25、最後のインターバル
混雑するかもしれないことを考えて、日曜日は早朝に出発した。
山道をくねくね通って目的の高原に到着するけど、シーズンが終わってしまったみたいで、芝桜はまばらだった。けれど普段見ることのない雄大な景色を堪能し、高原にあるレストランで昼食を食べ、十分満喫して帰途に就く。
地元に帰る途中の車の中でこんな話をした。
「この分だと、かなり早い時間に地元に戻れそうです。どこか行きたいところはありませんか?」
「明日は仕事ですから、よければお部屋にお邪魔させていただいてDVDとか観たいです。あ、そうだ。いつもごちそうしてもらってるお礼に、今日は──と、口がすべりました。忘れてください」
途中で調子に乗りすぎたことに気付いて撤回したけど、国館さんはなかったことにはさせてくれないらしい。
「“忘れてください”と言われても、気になるんですけど。“今日は”何です?」
「ええっと……」
「作ると言ってくださるつもりだったんじゃないですか?」
ずばり言い当てられ、わたしは笑ってごまかす。
「あー……ははは。身の程知らずでした。国館さんほど料理上手じゃないんで、忘れてください」
上手じゃないだけでなく、レパートリーも少ないしね。
国館さんの口からこらえた笑い声が聞こえた。
「“身の程知らず”って何ですか? 粕谷さんの手料理、是非食べてみたいです。お手伝いしますから」
「ですから、それは忘れてくださいって」
作ったら恥かくだけだもん。
「ダメ、ですか?」
残念そうに言う国館さんに“作らない”という決心がぐらついて、わたしはぼそっと言った。
「お口に合わなくても知りませんからね?」
夕方前に地元に到着して、国館さんの部屋に行く前にスーパーで買い出しをさせてもらうことにした。
料理するなら自分の部屋で作ったのがいいとは思ったけど、調味料や食器が揃ってないし、駐車場がないから車を駅前の有料駐車場に停めにいかなくちゃならない。だから「ウチでいいですよ」と言ってくれた国館さんのお言葉に甘えることにした。
スーパーの駐車場に車を停めたところで、国館さんが訊ねてくる。
「それで、メニューは決まりましたか?」
作れるもので国館さんが好きそうなもの……とぐるぐる考えたけど、国館さんのほうが上手に決まってると断念。残ったメニューはこれしかなかった。
「あの……オムライスでもいいですか?」
大人の男の人にオムライスをごちそうするって……と自分にツッコミを入れるけど、これしか自信を持ってごちそうできるメニューがないから仕方ない。
国館さんはちょっとびっくりした顔をしたけど、すぐ嬉しそうに微笑んでくれた。
「楽しみです」
買い物かごを国館さんが持ってくれて店内を回る。
「お米は使わせていただいていいですか?」
「はい、そうしてください。卵もありますよ」
「えっと……六個使うんですけど」
「六個ですか! そうしたら買い足していったほうがいいですね」
「古い方から使わせていただきますから」
そんな会話をしながら、鶏もも肉とタマネギ、ニンジン、缶詰のホールコーン、それと卵を一パック、買い物かごに入れてレジに並ぶ。どちらがお財布を出すかで揉めたけど、「他の食材はいただくんですから、これくらい払わせてください!」と言い切って、わたしが勝利をおさめた。
国館さんの部屋に入ってすぐ、お米をとぐことから始めた。
といだお米を炊飯器にセットすると、わたしは食材を切り始める。手持ち無沙汰になった国館さんが、ふと思い立ったように言った。
「サラダとコンソメスープを作ってもいいですか?」
わたしもそうだけど、国館さんも人にやらせて自分は動かないのは落ち着かないんだろうな。
「いいですね。お店で出るメニューみたいです」
そう言って笑顔を向けると、国館さんはさっそくレタスを野菜室から取り出してちぎり始める。
「粕谷さん、コーンは全部使いますか?」
「一番小さな缶をにしたんですが、二人分だとちょっと多いです」
