ムカつく。なんだよこいつ。イライラする。
「てめぇらぁ! 気合い入れてじ~~~っくりと動けよォ!?」
「オーーッス!!!」
「そこォ! 姿勢が崩れてる!」
「ウッス!!!」
「辛い時こそ根性出しやがれェ!」
「オオオオオオオオーーッス!!」
なんだこれは。
デュオは腕立て伏せをする男たちの合間を抜けながら檄を飛ばしている。
それは、あまりにも、ウエストリアには異質な光景。
まるで、まるで、これは……。
――練兵。
そうだ。ヴァルナート家は、過剰な軍事力を保有することで有名じゃないか。
その子女たるデュオは、学園で父親の真似事をしている、という、ことか。
舞踏会の日にエリカ・リミエールから聞いた話。
奴らは学園に"デュオ派"を引き入れている。
デュオが三公爵のパワーバランスを悪化させる爆弾になる。
その一見荒唐無稽な物語も、こうやって自分の目で見れば、言いようのない現実味を帯びている。
もう決まりだ。ガーネットをデュオに近付けちゃいけない。
目的は達した。これ以上の長居は無用――。
あとは、顔を見るのみ。
さっきからあいつが肩に剣の背をぱしぱしとぶつけているのはわかるが、その顔は見えない。
ボクはまだデュオの顔も知らない。敵の姿を知るのは大事なことだ。
それに、ボクはガーネットからデュオを遠ざけたいんだ。
なのにデュオの顔も知らないなんて、言える訳がないだろう。
ちょっと、確認するだけ。それだけさえ済ませたら、即座にこの場を離れる。
ボクはもう一度角から顔を出した。
軍事演習棟。その前に、デュオ達の集団がいて、その手前には、塀がある。
見ると、角の裏は外廊下になっていた。ちょうど今、誰も通っていない。
チャンスだ。ボクは身をかがめて角から飛び出し、廊下の塀に飛びついた。
石材の冷たい感触が背中に走る。
大丈夫。大丈夫だ。落ち着け、ボク。
あとはそーっと、顔を出せばいい。
獲物を捉えた動物みたいに、ゆっくり、ゆーっくり動くんだ。
そう思って、じっくり、じっくりと、まずは、顔を上げる。それから立ち上がっ……。
「へ?」
男が、ボクを、覗き込んでいる。ボクが寄りかかってる塀に手をかけて。
「なんだあ?お前は」
青い目が、ボクを見下ろしている。
最初にボクの脳裏によぎったのは、場違いな連想だった。
ボクは、獲物を捉えた動物みたいに動くつもりだった。
でもこれじゃ、狩られる獲物は、ボクだ。
だけど、どうしてだろう。ボクの頭はそんな現状打破に繋がらないイメージをするだけで、動かない。
何か言ったりするべきなのに、口を動かしても、声にならない。
デュオはそんなボクを見ながら「んん…?」と顎に手を当てた。
その、のんきとも言える顔を見ていると、真っ白な頭の中が急に晴れた。
逃げるなら、今のうちじゃないか!
走れ、急いでここから――。
「ぐえ」
首に衝撃が走った。
「そーかそーか、なるほどな。俺様はなんでもすぐ分かる」
何が起きたのか分からなかった。
まさか、首を絞められて……。
いや、違う。首に手がかかってる訳じゃない。
これ、服の襟首持たれてるっ!
「やめろ、はなっ、離せっ」
苦しくはない。けど、どこかに連れていかれるっ!
後ろ手にデュオの手を掴んだ。けど、その手は固く、指の一本も解くこともできない。
足を突っ張っても、ダメだ。ただずりずりと連れていかれる。
一体、どこに――という疑問はすぐに解消された。
ボクの視界に、地面に、伏せた男たちが入ってきた。
「おーし、てめぇら、一度顔を上げてこっちゃ見ろ」
――まさか。まさかこいつ、ボクを晒し物にするつもりかっ!
伏せていた男たちが顔を上げて、視線が、集まってくる。
ボクの顔を、それから、顔の少し上を。
何人かは、口をあんぐりと開けて。
胸が、ずぐん、と疼いた。
それは、ガーネットに出会ってから、長らく感じていなかったこと。
ボクの、耳。決定的に他の人と違う部分。
それが、見られてる。晒されてる。
少しでも目線から逃れたくて、ボクはデュオの腕から手を離して、頭を抑えた。
「さーて。おめーはどいつに会いに来たんだ?」
……ん?
