ガーネット、魔術研究所に行く。
それから私は、すくすくと成長したみたい。
10年ですよ、10年。蚊の一生の何倍なのやら。
もはや私はおばあちゃんと言っても間違いではないかも。
ところが。どうやら、人の寿命はまだまだ長い。
自分がどれだけ生きるのか、お父さまに聞いてもお母さんに聞いても、あと50年は生きるって。
驚くしかなかった。人の人生がそんなにも長いとは!
でもお母さんは、驚いている私をぎゅっと抱きしめてくれた。
そして言ってくれたんだ。「そのうち治療に行かなくてもよくなるからね」って。
どうやら私の身体は"魔漏"って奴を起こしてるらしい。
私の身体から魔力が溢れて、こぼれた分が身体に流れちゃってるとかなんとか。
なんでも、これは歴史に残るような大魔術師が幼少期持っていた特徴なんだとか。
あとは、魔力の性質――固有魔法と呼ばれるものが、すごいものであれば。
魔術研究所で治療を受けた帰り道、杯に入った牛乳をちうちう飲む私にお母さんは言った。
「良かったわ。ガーネットには、普通に幸せになってもらいたいもの」
私の固有魔法はかゆくすることだった。
はい。蚊だもんね。
聞いた話によると、大魔術師になれるかもと言われたら普通は大喜びするし、やっぱりなれないって言われたら失望するらしい。
でも私の意見はお母さんと一緒。普通に幸せになれるならそれでいい。潰されることなく子どもを作って、それから寿命まで生きれば私は幸せなのですよ。
それでも魔漏が起きないようにする治療は続けることになった。
穴が塞がってよだれでかゆくなることはなくなったけど、魔力が漏れてる穴がもし急に広がったら体調を一気に悪くしたりするかもしれないって。
ということで、10歳の今まで、私は定期的に家から街に出て治療している。
お母さんには勘違いさせちゃったみたいだけど、私は別に治療が嫌だって思ってる訳じゃない。
むしろ逆だ。私は街に行くのが楽しい。
私はこの10年で自分が何が好きかをしっかり確かめた。
その中でも上位に入るものが街に行く日はたっぷりと楽しめる!
一、牛乳!
私が前の世界で大好きだった、あの血の味。
あれに一番近いと感じるのが牛乳だった。
毎日3杯は飲みたいよ。
二、睡眠!
蚊の頃だって毎日眠ってた。だけど人間の睡眠の気持ちよさにはかなわない。
自然と肩甲骨周りの緊張が解けて心地よい睡魔に包まれる瞬間。
目が覚めて周りのものがくっきりと見える瞬間。睡眠は全てが素晴らしい!
毎日8時間は寝たいよね。
三、人間!
知性ってものを女神さまに貰ってから気付いたことがある。
私は人間が好きだ。
吐息。匂い。体温。全てが私を惹きつける。
この世界には色んな人が居て、その身体の中には、そう。血が流れてる。
蚊としてそれに惹かれるのはいけないことでしょうか?