「じゃあ残った分はサラダに入れましょう。まな板が空いたら、キュウリとトマトを切らせていただきますね」
「はい……」
わたしは手元が恥ずかしくて俯いてしまう。国館さんはさっとレタスを洗って水を切り、ガラスの器にちぎりながら盛ってるのに、わたしはニンジン一つにもたもたもたもた。うー……情けなくなってきた。
「どうかしたんですか?」
「あ、タマネギ切ってたら目に染みて……」
「まだ切り始めてないようですけど?」
馬鹿か、わたし。ごまかすならごまかすで、ちゃんと方法考えろ。
まな板に突っ伏したくなって手を止めていると、国館さんは心配そうに声をかけてくる。
「疲れたんでしたら、僕が代わりましょうか……?」
そういう訳にはいかないと思い、わたしは元気に答えた。
「いいえ! 始めたからには、最後までやらせてください!」
わたしの意気込みに驚いて、国館さんは驚いて「無理はしないでくださいね?」と言った。
下拵えを終えると、帰宅途中に借りてきたDVDを観ながらご飯が炊けるのを待つ。
炊きあがる音がしたところで、DVDをいったん停めて仕上げに取り掛かった。フライパンで具材をざっと炒めて、国館さんに手伝ってもらってご飯をその中に投入する。ほぐしながら具材となじませていると、国館さんが声をかけてきた。
「そろそろコンソメスープを温め直してもいいでしょうか?」
「あ、はーい」
わたしの返事を聞いた国館さんは、コンソメスープのかかっている隣のコンロに火をつける。
「オムライスはどんな食器がいいでしょう?」
「大きな平皿があったら……なければカレーの時の皿でOKです」
「じゃあカレー皿を」
カレー皿を調理台に置いてから、小さなスープ皿を取り出す。わたしが使い残したコーンを、キュウリとトマトが添えられたレタスの上に等分にかけると、テレビの前のテーブルに運んでいった。
わたしがケチャップで味付けしたチキンライスをフライパンからよそっていると、国館さんがテレビの前から戻ってきてくれる。
「このままでも美味しそうですね」
「チキンライスに載せる卵は、もっと美味しそうですよ」
スーパーで半熟卵が好きだと聞き出しておいたので、結構自信があるんだ。
国館さんのお皿のほうを多めにつけてフライパンを空にすると、ざっと洗う。それをコンロにかけなおし、温めながら卵三個をボールの中で割りほぐし。牛乳を少し足して塩胡椒を軽くすると、暖まったフライパンにサラダ油と風味付けのバターを一片入れ、その中に流し入れた。少しぐしゃぐしゃしながらオムレツの形にまとめる。それをそうっとチキンライスの上に載せると、縦に包丁を入れた。するとオムレツは重力に従って割れ、半熟卵がチキンライスの上を覆う。
「やった! 成功」
久しぶりだったから、上手くいくか心配だったんだ。それで練習がてら自分の分でやってみたけど、腕は落ちてないみたいでよかった。
「上手いものですね。オムライス専門店で出てくるオムライスみたいです」
わたしは国館さんの分の卵を割りながら答える。
「テレビでやってたのを真似てみたんです。そしたら上手くできたんで、オムライスが得意料理から外せなくなっちゃって」
「粕谷さんは料理に自信がないようなことをおっしゃってましたが、かなり上手なんじゃないですか?」
国館さんってば、何ヨイショしてるんだろ。わたしは苦笑しながら否定する
「いえ、そんなことは」
「本当にそう思ってらっしゃるなら、きっと経験が足らないだけですよ。毎日作るようになればすぐに慣れますよ」
そうかな? そうだといいけど。
あ、そういえば。
「ところで、国館さんっていつまでも他人行儀な話し方ですよね」
指摘すると、悪いことでもしたかのように気まずげな顔をして肩をすぼめた。
「す、すみません。でも、それを言ったら粕谷さんだって」
「わたしは国館さんより年下だから、簡単に敬語はやめられませんよ。そうだ。わたしのこと名前で呼んでみません? “美樹”って」
