ノエル、リミエール姉弟に出会う。
耳が音楽を捉えた。ああ、もうとっくに、舞踏会が始まってる。なのにボクはまだ、ようやくドレスに袖を通したばかり!
今から髪を梳いて靴を履いて全体のフォルムをチェックして、軽くメイクして、バカ、ボクのバカ。早くしないとっ!
こんな事になるなら家の誰かに残ってもらってた!
どんな貴族であっても自活することがウエストリアの方針。だけど初日だけは使用人を置くことを許されてる、のにっ!
父さんに頼んだのは、ガーネットと同じ寮の二人部屋に入れてもらう手配だけ。
保険を打つべきだった!
浮かれてたんだ。ガーネットと一緒の生活に!
――切り替えろ。後悔しても仕方ない。居ないものは居ない。次善を尽くすことだけを考える。
冷静に、ドレスアップを続けていく。決して焦らず、それでも素早く。
そうして、なんとか体裁は整えられた。けど、やっぱり鏡の中を見ても自分じゃ分からない。
だから、ガーネットが必要だったんだ。あの子は率直に、全てを言ってくれるから。
なんて言うんだろう、ガーネットは。このドレスに身を包んだボクを見て――。
呆けるな、ノエル・リンウッド! もう既にお前は出遅れてるんだぞ!
ボクは半ば蹴破るようにしてドアを開けた。廊下には誰もいない。好都合だ。裾を踏んでしまわないようにドレスをつまんで、走る。
音の鳴る方に。急げ、急げ――。
「どこに行かれるのですか?ノエル様」
心臓が跳ねた。
人だ。ボクが降りようとした階段の前の空間。
置かれた椅子と机はきっと軽い歓談の為に置かれているんだろう。
そこに、二人居た。立っている茶髪の男と、椅子に座った、亜麻色の髪の女。
男の方はいかにも温厚そうな表情をしてる。
女の方は、無表情。
だけど、活力が無いとか、そういうのじゃない。
氷のような鋭い気配が漂っている。
直感で、分かった。前もって仕入れていた情報とも合致する。
こいつらが、リミエールだ。
そしてこいつらは、ボクの名前を呼んだ。
きっと、ボクを待ち構えていたんだ。
だとすれば、ああもう、軽く扱うことは出来ない。
ボクは令嬢モードを入れ、男の前に立った。
「舞踏会に向かう途中です。少し所用があって、遅れてしまいました」
「これは、お急ぎの所失礼を。ですが、もしよければ少しだけ私たちにお時間をいただければと思います」
男は、女の前の椅子を引いた。
不味い。これ以上遅れるなんて。
だけど、こちらだって蔑ろにする訳にはいかない。
ボクは公爵令嬢だ。他の公爵子女との関係は、ボクが望む望まないに関わらず"良好寄りの無干渉"でなければならない。
……それに、もし面倒を起こそうものなら、ガーネットを守るどころじゃなくなる。
つまり、これは、死ぬほど邪魔でうざったいけど必要なことだ。
「……では、失礼しますね」
「顔に、出てるわよ」
「え?」
驚いて、しまった。
「嫌だ。時間がない。だけど、リミエール家の者に声をかけられたなら、留まるしかない。そんな気持ちでいっぱいなのでしょうね」
目の前の女はクッと笑った。冷たい、冷たい笑み。
「ずいぶん正直者だこと。ノエル・リンウッド」
……。
なるほどな。
ボクは引かれた椅子に座って、机に肘をついた。
「それが『初めましての挨拶』か。エリカ・リミエール」
「初めまして――では無いわ。私たちはまだほんの小さい頃、一度会ってるの」
「そんな昔のことを覚えているなんて、って、驚く、とでも?」
"耳"を動かしてやると、エリカは少しだけ目線を動かしたが、表情は変わらなかった。
「間違いを正したまでよ。ノエルさん。他意は無いわ」
「そうか、それで用件はなんだ?」
「ち、ちょっと待ってください。なんでそんな一触即発の空気になるんです?」
男が割って入ってきた。
「姉さん、僕らはリンウッドと敵対したい訳じゃない。ノエルさんもそんなに怒らないで――」
「ルカ。少し黙りなさい」
エリカが鋭く言うと、男――ルカは「あぅ」とだけ言って身を引いた。
「ノエルさんは怒ってる訳じゃない。私の発言を踏まえてこの会話が友好的なものではないと判断し、戦略的に『素』を出した。そうよね?」
「……」
「だけど、一手遅い。舞踏会に遅れたことも踏まえたら二手、かしら?でもまあ、表に出ず引きこもってたにしてはやる方だって、褒めてあげるわ」
「姉さん、だから――」
「なるほどな」
こいつらの手口は分かった。
「そっちが人を追いつめ、そっちが甘い言葉をかける。そうやって交渉はリミエールにとって有利に進められる。そういうことか」
