私のことを嫌わないでください。
教室の外に出ると、実感が湧いてきたよ。
今日の授業はこれで終わり! いつもならまだ授業を受けてる時間なのに、もう何もする事がない!
何しようかな。図書室に行ってノエルさんと合流?
ちょっと早いけど食堂に行って牛乳をもらおうかな。
さっきの渡り廊下で日向ぼっこなんてのもいいかも。
部屋に帰ってちょっとだけお昼寝……。
「おい」
そうだ。眠ろう。牛乳をもらってからすやすやしよう。
最近頭を使いすぎたし、しっかり休みを取らないとね。
「おい!」
「え?」
声がした。聞き覚えのある声。
考え事をしてたからかな、気付かなかった。
そこに居たのは。
私が、ずっと会いたかった人。
ずっと会いたくて、会えなかった、お友達!
ああ、やっと、やっと顔を見ることができた!
「お久しぶりです、ゴンベさん! あれ、久しぶりではない? まだ数日、一週間? でも私の感覚では久しぶりです。私、勉強をずっとしてて、難しくって、お友達に会いたくって、いえ、ずっとノエルさんと仲良しなんですけど、新しく出来た友達と会いたかったのに全然会えなくて」
「静かにしろ」
はい。あれ。なんだか、前と、雰囲気、違いますか?
顔が、なんだか、険しい気がする。
ゴンベさんは少し目を閉じてから、ゆっくりと口を開いた。
「まず、訂正してやる。俺の名前はゴンベじゃねぇ。今後その名前を使うことは許さねぇ」
「はい。え、でも。じゃあ、あなたのことをどう呼べば」
「……お前はもう、俺の名前を呼ぶ事はない。だけど、最後に教えておいてやる」
……最後? 今後?
どういうこと?
「俺は、デュオ。ヴァルナート家のデュオだ」
ヴァルナート家の、デュオ――デュオ・ヴァルナート!
知ってる。それはノエルさんに教えられた名前。
危ないから、近付くなって言われた人の名前。
でも、それより。もう、名前を呼ぶ事はないって、どういうこと?
首を傾げている私にデュオさんは言った。
「……てめぇが誰なのか、人に調べさせた。一般貴族の娘ってのは本当らしい。だが、てめぇは幼い頃からリンウッド家に接触しているんだってな」
デュオさんは、天を仰いだ。
「盲点だったぜ。リンウッドはリミエールと違って穏健派って聞いてたんだかな。まさか、女を"草"にしてるとは、やるもんだ。舞踏会で俺の存在を見せつけるつもりが、見事にやり返されちまった」
え。何。女の人を草にする? どういうことだろ。
さっきから、全然分からない。デュオさんの言う事って難しいかも。
「てめぇらはどうやったがしらねえが、俺を研究した。そして、一番効果的な場所で、一番効果的なタイミングで、一番俺に対して効果的に振舞った。それは褒めてやる。てめぇにかかされた恥も、寛大に許してやるよ。だがな……」
デュオ様は私の肩にそっと手を置いて。
私を、遠ざけた。
「一度だけだ。二度と、近寄るな。これが最後の接触だ」
デュオさんは歩き始めた。
私に、背中を向けて。
どんどん、どんどん、離れていく。
階段を降りていく。
うん。
これ、むしろ、いい事だよね。だって、ノエルさんには、デュオさんには近付くなって言われたから。
私が離れる努力をせずとも、デュオさんから離れてくれた。それは歓迎すべきことのはず。
はずなのに。胸が苦しい。
なにこれ、嫌だ。嫌。物凄く嫌で嫌で仕方がない。
ノエルさん、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。
でも、これは、耐えられそうにない。
私は、階段を駆け下りる。階段の下にデュオさんがいるのが見える。
足音に気付いたのかな。デュオさんは私の方を見上げた。
「デュオさーん」
「おっ」
デュオさんは降りる速度を速めた。私も急いで降りる。足がもつれないように。
「デュオさん、待ってぇ」
「来るなっ」
一階まで駆け下りちゃった。廊下にはデュオさん以外に誰も居ない。
見失っちゃう前に早く追いつかないと。
「待ってくださあい」
「しつこいっ」
デュオさんの足は速い。だけど、私だって負けてない!
少しずつ近付いてる、気がする!
