24、二度目のデート
しばらくの間、わたしを抱きしめていた国館社長は、名残惜しそうにゆっくりと腕をほどいた。それに合わせて、わたしも社長の背中に回していた手を下ろす。
「そろそろ、自宅に送っていきましょう」
「え……?」
まだぼんやりしていたわたしは、立ち上がった社長を戸惑いながら見上げる。社長はそんな私に、困ったような笑みを向けた。
「これ以上一緒にいたら、歯止めが利かなくなりそうです。──粕谷さんが許してくださるなら、先に進みたいのはやまやまなんですが」
その意味に思い至って、わたしはぼんっと真っ赤になる。社長は緊張をほぐそうとするかのように、小さく声を立てて笑った。
「今日の今日じゃ、展開が速すぎますよね。──その代わり、土日は一緒に過ごしましょう。どこに行きたいですか?」
帰りの車の中では、さっきのやりとりがなかったかのように話が弾んだ。
「土曜日は午前中に家のことをしたいので、午後からがいいです」
「お手伝いに行きましょうか? 二人でやれば早く済みますよ?」
「……勘弁してください。男の人に散らかった部屋を見られるのはちょっと……」
「僕は気にしないのに」
「わたし“が”気にするんです~!」
その後、明日はお昼に郊外の大型ショッピングセンターに行き、昼食を食べてから併設されてる映画館で映画を観ることに話が決まる。
日曜日のことは明日決めようということになり、話は昼間訪れたという社長の元彼女の話になった。
「え~! レストランに置き去りですか!? “嫌いです”って言い放って? すごーい!」
五人の女性にお引き取り願えなかった気弱な社長にしては大進歩。わたしは手放しでほめる。年上の男性に“ほめる”というのも、失礼な気はするけど。
社長は申し訳なさそうに言い訳した。
「そうでもしなきゃ、いつまでも帰ってくれないと思ったんです。僕が和弥のことで怒って“もう付き合わない”ときっぱり言っても、誘いをかけてくるような人でしたから。──あ、すみません。こんな話、女性には不愉快ですよね」
「いえ、その程度なら全然……」
社長のことを何とも思ってなかったなら、普通に聞けたと思う。好きだから、ちょっと胸が痛む。でも昔のことだし、社長が嫌ってる相手にやきもち焼くのも変な話だよね。
わたしの返事にほっとして、社長は話を続けた。
「それで何とか荒倉さんを振り切ることができたんですが、お店には悪いことをしました。注文しておきながら、料理も出てこないうちに席を立つなんて。食事代より多めに渡して出てきましたが、お金でお詫びをするなんて失礼極まりなかったと思います」
社長は真面目な人だから、頭の中ではもっと自分を責めてるんだろうな。
わたしはちょっと考えてから提案した。
「じゃあ明日の夕食は、そのお店に食べに行きますか?」
「え?」
「いつまでも悩んでたって健康によくないですから、早めに謝りに行きましょうよ。謝って、今度はちゃんと食事するんです。そうすれば、お店の方もそんなに気を悪くされないと思いますよ?」
お金を払ってあるんならお店の側は謝られても困るかもしれないけど、いつまでも気に病んでお店を敬遠されるより、謝罪をされてお店を利用してもらったほうが嬉しいんじゃないかと思うのよ。
「ありがとうございます。そうさせてください」
安堵の混じった社長の返事に、わたしは付け加えた。
「土曜日はお店も混むでしょうから、早めに行きましょうね」
空いてる時間のほうが、お仕事の邪魔にならないと思うから。
そう言いながら社長に笑顔を向けると、社長もわたしのほうを見て微笑んでくれている。
今、すでにアパートの前。話が終わらなくて、路肩に停めた車の中で話し込んでる最中だった。
目が合うと、社長は恥ずかしそうにちょっと目を逸らした。
「唐突で申し訳ないんですが、……キス、してもいいですか?」
「えっ……?」
わたしはどぎまぎしながら車の外に目を走らせる。通りかかる人は誰もいない。
でも、改まって訊ねられると恥ずかしいな……。
口に出して答えることができずに頷くと、社長はわたしの顎に手をかけて顔を上げさせながら、自分の顔を傾けて近づけてきた。
しっとりと重なる、唇と唇。
それはすぐに離れていった。
「おやすみなさい」
常夜灯にうっすら照らされた社長は、残念そうに笑う。
今日はこれでお別れ。もっと一緒にいたいとは思うけど、わたしもこれ以上一緒にいたら歯止めが利かなくなっちゃいそう。
「……おやすみなさい」
わたしも残念に思いながら笑い、それから車を降りた。
アパートの階段を上がり、二階の廊下から車に向かって手を振る。見えてるかな? どうかな? 前に同じことをした時は訊ねなかったので、明日忘れなかったら訊いてみよう。
