入学初日はその後の三年間より大事なんだって。
馬車から降りた瞬間に、周囲の視線が突き刺さった。
でも、さすがと言うべきか。普段なら漏れ聞こえてきたはずの陰口は聞こえない。
相手が誰かも、誰が聞いているかも分からないという状況で、下手な事は言わないという訳だ。
寮に入った後にでも話すんだろう。馬車から獣耳が降りてきたって。
だけどいい。どうせ、3年間キャスケットをかぶってやり過ごすなんてできっこない。
だったら隠すよりも晒してやる。
ボクが馬車の前に立っていると、御者は裏に回って荷解きを始めた。
寡黙な彼は、だけど、本当に、ボクの考えてることをよく知っている。
御者だけじゃない。父さまも、母さまも、使用人たちも、ボクのことをよく知っていて、いつも先回りして動いてくれていた。
その厚意にどんな感情が隠れているのかは、もう気にしていない。皆、良い人たちだ。
16歳になった今、ようやく思う。
だけど、今からはそうじゃない。
これから出会うのは、良い人ばかりじゃない。
先回りしてボクが心地よく過ごせるようにしてくれる人はいない。
自分の力で、居場所を作らないといけない。
ボクと、ガーネットの居場所を。
馬車の中に手を伸ばすと、彼女はボクの手を取った。
細くしなやかな手から、彼女がバランスを取るのに苦労している重みが伝わる。
やがて、頭をかがめて彼女が馬車のステップを踏んだ。
それから、ボクを見て、ニコリと笑って言った。
「ありがとうございます!」
ボクはつっけんどんに「いいよ」とだけ言った。
本当は、もっと優しく言いたい。だけど、ボクの口はかたくなだ。
それでもガーネットは一切気にしない。今もこうして、ニコニコと笑ってボクを見ている。
ガーネットはボクがどんな態度を取っても許してくれる。
ずっとこのままで居たいとすら思う。彼女と二人っきりの世界に。
その時、ボクの耳が小さな声を拾った。
――美しい人……。
その声が、ボクを現実に引き戻した。
ボクの耳は、無駄に高性能だ。だけど今はそれが役に立つ。
美しい人。例え見えなくても、その声がどこからどう向けられたのかまで分かる。
声は、間違いなくガーネットを向いていた。
少し集中して聞き分けると、ざわめきの中にもそれはあった。どなたかしら、とか、上級生かな、とか。
分かるよ。そうだろう。そうだと思ったんだ。絶対に、ガーネットを見るとそんな反応になる。
ガーネットは、目立ってしまう。その大人びた風貌と、黙っていても漏れ出てくる独特の雰囲気で。
だけど、今はそうやって目立つのは困る。
「行くよ」
ボクはもう一度ガーネットの手を取って歩き始めた。
ガーネットは笑って一切逆らわずに歩調を合わせてくれた。
ボクたちの様子を見て、周りはざわめいている。
集中しろ、ノエル・リンウッド。もう、聞くな。これ以上は思考の邪魔だ。
とにかく、見た目の印象を残すだけならいい。避けたいのは初日で悪目立ちすること。
途中でしくじるのとは違う。出だしでの失敗はずっと後を引いてしまうんだ。
だから、ボクがガーネットを導くんだ。
それに、本番はこれからなんだから。
何事もなく、ウエストリアの初日――。
入学の式典と、入寮を終えた後の、山場。
舞踏会を乗り越える。