すると国館さんは真っ赤になってうろたえる。
「え? あの、その……」
「わたしはこれから“壮一さん”って呼ばせていただきますね。で、壮一さんは気が向いたら“美樹”って呼んでください」
さらにうろたえたところを見ると、気が向くのはいつになることやら。心の中で苦笑しながら、二つ目のオムレツ作りに専念した。
料理が揃いソファに座ると、さっきのDVDの続きを観ながら食べ始める。
「美味しいです。すごく美味しい……」
「何しみじみ言ってるんですか。そんな大したものじゃないですって」
「粕谷さんが初めて作ってくれた手料理なので、何か感動してしまって……」
やっぱりすぐには呼び方を変えられないよね。それはともかく、そこまで喜んでもらえると作ってよかったなぁって思う。オムライスを作ってる時は“これが最初で最後”と思ってたけど、わたしったら今すでに次のメニューを考えてる。……ぬか喜びさせたくないから、言わないけどね。
食べ終わるとまたDVDを停めて、コーヒーを淹れながら後かたづけをする。いつもながら──といっても毎日おじゃまするようになって一週間ちょっとだけど──きれいなキッチン。それだけじゃなく、部屋全体も。
「ここに住み始めて、まだそんなにならないですか? すごくきれいですよね」
壮一さんが洗って水切りに置いた皿を、わたしはふきんで拭く。
「四年近くになります。長さとしてはどうなんでしょうね?」
「え!? 四年も住んでてこんなにきれいなんですか! すごい!」
どういう生活してたらこんなに生活感を出さずに暮らせるのよ? 驚いて周囲をまじまじと見ているわたしの隣で、壮一さんは何でもないことのように言った。
「そのうち売るかもと思うと汚せなくて。ですから、自分の家というより間借りしてる気分です」
「その……自分の家だと感じられなくて寂しくないですか?」
わたしは今のアパートに住み始めて二年以上になるけど、すぐにあそこが自宅だと感じるようになった。そうしなきゃ、暮らしていけそうになかったから。
壮一さんはどうなんだろう。いつでも実家に帰れるのかな? そうすると寂しくないのかもしれない。
食器を洗い終えて手を拭いていた壮一さんは、ふと手を止めてつぶやいた。
「粕谷さんが……」
「え?」
何気なく聞き返すと、壮一さんは珍しく──というか、もしかして初めて? 冗談めかして言った。
「粕谷さんがいっしょに住んでくれるなら、ここを“我が家”にしてもいいかな……なんてふと思ったり」
目をそらしながら照れくさそうに言われて、わたしも赤くなる。ええっと、それは同棲ですか? ちょっと展開が早すぎるような……。
どう答えたらいいかわからなくなって、食器を拭く手も止まってしまう。
「すみません。冗談──ではないんですけど、今すぐに考えてほしいわけじゃないですから」
わたしを緊張させないためにそう言ってくれたんだろうけど、展開早いと思ったさっきとは逆にちょっと寂くなる。
口説いてきた時は、時間がないことに焦って本当になりふり構ってなかったんだ。両思いになったとたん、壮一さんの態度はまた及び腰。“本当にわたしと付き合いたかったんだろうか”と不安になることもたまにある。
その不安が消えるのは、キスされる時だった。キスだけは、回を重ねるごとに遠慮がなくなっていく。
コーヒーを持ってソファに戻った時、壮一さんはDVDを再生しようとしなかった。言葉少なにコーヒーを飲み終えると、肩を抱き寄せ顔を近づけてくる。目を閉じると、壮一さんの唇が触れた。
車の中と違って人目を気にしなくていいせいか、キスは長く深かった。
抱き締め合ってキスしてるだけじゃ物足りなくなって、わたしは壮一さんの背中に回した手を撫でるように動かしてしまう。それに気付いてか、壮一さんはキスをやめて身体を離した。それで我に返ったわたしも、手を引っ込める。
わたしってば何やってんだろ。