何の、話だ?
デュオはボクの服の襟首から手を離した。
そして、ボクの前に一歩踏み出して、男たちを見渡した。
「おめぇら、遠慮するこたねぇぞ。ウエストリアくんだりまでわざわざ来てくれたんだ。修練は後回しでいい。庭園にでも行って話してこい」
こいつは、何を言っている?
言っている意味が分からない。
それは、地に伏している男たちにとっても同じみたいで。
皆、もう、ボクの事は見ていない。
困惑した顔で、デュオを見てる。
「……あん?ちげえのか?」
デュオは顎に手を当てた。
「……何を、言ってるんだ?」
逃げられる。もう、ボクは自由になってる。
だけど、それよりも、何か、猛烈に気になることが、ある。
何か、決定的ななにかを、間違えられているような。
デュオは、もう一度男たちを見渡した後、ボクの顔を見て言った。
「てめーは、こん中のどいつかの、妹かなんかだろ?」
……。
………。
「っはぁぁぁぁ!!?!? 妹ってどういうことだよ!?!? どこを見て判断したっ!!? まさか、いや、そうかっ!! 身長かっ!!? 身長だろっ!!! 妹に見えるくらい小さいって言いたいのかお前はっ!!?!?」
デュオは顔をしかめて耳に手を当てた。
「うるっせぇなぁ。おめぇら誰かさっさと――」
「デュオ!」
脇から声がした。
見ると、男たちの一人が立ち上がっている。
「あん?」
「ちげぇよ。そいつだよ!そいつが、お前の気にしてた、ノエル・リンウッドだ!」
その瞬間、冷気がした。
いや、冷たく感じた、だけ。
ボクの横にいる、デュオのまとう空気が、変わった。
デュオはボクに目を向けた。
「てめぇが……」
鋭い目つき、というのはこういうものか。
怖い。少し、だけ。
けど、負けていられるか。負けちゃいけないんだ。ガーネットの為に。
ボクは敵意を込めて睨み返した。
「と、その前に」
「はぇ?」
デュオはぷいと踵を返して、ずんずんと歩いていった。そして……。
「デュオ様、ノエル様だろうがっ!」
「いでぇッ!?」
ボクッ、という音がボクの方まで聞こえた。
嘘だろ。拳骨を頭に落とした。
落とされた男は頭を抑えて、抗議するように言った。
「何すんだよっ!! デュオ――さま」
男は、デュオの顔を見て、勢いを落とした。
「ようし、それでいい」
それからデュオはボクの方を向いて……。
「リンウッド家のノエル。まず、名前をお聞きするべきだった。領民が無礼なことを言ったのも、俺のせいだ。許せ」
頭を、下げた。
綺麗な、一礼だった。
「あ……」
デュオは、ボクの漏らした声にも、微動だにしない。それは、謝罪するという、ボクに対する、明確な意思。
なんだ、これは?
目の前で、思ってもみなかったことが次々に起きていく。
こいつは、一体、なんなんだ?
……だけど、とにかく、デュオは今、ボクに敵意を向けてはいない。
いささか冷静になったボクの頭は、まず、言うべきことに気が付いた。
「ゆ、許す。構わない。楽にしてほしい」
ボクの言葉を聞いて、デュオは下げた時と同じ速さで頭を上げて、襟に手をやって、直した。
「とは言え、ずっと引きこもって今まで顔も見せなかったてめぇにも問題はある。ま、反省するこった」
……。
…………。
「っはぁぁぁぁ!!?!?!?!? 何が反省しろだお前がそもそも人を見て妹とか言うのが悪いんだろ徹頭徹尾全部お前が悪いだろこの状況はぁ!!!!!」
「うるっせぇなこいつマジで……」
分からない。こいつのことがまるで分からない!
ボクを誰かの妹と間違えて、引き合わせて、綺麗に謝って、なのにすぐにボクにも責任があるようなことを言って!
ああ一つだけ分かった。これは間違いない!
こいつ、嫌な奴だ!!