何か言いそうになったルカを、エリカが手だけで制止した。
「今度は攻め手が早すぎる。でもまあ、頭はしっかり回るようね。これなら組む価値がある」
「組む価値だって?」
「あなたは、デュオ・ヴァルナートのことは知ってるかしら?」
……知っているに決まってる。
デュオ・ヴァルナート。それはガーネットを守る上での、一番の懸念材料だから。
「その顔だと、少しは彼のことを知ってるようね」
「……軽く噂で聞いただけだ」
ある意味で、公爵子女としてこれ以上ないくらいの振る舞いをしている男。
欲しいと思ったものはどんな手段を使ってでも全て手に入れる。力も、物も、そして、人も。
……らしい。
危ない。危なすぎる。そんな男にもしガーネットが目を付けられたら。
「では、ヴァルナート公が王国に苦言を呈されてなお軍備を増強し続けている話は知っているかしら」
「……『法で認められてる範囲でありながら帝国と王国間の緊張が長らく無い現状では明らかに非常識な備え』だろ。有名な話だよ」
「そう。想像してみて。そんなヴァルナート公が何かしらの口実を得て、どこでもいい。どこかに戦略的行為に出たら」
「お父さまがそうはさせない。もちろんリミエールも、だろ? これ、何の話だよ」
「協力が大事、という話よ。危なっかしい公爵は、息子のデュオに同じく危なっかしい人間になるように教育を施した。それだけじゃない。公爵は過保護にも"デュオ派"を学園に入れている。もしかしたら、上級生にもいるかもしれないわね」
「……」
「手をこまねいて見ていると、危険なデュオはどんどん自分の勢力を広めていくでしょうね。そしてそれは三公のパワーバランスを変えるきっかけにもなりかねない」
「考えすぎだ。派閥争いだって? 子どもの遊びじゃないか、そんなもの」
「そうね。私もそう思う。だけど私たちの考えなんか関係ない。私たちの『子どもの遊び』に『王国の今後』を見る者は必ずいる。それは少数だろうと、何かを変えようとする者には十分な火種になる。口実にもなるわね。子どもたちの仲がいいから、我々も繋がりましょう――」
……間違っては、いないかも。
何かが起きるきっかけは、いつも大きな思惑に彩られている訳じゃない。
恋愛。個人的な復讐。酒場での諍い。些細なことが大事に発展してしまうことは歴史上でもある。
それを未然に防ぐのが公爵家の人間としての責務。
言いたいことは分かる。
分かるけど。
責任をちらつかせ、協力を求めながら、なお優位に立とうとするこの女――。
信用できない。
「分かったよ」
ボクは椅子から立った。
「安心しろ。ボクはデュオには付かない。それに、ただ黙ってやり過ごすつもりもない。これでいいか?」
「だめよ。それを信用するに足るものがない」
「念書でも書けっていうのか?」
「行動で示すのが一番早いわ。そう、例えば――」
エリカはまるで今考えたみたいに、ちろ、と目線を左上に飛ばした。
「貴方が行きたくて行きたくてたまらない舞踏会より、私たちの会話を優先する、なんて、どうかしら?」
我慢の限界だった。
歩んでいく。高慢な顔の目の前まで。「ち、ちょっと」と焦るルカの胸を突いて。
エリカはピクリともしない。大した奴だよ。だけど関係ない。そう――。
「関係ないんだよ。お前らなんて。お前らの信用なんて、ボクの目的には一切。ボクの邪魔をしないなら何をしようが構わない。でも、そうじゃないなら相手が誰であろうと関係ない」
ボクはエリカ・リミエールを睨みつけた。
「潰してやる」
けど、彼女の目は一切揺れない。ただ、ボクを見てるだけ。
「分かったわ」
声色も、変わらない。
少し、分かった気がした。
どこまでも冷たくて、人を嘲る時にしか感情が動かない――こいつはきっと、そんな奴だ。
「どうしたのかしら。行くんでしょう、舞踏会に」
目線を切らずに、後ずさる。振り返った時、「最後に」と声が聞こえた。
「何?」
「素敵よ、そのドレス。皆に見せてやりなさい、貴方という存在を」
皮肉か。言葉を返す価値はない。
ボクは階段を急いで駆け下りた。
腹が立つ。だけどこの感情は、今のボクにとってはどうでもいい。
大広間に近付くと音楽の正体が分かってきた。一曲目のはずだけどもう終わりかけだ!
ガーネットは、ガーネットは今どう過ごしてるだろうか。
最悪の場合、デュオ・ヴァルナートが彼女を見かけて、ダンスに……。
無垢な彼女は、暴虐な公爵子女の言葉を疑いもせず、言われるがままに、男に顔を寄せ……。
やめろ物語の読みすぎだ吐き気がする変な想像をするなボクのバカバカバカッ!




