ガーネットは今を生きている。
「この紅茶甘くておいしい! はちみつがたっぷりですね。ほのかな酸味とコク、ふくよかな香り! 南ベルカ地方の物ですか? 私の好みです。花の蜜、大好きです。私も小さい頃よくちうちうしてました。一度家の遠くに行き過ぎた時があって、その時はお母さんが私が吸った後の花を辿って――」
「切り替えが早すぎる。罪悪感を抱けばいいのか困惑すればいいのかわからないよ」
私はカップの中身を少しちうちう。
「まあ、何もかも過ぎたことですから。落ち込んでも仕方ありません。ガーネット・ファロンは今生きて紅茶を飲んでいるんです」
「……うん、うん。マシューくんは手先が器用なだけじゃなくて、教育も上手だったようだね。だが――」
カラビア先生は帽子を脱いで、胸に当てた。
「本当にすまない。ご両親が伝えていなかったことを、僕が言ってしまった。思い返せば、無神経極まりない言動だ。150年も生きていて、全く、自分が恥ずかしい。改めて、謝ります」
そしてカラビア先生は深々と頭を下げた。
うん、先生って、いい人。好きかも。
先生は帽子をかぶり直した。
「罪滅ぼしという訳ではない、が、よければ、君の身体の魔法陣を、見せてもらえないかな。綻びがあれば保全もするし、場合によっては改良も出来るかもしれないよ」
「改良、ですか?」
「こう見えても僕は世紀を超えて生きる魔術師だ。悪いようにはしないさ。とりあえず見せてくれるだけでも」
「はい、わかりました!」
服のシャツのボタンを外す。一個、二個。
「待て、待て。何してる」
「だって魔法陣はお腹に書いてもらったんですよ」
「手を握るだけでいいんだ! 全く、驚かされるな君には」
えー、そうなんだ。お腹に書いた魔法陣を手で見るの? それも魔法?
「じゃあ、お願いします」
私が伸ばした手に、先生の小さな手が重なる。あー、ちょっと体温低め。ほんのりと、がっかり。
あれ、なんか、なんだろ。引っ張られる感じがする。おー。ちょっと、面白いかも。
先生は目を閉じて、何かを確かめるように頷きながら言った。
「……うん、うん。凄く丁寧に織られた魔法陣だね。とても長い直径なのに、完全に閉じ切ってる。だが、余白はたっぷりと残してある……」
私にわかるのはそこまでだった。先生は、よく分からないことを口の中で呟いてる。音量も、きっと内容も、私には届かない。
やがて、先生は目を開けて、手を離した。
「少し、聞くが」
「はい、なんでしょう」
「先日の舞踏会はどうだった?何か、不安に思う事などはあったかな?」
「いーえ?」
果物。果汁。リンベルさん、スイカさん、ゴンベさん、ノエルさん。そして、ダンス。
「ただただ、楽しかっただけです!」
思い出しただけでニコニコしちゃうよ。
「なるほど。じゃあもう一つ確認なのだが、君は三公爵子女のひとり、ノエル・リンウッドと、とっても親しい仲なんだね?」
先生からノエルさんの名前が出た!
「はい! 私にとっては大親友です。ノエルさんはどう思っているのか知りませんが。嫌われていないと思います。だって毎晩、私がノエルさんのベッドに」
「うん、うん。もう分かった。それ以上はいい。少し休憩だ。紅茶を飲むといい」
「いただきます!」
ティーポットから暖かい紅茶を継ぎ足して、遠慮なくちうちう。
「飲みながら聞いてくれたまえ。君の魔力は今一部を除いて完全に体内で処理されている。魔力の行使は出来ないと言っていいだろう」
へー、そうなんだ。ちうちう。
「だが、私が少し手を加えれば、君は魔力を引き出して使うことが出来るようになる。生得している固有魔法なら何も学ばなくても使える、と、授業で言ったよね」
言ってたような気がする。ちうちう。ごちそうさま。
「私が思うに、君には、護身出来るものが何か必要になりそうな気がする。その中で一番君にとって身近なのが、魔力だ」
え。
「魔力を使えば、私は、自分の身を自分で守ることが出来るんですか?」
「まあ、そうだね。カルテに書いてあった『極めてユニークな魔力』にもよるが」
先生はふっふと笑った。
「実を言うと、あの一節を見た時から楽しみでね。君の固有魔法についてまとめてある書類もあったが、そちらは読んでいないんだ。自分の身で確かめたくってね」
「え、でも、私の固有魔法って……」
「待て待て。ここまで来てネタバレは残酷だよ。もし君が魔法を使いたいと思うのなら、手を握ろう。魔力を少しだけ引き出すから。その時に確認するよ」
んー。どうしよう。魔力研究所の先生が作ってくれた魔法陣だし。魔力を使いたい訳じゃなかったし。でも、カラビア先生は身を守ることが必要になりそうって言ってるし。
……身を、守る。私、あまり考えたこと、なかったかも。
蚊は、逃げるだけだもんね。
「わかりました。先生。よろしくお願いします」
私はテーブルの上の先生の手を握った。
「うん、うん。握るなら今から握るって先に言ってくれ。驚くから」
はい。ごめんなさい。
私たちは改めて手を握り直した。
「では少しだけ魔法陣に手を加えるよ。違和感があるかもしれないが、すぐに慣れるさ」
おー。先生に握られてる手がぞわぞわする。やっぱりこれ、楽しい。
「手を広げたままにして」
先生がそっと手を離すと、先生と私の手の間に、光る塊が見えた。
なんだろう、これ。光のようでいて、水のようでいて。ふよふよと表面が波打ってる。
「これが魔力さ。君が自由に出せるようにするにはまだ調整が必要だけどね。それはともかく……」
先生は光る塊に手を伸ばした。
「あの、先生。やめた方がいいかもです」
「ふっふ、僕を舐めてもらっちゃ困る。例え触れた途端にこの手が爆散しようと僕には力があるからね。崇高なる回復魔法を見せてあげよう」
先生は光る塊に手を近付けた。塊はしゅるりとほどけて、端から線になり、そして……。
……先生の指にべとっとくっついた。
「うん? 滑らかかなと思ったけど、違うね。粘つく……ん? なんだこれ」
先生は手を引いて、ぽりぽりと掻き始めた。
初めは控えめに、やがてバリバリと。
「あっ、あは。なにこれ。か、かゆっ、ちょっと待て、さっきの書類に搔痒感って書いてあったが、あれは比喩じゃないのか? おおおおっ?」
「ああ、先生! そんなに掻かないで!」
「ひ、ヒーリング!」
先生の手から白い光が! だけどそれが収まった後も先生は手を掻き続けてる。
「き、効かないぞっ、何故だ! ヒーリング、ヒーリング!」
「先生、まぶしい!」
目の前がチカチカ。これが回復魔法? すごい!
「だ、ダメだ。治らない。今日は終わり! ぼ、僕は書類を読み込むから、続きは今度の授業の後にしよう!」
「はい、分かりました。先生、おいしい紅茶、ありがとうございました」
大丈夫かな。って思ったけど、今日は終わりって言われたし。帰ろう。
「いや、待て、待て! 最後に!」
なんだろう?振り向いたら、先生は準備室の扉から身体を乗り出してた。
「これ、十分武器に使えるよっ! 使い方を二人で考えようっ! ではまたっ!」
そして、準備室の向こうに勢い良く引っ込んじゃった。
うん。やっぱりだ。先生、すっごくいい人。大好きです。