毎日5人は見たいね。
という訳で私は街に行くのが楽しみなんだ。
街に行けばお母さんが杯に入った牛乳を買ってくれる。私はそれを飲みながら、人間たちを見る。
それから治療を受けてまた牛乳を買ってもらってちうちうしながら帰る。
そして、寝る。遠出をした後の身体は疲れてて、より質のいい睡眠が取れる。
私はお勉強や習い事はどうにも肌に合わない。
算数とか、歴史とか、音楽とか、一切向いてないよ。
でも、そんな辛い毎日も街に行くって毎週のご褒美があるから我慢できるんだ。
その日も私は魔術研究所にいた。
だけど、いつもならすぐに来る先生が中々来なくて、私はただベッドに座って治療を待っていた。
そしたらドアの方から気配がした。
先生じゃない。先生なら静かにこっそり入って来たりはしないはず。
それに何より、匂いが違う。先生は、消毒液と、仄かな香水の女の人っぽい匂い。
だけどこれは、嗅いだことのない香り。今まで会ったどの人間とも違う。
その匂いは足音を立てずに、カーテンを挟んだ私の隣に向かった。
新しい匂いのこの人、どんな人だろう。
どうしても気になって、私は、カーテンをめくった。
ショートカットの銀髪。年は、多分私と同じくらい? 帽子を被ってる。
でも何か、分からないことがある。うーん、なんだろう、これ。
とか思ってると、その子が帽子を脱いでベッドの脇に置いた。
それから、その子の目は私の方を向いた。
一瞬見つめ合った後、その子は頭を手で覆った。
「……~~~ッッッな、なんだオマエ!?何見てるんだよッ!!」
見つかったら仕方ない。
カーテンをくぐるよ。
「こんにちは。初めて会いますよね。私は10歳です。あなたは何歳ですか?」
「知らねぇよ、なんで見たんだよっ!?」
その子は帽子にちらりと目をやって、凄いスピードで被った。
「だって、気になったから。なんだか変わってるなあって」
そう、言った途端に、その子の声が低くなった。
「変わってるって、なんだよ」
まずい。言っちゃいけなかったのかな。
私は両手で口を塞いだ。
「言えよ。ボクの何処が変わってるのか」
言っていいのか。でも一応、注意しつつ言おう。
「あの、怒らないでくださいね」
その子は応えない。身体が重たくなるような目線で私を見てる。
本当に言っていいのかな。
言っていいって言われたし、言おっか。
「あの……あなたって」
今まで、それが分からないことはなかった。だけど、この子に関しては、こんなに近くで嗅いでも分からない。
目で見ても、うーん、経験不足なのかな、分からない。
「男の子ですか?女の子ですか?」
その子の目から、一瞬重たい雰囲気が無くなった。
代わりに、耳に凄い音量が響いた。
「はぁ~~~~ッッ!!?!? 失礼なっ!!?!? 女に決まってんだろ、見てわからないのかよ、見て!!!」
女の子だったのか! そして失礼だったのか。うん、学びです。男の子か女の子か聞くのは失礼。
「ふざけんなよっ、初めてだよそんな事言われたの! しかも面と向かって!」
「あ…ごめんなさい」
私は踏み出して、その子の隣に座った。
「は?」
「これで隣同士です。面と向かっていませんよ」
二回目の大音量。
「はぁ~~~~ッッ!!?!? #%&$%&#$#%#!!!!!!!」
怒らせてしまった。
やっぱり、私ってウザいのかな?
気を付けてるつもり、なんだけどな。
ところで、私は大事なことを思い出した。
お母さんから言われた会話のマナーだ。相手と話す時は自分の名前を名乗る事。
「申し遅れました。私はガーネット。ガーネット・ファロンと言います」
肩で息をしている彼女は、呆れたように言った。
「あんだけ怒鳴って、一切気にしてないのかよ…」
うんざりした声色。
「ごめんなさい、私、ウザかったですか?」
これだけは聞かなくちゃ。ウザいって思われるのは嫌なんだ。
「ウザいとかそういう話じゃない。噓吐きだから怒ってんだ」
「えー。噓なんて付きませんよ? 私」
彼女は深いため息を吐いた。
うーん、惹かれる。思わずニコニコしちゃうよ。
「そんな訳ないだろ。私の、頭が、気になったに決まってる。誤魔化そうとして、くだらないこと言ったんだろ」
「あたま?」
「これのことだよ!!」
その子は帽子を取った。
瞬間。その子は痛みをこらえてるみたいな顔をした。
こんなことしなきゃよかったみたいな。
……どういうこと?全然わからない。
何か言うべきかな。
とか悩んでた私の顔を見て、その子の痛そうな顔が変わった。
なんというか、驚いてる感じ。
そして、固まった。
「……」
「あのー」
目の前で手を振っても、固まったまま。
やばい、壊しちゃったかも。
「あ、あの、私、自分のベッドに帰りますね? ガーネット・ファロンでした」
私はいそいそ立ち上がり、元の場所に戻った。
それからしばらくして、先生がやってきて、お腹にちょっと魔法陣を書かれるだけのいつもの治療が終わった。
治療室から出るとき、あの子がいるかなって思って見たけど、もう誰もいなかった。
そして私には大きな疑問が残った。
あの女の子が私に見せた物。
ちょっとぼさぼさした銀髪。
ピンと立った、三角形の耳。毛に覆われてて、前を向いてる耳。
例えるなら、犬の耳かな。
あれのどこが変だったんだろう?




