手に入れかけた大金を。
あと、もう一押しがいる。
ちょうどいい位置、ボクの右側に、そいつがいた。
こいつだ。間違いない。
こいつがボクの方に振れた天びんを更に傾ける。
キャスケットのつばに手を置いて、ほんの少し浮かせて、傾けた。
中にある物が、ボクを見上げる男だけに、見えるように。
見下ろしながら、見せてやった。
「ひ――」
男の声から細い声が漏れた。
おばあ様の話をよくしていたお前なら――。
きっと、迷信深いんじゃないか?
古い伝承のことをおばあ様から聞いたことがあるんだろう?
ボクの"獣憑きの耳"を、『凶事の前触れ』だって、思うんだろう?
「ぃあぁぁぁ……!」
細い声は引き延ばして発せられ、男がもんどりうって椅子から落ちた。
男はよたよたと床を這って、ボクを恐ろし気に見た。
辺りが静まり返った。
狙い通りだ。
男が見せた恐怖は――伝播してる!
あと、もう一息。
ボクはテーブルに、さっきみたいに音を立てて手を突いた。
ボルダーはびくりと身体を逃がした。
だけど間髪は入れない。考えさせない。
「あんな大金をぽんと出せる人が、ただの世間知らずだと思ったのか?」
ボルダーの目の瞳孔が、確かに縮まった。
「もう一度だけ言うが――」
ボクは奴に思いきり顔を近付けて、零距離で。
「――今なら金を返すだけでいいんだぞ?」