恥ずかしくて俯くと、壮一さんは間近でささやいた。
「粕谷さんが、僕と恋愛できないと言っていた意味がわかったような気がしました」
え? どういう意味? 不安に思いながら顔を上げると、壮一さんも不安げに微笑んでいる。
「打ちひしがれている僕に同情して、付き合うことにしてくれたんでしょう?」
思ってもみなかった事を言われて、とっさに返事することができなかった。言葉に詰まったわたしを見て、壮一さんの表情がわずかに痛みに歪む。
「最初は同情でもいいと思ってました。でも、一緒にいる時間が長くなるほど、同情なんかじゃなく本当に僕を好きになってほしいと思ってしまう」
わたしは慌てて訂正した。
「わ、わたしは本当に国館さんのことが好きです。金曜日の夜に話してくれたことがきっかけだったのは否定しませんけど、絶対に同情なんかじゃ……」
「すみません。情けないことを言って。……自信がないのがいけないんですよね。今でもまだ信じられないんです。粕谷さんが、僕とつきあってくれていることが」
そういう不安は、恋愛には付き物だ。そう言って慰めるのは簡単だけど、ずるはしたくなかった。
壮一さんだって、自分の過去の傷を暴いて告白をしてくれた。わたしは自分が傷つきたくなくて逃げてきたけど、こんなに想ってくれている人の気持ちと向き合わないなんて失礼だ。
わたしも本当のことを話さなくちゃ。
「ですから、あなたに少しでも躊躇いがある以上は」
話し続ける壮一さんの言葉を、わたしは自分の言葉で遮った。
「待ってください。本当に同情なんかじゃないんです。……打ちひしがれてる国館さんを見ていて、すごくわたしのことを好きになってくれたんだなって感じて。それで、こんなに想ってもらえてるのに、わたしが自分の気持ちを偽っているのはずるいって思ったんです。ただ、わたしも壮一さんに話さなきゃならないことがあって……」
言わなきゃ。
でも、言葉が出てこない。
話そうとすると当時の記憶が押し寄せてきて、眩暈がして苦しくて。
息も満足にできなくなって喘ぐわたしの肩を、国館さんはそっと抱いてくれた。
「無理はしないでください。……あなたが辛い過去を背負っていることは、何となくわかっていましたから」
「え──?」
知られてしまったの? ぞっとして顔を上げると、壮一さんは困ったように微笑んだ。
「いえ、あなたに何があったのかは知りません。ただ、女性の方々にお引き取りいただく手際がよすぎるので、何かしらの経験を積んだことがあるんじゃないだろうかと何となく」
「あ、そ……そういうことですか」
あからさまに安堵のため息をついてしまい、いたたまれなくて視線を膝の上で握った手に落とす。
その手に、壮一さんの大きくて節ばった手が重ねられた。
「話したくなければ話さなくてもいいんです。ですが、僕はあなたが何を話してくれても、それを受け入れる覚悟があることだけは覚えておいてください」
「ありが、とう、ございます……」
泣けてきそうになる。これまでそんなことを言ってくれる人なんていなかったから。
打ち明けても同じ気持ちでいてくれるか、正直自信がない。でも国館さんの言葉が身に沁みて、心の底に溜まっていた澱が洗い流されていくようだった。
「話させてください。……オフィスリフォームが完了したその夜に、必ず」
今は無理でも、期限を切ってしまえば話せるようになるかもしれない。その日までに覚悟を決めよう。
「……お待ちしています」
壮一さんも、何だか泣きそうな顔をして微笑んだ。
翌月曜日から、先週と似たような日々が始まった。変わったのは、アパートまで送ってもらったときに交わすキスだけ。壮一さんはわたしを急かさないようにと考えてくれているのか、部屋では特に距離を置こうとする。
毎晩一緒にいてもその気にならないのかなと思うと、彼女として自信をなくすけど、壮一さんの優しさは嬉しかった。
そして“その日”がやってくる。