部屋に入って電気を点け、そのまましばらく土間に佇む。
車の音が遠ざかっていくのを聞きながら、月曜日とは違う、甘酸っぱい思いで胸が満たされていた。
翌土曜日、昼前に迎えに来てもらって、郊外の大型ショッピングセンターに向かった。
……休日をナメてましたわ。駐車場は大混雑。満車の上にスペースができるのを待つ車が駐車場内で長蛇の列。運よく空いたスペースに車を停める頃には、すでにお昼を過ぎていた。
店内も一杯で、わたしは社長──じゃなかった、壮一さんとはぐれないよう気を付けながら、人をかき分けるようにして映画館に向かう。観たかった映画の席を何とか取ることができると、映画館内のフードバーの列に並んだ。
「映画の時間に何とか間に合って、よかったですね」
ショッピングセンター内の飲食店でゆっくり食事をする時間などなく、フードバーで軽食を買って映画の最中に食べようってことにしたんだけど。……並んでる人の多さに、映画が始まる前に買えるか心配になってきたわ。
計画通りにならなかったことを、社長はしおしおと謝る。
「僕も滅多に来ないので失念してました。昼食がここになってしまって申し訳ないです」
わたしも一緒に計画したんだから、謝ってもらうことないです! ──とは言わず、わたしは国館さんの顔を覗き込んでにこっと笑った。
「国館さんが嫌でなければ、私は全然平気です。気になるメニューがあったから、逆にここで食べれてよかったかなー……なんて」
「気になるメニューですか? どれです?」
少しほっとした様子の壮一さんと、フードバーの上に表示されてるメニューを眺めながら話をする。
映画が終わる頃には、もう夕方になっていた。まだまだ混雑したショッピングセンターを出て、昨日国館さんが食べ損ねたというレストランに向かう。
まだ夕食の時間には早かったけれど、お客さんがちらほら入っていた。
「いらっしゃいませ。二名様でいらっしゃいますか?」
出迎えてくれた少々年配のウエイターさんに、わたしが答える。
「はい」
「お席へご案内します」
歩き始めたウエイターさんについていこうとしたけど、国館さんが立ちすくんだまま動かないので小さく声をかけた。
「昨日のことを知ってそうな方?」
「え、ええ……」
わたしたちがついてこないことに気付いたウエイターさんは、立ち止まって振り返る。それをチャンスと捉え、わたしは話しかけた。
「彼が、昨日のお昼に失礼なことをしてしまったと気に病んでいたので、謝罪に伺いました」
国館さんに目を向けて促すと、国館さんはわたしをみて一瞬ためらった後、ウエイターさんに頭を下げる。
「昨日は席に着いて注文したにもかかわらず、食事をせずに帰ってしまい申し訳ありませんでした」
ウエイターさんのほうも覚えていてくれたようだ。驚いたように目を見開いた後、控えめに微笑む。
「昨日のランチ時にお越しくださったお客様でしたか。わざわざ謝罪に来てくださってありがとうございます。ええっと……本日は謝罪のためにこちらへ?」
聞きにくそうにしているのに気付いて、わたしはすかさず答えた。
「いえ、よろしければお食事もさせていただけないかと」
「歓迎いたします。ようこそいらっしゃいました」
さっきより微笑みを深くして、ウエイターさんは踵を返す。国館さんは不意に思い立ったようにウエイターさんを呼び止めた。
「あ、あのっ。昨日の連れの女性はあのあと迷惑をおかけしなかったでしょうか?」
「お客様がお帰りになられた少し後にお帰りになられましたので、迷惑など何もございませんでしたよ?」
振り返って愛想よく答えるウエイターさんに、国館さんはなお声をかける。
「そうしましたら、注文した料理は無駄になってしまったのでは……」
「ご用意を始める前でしたので、ご安心ください」
まだ何か言おうとした社長の袖を、わたしは小さく引っ張った。
「国館さん、そろそろ話は……」
話し込んじゃご迷惑……と思いながらウエイターさんに謝罪の目配せをすると、ウエイターさんは気になさらないで下さいというように微笑んでくれる。それから悪戯っぽく瞳をきらめかせた。
「お連れの方も帰られた後、店内はお客さま方の話題でもちきりでした。かく言うわたしも少々顛末が気になるのですが、立ち入ったことをお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「は、はい」
「本日のお連れ様は、その、どういったご関係の方で?」
「あ、えっと……」
国館さんはしばし言い淀んだけれど、返事を待っているウエイターさんに失礼だと思いなおしたのか、緊張しながらもはっきり言った。
「僕の好きな人です。昨夜、交際をOKしてもらいました」
