また知らない人だ。こんにちは。
「はぁ……」
帰り道、渡り廊下で、ため息をついてみたよ。
なんでだろう。私、授業に慣れてきたところなのに。
また辛くなった。テストのせいで!
この世界がおかしいのかなって思って女神さまの引き出しを開いてみたけど、どうもそれはそういうものらしい。
人って大変。ずっと、辛い思いをしながら生きてるなんて。
蚊の時はそんなことはなかったよ。
だって、怖いものから逃げたら、後は、果汁を飲んだり、人の……。
また思い出しちゃった。
私は懐を探って、ハンカチを出した。
滑らかな表面に触れると、きらきらした白色を見てると、あの日嗅いだ匂いが蘇ってくる。
うーん、何度思い出しても、いい。
悩みとか吹き飛んじゃうな。早く返さなきゃいけないのに、離れがたいよ。
渡り廊下に吹き込む風がハンカチをはたはたさせてくる。
くしゃくしゃにならないようにしなきゃ。そろそろしまわなきゃ。
そう思ってるのに、私の目はハンカチに釘付けになる。
ああ、もう一度だけでもいいから、嗅ぎたいなぁ。もっと言えば、飲みたい。
あの、甘くておいしい、血。血。血。血。血。血。血。血――。
「エルダーシルク、ですわね」
「はい?」
振り向くと、そこに人がいた。
わああ、すっごい。
身体から、桃の香りが漂ってくる。体温も高そう。
聞くまでもない。間違いなく、女の人だ。
「そのハンカチの素材ですわ。遥か東の国でしか作られていない、とても貴重なもの。持つこと自体がステータスとなるものですわ」
「わあ、そうなんですね」
女の人は私の隣に立った。積極的だ!うれしい。
「どうやって、手に入れたものですの?」
「いえ。これは、ただ借りているだけです」
「へぇ……どなたからですの」
「デュオさんです」
「……あら、隠していませんのね」
ん?そういえばこれって言っていい事なんだっけ。
「――でも、気になりますわ。ハンカチを見ている時のあなたの、表情。なんだか物凄く……」
え、私の顔。変だったのかな。
「物凄く、愛おしそうな表情でしたわ」
「ああ!」
なるほど!そういう顔をしていたのか、私って。
私はハンカチを空に透かした。
うん、愛おしいよ。だって、だって。
「このハンカチを見ていると、蘇るんです。あの、時間が。それは、私にとって、とても、とても大切な思い出なんです」
昔おいしい血を吸ったという、ね。
「……気になりますわ。どういう、思い出なのかしら」
「ごめんなさい。それは、秘密です」
蚊の時の話だもん。
「……なるほど、なるほどですわ」
その女の人は、私を足から頭までじいっと見つめた。
「……体型、よし。姿勢、よし。足、よし。顔、よし。髪つや、よし」
女の人は私の周りをぐるぐるしはじめた。
何かチェックされてる!でもよしって言われてるから、私もよし。
「胸は……私の勝ちですわ。でも、あなたの体型だとこれくらいが引き立ちますわね」
女の人は私の目の前に立った。
「口をお開けなさい」
「はい。こうえすか」
「……ずいぶん、素直ですのね」
女の人が口の中を見てる。
「歯列、よし。舌、よし。清潔さ、よし……もういいですわよ、閉じて」
なんだったんだろ? 色々見られたな。お医者さんなのかな?
と、危ない!
よだれをデュオさんのハンカチで拭く所だった。
大事にしまっとかなきゃ。代わりに自分のハンカチでっと。
「……あなた、私のことは知っていて?」
「初対面ですよ?」
だってこんなにいい匂いの人、忘れたりしないよ。
「噓。それにしてはあなた、従順すぎますわ」
えー。噓じゃないんだけど。人間って、従いすぎてもだめ?
難しいな。自分で考えることが多すぎるよー。
「……まあ、いいですわ。私はロザリンデと言いますの」
「ロザリンデさんですね。私はガーネットです!」
「ええ、よろしく。私たち、きっと長い付き合いになりますわよ」
「え!」
それって、それって。
ずっと付き合える友達になろうってことだよね!
「うふふ、ふふ、よろしくお願いします。お知り合いになれて本当に嬉しいです。ロザリンデさん!」
「――妙な人ですわね。でも、わかりますわ。こうやって実際に話して、色々と」
「わかる?」
ロザリンデさんは渡り廊下の壁に手をかけて外の方を見た。
「ここ、いい場所ですのね。天文棟には来ないから、初めて知りましたわ」
「そうなんです!」
私も両手を壁にかけてちょっとだけ身を乗り出した。
真下を見ると、小さくちょろちょろ動く人の点。そこから顔を上げると、大自然!山から湿った風が吹いてきて気持ちいい。
そして、山の端でちらちらしてるのは、たぶん王都。
まだ行ったことないけど、ふふふ、楽しみ。どれだけ大きいんだろう。どれだけ人がいるんだろう!
「私の好きなものが全部見える、この場所が、私、大好きなんです。ロザリンデさんは、どう思いますか?」
「……そうですわね。とにかく、一つだけ言えるのは」
ロザリンデさんは私の方を向いて言った。
「あなたに会いたければ、ここを探せばいいってことですわね」