「デュオさぁぁぁぁん」
中庭まで来た時に、デュオさんが足を止めた。
「なんなんだお前ぐおっふっ!」
「ごめんなさいごめんなさい! 私、ウザかったですか? 何かしてしまいましたか? 私、人の気持ちの理解が遅くて、デュオさんがどうして怒ってるのか分からなくて、でも言ってくれれば直します。デュオさんにとってウザくならないようにします。だから最後だなんて言わないでください!」
「ぐっ……おっ……!」
デュオさんがだらだらと汗をかき始めた。私は、デュオさんの胸元にいる。
私は、自分がデュオさんの身体に突撃してしまったことに気付いた。
「あああごめんなさい、ごめんなさい! またやってしまいました。すみません、これも今回だけです。もうぶつかったりしません。どうか許してください。喋りすぎでしょうか? だったら静かなガーネットになります。デュオさんが心地いい時間を過ごせるように努力します。だから、お願いです」
見上げるデュオさんの顔が、ゆらゆら揺れて見えた。
「嫌わないでくださいっ…!」
揺れてるのはデュオさんの顔だけじゃなかった。目の前に映る、全部が揺れてる。これは、涙だ。
私、泣いてる。デュオさんに嫌われたから、嫌われてるって知ったから涙を流してる。
「……わ、かったから」
そう言って、デュオさんは両手で私の腕を掴んだ。
「わかった。わかったっ! 嫌ってる訳じゃねぇから! んなしみったれた顔すんじゃねぇ!」
デュオさんの声は力強く響いた。嫌ってる訳じゃない。私は嫌われていない!
良かったって気持ちがこみ上げてくる。だけど、その前に。
「ごめんなさい、しみったれた顔、やめます。なんでだろ、涙。あれ、ハンカチ、あれ、ない。忘れました。私、ダメですね、ごめんなさい――」
私の顔に、ふわっとした物が当たった。石鹸のいい匂い。
「ほら、使え」
これは、デュオさんのハンカチ?
「あ、ありがとうございます」
私はハンカチで目を拭った。
「……分かったよ。もしてめぇが"草"だったら。その言動が演技だったら、そりゃ俺を超える器だ。だが、俺を超える器なんてこの世にいねぇ。だからてめぇは何も演じてねぇ。この上なく論理的な帰結として、てめぇはただの一般貴族だ」
「ごめんなさい。あの、私、さっきからデュオさんの言ってることの意味が分からなくって。その、"草"とか」
私はハンカチで鼻をちーんとした。
「おい鼻までかむのかっ!」
「ごめんなさい! 洗濯して返します!」
デュオさんは舌打ちをして続けた。
「……"草"ってのは、工作員だ。もしかしたら、俺の……泣き所が掴まれてんじゃねーかって思ったが、思い過ごしだったみてぇだな」
「泣き所、ってなんですか?」
「い、いや、なんでもねぇよ!」
「ごめんなさい! 気にしません!」
「もういい。いちいち謝んな。そっちの方が鬱陶しい」
「はい。わかりました。もう、いちいち謝りません」
私はデュオさんのハンカチを懐にしまった。ちゃんと洗わないとね。
「……それで」
私が喋る前に、デュオさんが切り出した。
「……て、てめぇは、その。なんで、俺に、そんなに、嫌われたくねぇんだ」
「だって、好きなんです、デュオさんが」
「おはっ。そ、そうか、うん、分かった、いや違う、いや、勘違いすっ、いや、うん、分かった」
デュオさん、何度も頷いてる。納得してくれたかな。
「も、もう一つ、聞きてぇことが、ある」
「はい、なんでしょう」
「……その、なんだ、あれだ」
「デュオさん?」
「……き、聞きてぇことってのは、舞踏会で、最後に話した、ことだ」
デュオさんはすっごーく言いにくそうに言った。
「ああ、子どもを――」
「そっ、それだ。一度黙れ! その、なんというか、あれだ。ほら、えっと」
私はデュオさんの顔を見てじっと待つ。あの時と一緒だ。目線が合わない。
たまにチラチラこっちを向くけど、すぐに離れる。
やがて、デュオさんはすーはーっと深呼吸をしてから、言った。
「おっ、お前は、知ったように言ってたけどっ、そういう風なことをした、経験が、あったり、するのか?」
そういう風なことをした経験。って、卵を作ったかどうか?
「そうですね、もうすぐだって思って準備を整えてました。結局無かったことになったんですけどね」
だって卵を産むために血を吸おうとして、潰されちゃったんだもんね。
「あっ、そっ、そうか。うん。分かりま、分かった」
デュオさん、また壊れかけてる。
「デュオさん。他に聞きたい事ありますか?」
「他に……~~?」
デュオさんの瞳がぐるっと半円を描いて上を向き、ふいと顔を逸らした。
「あ、あるけど、今は聞かねぇ」
「えー、気になります。教えてほしいです。私、知ってる事なら何でも答えます」
「し、しつけぇな、今は無理だって――」
その時、空気を切るような音がして。
目の前に、デュオさんの手があった。
デュオさんの手から、何かが落ちてかつんと音がした。
これは、石?
丸くて黒くて、つるんとしてる。
私が石を見てると、デュオさんの匂いが強くなった。
「――てめぇ。どういうつもりだ」
「どうも、すみませんねぇ。デュオ様。手元が、少しだけ、狂っちゃいまして」
デュオさんが見つめる先。中庭の廊下の方にうねうねした髪の男の人が居た。