改まって言われると照れくさい。わたしは俯き加減に視線を泳がせる。そこにウエイターさんの穏やかな声が聞こえてきた。
「それはおめでとうございます。いい方と巡り合われましたね」
“いい方”なんて褒められるほどの者では……。わたしはさらに照れくさくなる。
ちらっと目を上げるとウエイターさんの優しい瞳とかちあって、わたしは恥ずかしくなって会釈するそぶりで俯いた。
案内された席に着いて、ディナーのセットメニューを注文した。
ここはフレンチ風レストランで、サラダ、スープ、パン、魚料理、肉料理が、食べるの速度に合わせて供される。それらの料理を美味しく食べ終えると、最後にコーヒーと一緒にデザートが運ばれてきた。それを見たわたしたちは目を瞠る。
「え? あの、これって……」
動揺して訊ねると、謝罪を受け入れてくれたちょっと年配のウエイターさんが、控えめに微笑んだ。
「差し出たことかと思いましたが、ささやかながらお祝いさせてください」
大きな平皿にケーキとアイスクリームと果物が上品に盛りつけられ、お皿の底の縁に沿ってチョコレートソースを使って“Congratulations”と書かれている。
これのために、“立ち入ったこと”と言いながら国館さんに質問してたんだ。心のこもった気配りに、感動して言葉が出てこない。
国館さんは恐縮して、ぺこぺこ頭を下げた。
「す、すみません。ご迷惑をおかけした上にこのようなことまでしていただいて……」
ウエイターさんはおおらかに微笑んで言う。
「急に思いつきましたので特別なデザートはご用意できなかったのですが、飾り付けだけ工夫させていただきました。ですので大した手間ではございません。お気になさらず」
お、これは話題に乗らないと。わたしは我に返って質問した。
「もしかすると、記念日とかに予約させていただくと、特別なデザートを用意してくださるということですか?」
「はい、ご予約の際にお伝えいただければ、ご用意させていただいております」
わたしは「わぁ、そんなサービスがあるんですね。素敵」と言った後、社長に話を振る。
「また来ないとね。今度は予約して」
「お待ちいたしております」
ウエイターさんは、嬉しそうに微笑んでくれた。
会計は少し揉めた後、昨日国館さんが渡したお金で支払われることになった。迷惑をかけたからと渋る国館さんにわたしは「近いうちに田端さんと溝口さんを誘って来ましょうよ」と言ってその場を収める。
帰りの車の中では、明日の予定を立てた。
「明日はもっと人の少ないところにしましょう。人混みで疲れたんじゃないですか?」
「わたしは通勤電車で慣れてるんでそんなことなかったんですが、社長は疲れたんじゃないですか?」
「そんなことはないですよ? よろしければ芝桜を観に行きませんか? たしか先々週くらいに新聞に写真が載ってたんです。もう時期外れかもしれませんが、ドライブがてら」
「いいですね」
そうして待ち合わせ時間なども決まる頃には、車はアパートに到着した。
「……ありがとう」
急に言いだした国館さんに、わたしは苦笑する。
「え? 何がですか?」
「粕谷さんがいなかったら、謝りに行くことなんてできなかったです。……感謝しています」
「謝るのが上手くいったのは、ウエイターさんがいい人だったからですよ」
謝罪できずに終わってしまう可能性があったことを考えると、今日はとてもラッキーだった。わたしは多少後押ししたけど、実際謝ったのは国館さんだし。
国館さんの微笑む顔が、さっきよりも近くなった。
「それでも、粕谷さんにも感謝したいんです。……こんな僕と付き合ってくれてありがとう」
まだそういうこと言うんだな。少しずつでいいから変わっていってもらわないと。国館さんのために。
わたしはおどけて言った。
「そんなこと言わないでください。わたしが好きになって人は、ちょっと気弱だけど、思いやりがあって人のために頑張れる、自慢できる人なんです。たとえ国館さんでも、そんなことを言うのは許しませんよ?」
言い終えてからにこっと笑うと、社長は微笑みを深くして唇を寄せてくる。
昨夜よりちょっとだけ親密なキスを交わして、すぐに離れていった。
「おやすみなさい」
「……おやすみなさい」
そうして昨夜と同じように別れた。
少しずつ、国館さんとの距離が縮まってくる。
それを嬉しく思うのと同時に、焦りを感じてる。
早く、話さなきゃ。
そう思うのに、なかなか言い出せない。国館さんだって過去の傷を暴いてまで告白をしてくれたんだから、わたしもちゃんと話さなきゃ。
でも話そうと思うたびに傷が痛んで、慌ててそれから目を背けてしまう。
わたしはまだ強くない。強くならなきゃ、国館さんのために。




