商人令嬢リンベル・アストレー
私、リンベル・アストレーは重大な任務を父から預かっています。
父は麦を中心に扱うグレモラの商人で、私も一般市民としてはとても裕福な暮らしをしていました。
しかし、商人気質とでも言いますか。父の欲は留まる所を知りません。
父は大きな計画を立てました。アストレーが今よりさらに大きくなる為には?
商会の発展には、障害物があります。それが、私たちの住むグレモラを治めるリンウッド公爵です。
お兄ちゃんは「障害物じゃなくて調節弁って言うんだバカ親父」と言いました。
私もお兄ちゃんと同意見ですけどね。麦の価格や流通を確認し、溜まりすぎないように、流れやすいように。それは必要なことです。
でも、父曰く「何も革命を起こしたい訳じゃない。ただほんの少しだけでいい、便宜を図られる関係になればいい」だそう。
そんな父が立てた大きな計画。その中心にいるのは――わたし。
ウエストリアに入学する私は、限られた人しかその姿を見たことがないという、謎めいたリンウッドのご令嬢と、仲良くなり、一番の親友となるのです。
そして、娘の親友のよしみで何かとお願いを通してもらうようにする。お兄ちゃんの代になる頃にはより深く結びつき、アストレーはリンウッド家ある限り繫栄し続ける。
それが父の立てた計画。
お父さんは何度も「リンベルを一人前のレディにするついでだ」って言ったけど、そうは思えません。
ウエストリアに入学する為にうんうん唸りながら座学している私に、リンウッド公の情報をまとめた資料を渡してくるんですから。
リンウッド公が手掛ける公共事業、功績、リンウッドの歴史、使えそうな褒め言葉、その他いろいろ。使用人の似顔絵まで!
お兄ちゃんが全部処分しましたが。「人に見つかったらスパイ疑惑で投獄だバカ親父」らしいです。
私も同意見です。本当にバカ親父です。
だけど、父は父です。
バカだけど悪い人ではありません。
きっと、私を一人前の淑女にしたいというのも本当です。ただ、商人としての欲望を抑えきれないだけ。
なので、私はできる限り努力したいと思います。
せめて、ウエストリアから帰ってきた時、父に「頑張ったけどダメでした」と言えるように。
そして、その日がやってきました。ウエストリアに入学する、運命の日。
名目上は広く門戸を広げているウエストリアですが、それでも学園に入学するのはほとんどが貴族。
数少ない市民の子でも、古くからの名家の者であったり、源流に貴族の血があったり。
私のような、裕福なだけの一般市民の子は本当に数少ないはず。
……父の計画は置いておいても。
身分にまつわるいじめや、派閥争いがあったら、私のような存在は一瞬で消し飛んでしまいます。
なので、そのうち学内の権力の一端を握るであろう人と接近しておくのは悪くない考え、かもしれません。
という訳で、私はウエストリアの門の前に溜まる馬車を眺めていました。
豪華な馬車から降りてくる人々はみな貴族然としていて、どんどん気持ちが落ち込んでいきます。
産まれ持った気品を持つ訳でも、聡明な頭を持つ訳でもない、一般市民の娘。それでいて、お腹には陰謀を抱えている。
なんだか自分がどんどんちっぽけな存在に思えて来て。
そんな気分を紛らわせるのに、役に立ったのは――皮肉にも、父の『スパイ資料』。
リンウッドのご令嬢、ノエル様は謎の多き方。何らかの理由で、一切公には顔を出しません。
となると、ウエストリアに入学する際にも馬車に紋章を入れていない可能性もある。
父が渡してくれた、リンウッドの使用人の似顔絵。その中には、御者のものも。
つまり、お忍びで来るであろうノエル様の姿をいち早く確認するには、御者に集中していればいい。
分かっています。これは全て私の希望的観測に基づいた都合のいい推論だって。
それでも、ただ馬車を眺めて降りてくる人々を漫然と眺めるよりは遥かに気が楽でした。
自分は人が知らない事を元に動いているんだって。ただ突っ立っているように見えて、目的をこなす為に努力しているんだって。
そうやって私が正当化に精を出している時でした。
本当に来ました。少し大きめ、だけど、決して豪華絢爛ではない、普通の箱馬車。紋章も当然描かれていない。
でもそれを運転するのは、スパイ資料に描かれていた似顔絵とそっくりな御者。
あれです。あの中にノエル・リンウッド様がいるんです。
私は固唾を飲んで、見守りました。どんな方が降りてくるのかって。
でも。
降りてきたその方は、とても地味で――。少し、変わった見た目をしていました。
暗緑のシンプルな服装。恐らく、女性。だけど小さな背も相まって、少年のようにも見えます。
印象としては、おしなべて地味――。
ただひとつ。その、ぴんと立った耳を除いて。
何と言えばいいんでしょうか。どう思えばいいのでしょうか。
可愛い? 違う。
気にならない? 違う。
変わってる? 絶対違う。
どの表現も、口に出してはいけない。そう思いました。
だって、その少女の目は、まるで…人を威圧するように、鋭く、冷たく、尖っていたのですから。
だけど、私の困惑はその後、更に大きな感情に飲み込まれました。
少女に手を引かれて降りてきた女性は。
すらりと長い手足。腰の高さ。つやつやの黒髪。
そして、仕草。差し伸ばされた手に手を預けて、馬車を降りる様子。その時の笑顔。
まるで太陽の光を浴びた花がぱあっと開くような自然な咲きこぼれ方。
周りの目を否応なしに引き付ける存在感がそこにありました。
思わず声に出たくらいです。「美しい人……」って。
そして、女性は、手を引かれて正門を通って行ったんです。
その姿を見て、私にはハッキリと分かりました。
美しさ、たおやかな雰囲気。そして、そばの少女が甲斐甲斐しくお世話をする様子。
あれが、上級貴族。あれが、公爵令嬢。
ノエル・リンウッド様に間違いありません。
式典でも、その後の入寮でも、私は半分上の空でした。
父が大枚をはたいて用意してくれた一人部屋。
その静けさの中で、考えるのは、あの方。ノエル様のことばかり。
仲良くなれば学生生活で有利だとか、父の商売に役立つとか、そういう打算はもうありません。
今はただ、近付いてみたい。
一般市民にとって貴族というのは綺羅星のようなもの。
輝いて見えるけど、決して手には届かない。
でも、ああ、ようやく実感が湧いてきました。
ここは綺羅星を間近で見られる所。そして、手を伸ばせる所。
私は、私自身の望みでノエル様に近付きたい。
その為には――。
私はベッドから体を起こして、ドレスをかけているトルソーを見ました。
母が見立ててくれたそれは、ただ佇んで役目を果たす時を待っています。
あと必要なのは、私の行動だけ。
……気乗りは、しません。
参加自由の舞踏会。新入生を歓迎するための催し、という名目だけど。
決まっています。そこはただ新入生を祝う場じゃない。きっと貴族同士の示威行為と、駆け引きが溢れている。
マナーに厳しく目を光らせて、もし失態を犯そうものならその後の生活は――ああ、ああ、恐ろしい。
けど、これはチャンスでもあります。公爵令嬢なら、きっと舞踏会に参加なさるはず。
やはり、行ってみよう。




