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18、所長といい、先輩といい……

 昨晩は雰囲気に飲まれかけていたけど、これだけはかろうじて言えた。

 ──綿谷所長と相談させてください。顧客の方とプライベートでお会いしていると、社に迷惑をかけることになるかもしれないので。

 それに対して、国館社長はこう言った。

 ──わかりました。綿谷さんから返事をもらったら、連絡をください。


 わたしはこれで決着がついたと思ったのよ。普通会社は、社員が取引先の人と個人的に親しくなることにいい顔をしないはずだから。仕事上で親しくなるのはいいけど、プライベートでも親しくなるとそちらでトラブルが発生した場合、取引に悪影響を及ぼす危険もある。

 そのため“取引先の社長と個人的にお付き合いしたいのですが、いいですか?”と訊ねたところで、“絶対禁止”とは言われないまでも“許可”を出せないはずだ。会社としては個人的なトラブルがあった際に関与を否定するため、知らなかったフリをしたいはずだ。

 わたしは“許可をもらえなかった”ことを理由に、社長の告白をお断りするつもりだった。



 ところが翌日、月曜日の始業前。綿谷所長に許可をもらいにいったら、思わぬ答えを返された。

「国館君と付き合うことになったのかい。祝福するよ。おめでとう」

 デスクに座っている所長は、にこにこしながらわたしを見上げる。予想とは違う展開に慌てたわたしは、懸命に考えて反論を試みた。

「あの、取引先の社長と個人的な付き合いがあるってことになると、会社的にマズくはありませんか?」

「別にマズくないよ。国館君も粕谷君、君も信頼のおける人間だからね」

 そんなあっさりといいの? 国館建材さんとは、リフォームが終わってからも建材の取引でお付き合いが続くのに。

 所長は何故かご満悦な笑みを浮かべて話し出した。

「国館君はいい青年だ。なのに親しい付き合いをする女性がいるという話を聞いたことがなくて、もったいないと思ってたんだよ。自分の意志がしっかりしている粕谷君なら、国館君にぴったりだ。少々気弱だけれど、国館君は頼れる男だよ。粕谷君も国館君の隣でなら気を楽にすることができるんじゃないかな?」

「所長……」

 胸の奥がじんわりと暖かくなる。

 のんびりのほほんとした人だけど、すごくよく見てくれている。わかってくれる人がいるっていいな──って、わたしが所長に許可を求めた目的はそうじゃない。

「でも従業員が特定の取引先の方とプライベートでお付き合いがあるって知れたら、他の取引先の方々に何て思われるか」

 そうよ、国館社長もそのことをちゃんと考えたほうがいいんじゃない? 特定の取引先の従業員と個人的に付き合ったりしたら、えこひいきしてるって邪推する人が出てきてもおかしくないもん。もちろんわたしは、国館社長も綿谷所長もそういうことをする人じゃないってわかってるけどね。

 これなら社長を思いとどまらせることができるかもしれない。

 にわかに希望を持ち始めていると、後ろから近づいてきた人に声をかけられた。

「美樹ちゃんらしくない弱腰ね。──おはようございます、綿谷所長、美樹ちゃん」

 蓉子先輩は、わたしの隣に立って挨拶する。

「ああ、おはよう」

 にこにこしながら先輩に挨拶を返す所長に、わたしもおそるおそる続く。

「……おはようございます」

 身構えるわたしに、蓉子先輩は遠慮なく切り込んできた。

「どうして断る口実を必死に見つけようとしてるの? 本当に断りたかったら、好きになれそうにないからお断りしますって言えばいいだけのことじゃない」

 全くもってその通りです、ハイ。


 でも、わたしには断らなきゃならない理由がある。


「好きじゃないわけじゃないんです。ただ、わたしが社長に言い寄っていた女性を追い払った経緯もありますし、それで付き合ってもらうって何だかフェアじゃない気がしまして……」

 ごにょごにょ言い訳すると、先輩はため息をついた。

「あのね美樹ちゃん。そうやって理屈をこね回してるってことは、本当は断りたくないって思ってるってことなの。試しに付き合うくらいいいじゃない。人が二人もいれば、貸し借りがない関係を保つことのほうが難しいわ。社長から借りを返してもらいすぎだと思ったら、その分は返せばいい。恋愛に限らず、人間関係はそうやって成り立ってると思うのよ」

 蓉子先輩の言うことはもっともだ。わたしが口にする貸し借りの話は、理屈をこね回しているにすぎない。

 わかってはいるけれど、先輩の言うとおりにもできない。それで返答に困っていると、所長から助け舟が出た。

「そろそろ始業時間だし、仕事を始めましょうか」



 綿谷所長と話をしたらすぐ国館社長に連絡する約束をしてたけど、仕事の時間が始まっちゃったのをいいことに連絡を先延ばしにした。

 そして迎えた昼休み。

「美樹ちゃん。今日のお昼、どうする?」

 蓉子先輩に声をかけられ、わたしはにらめっこしていたスマホから顔を上げた。

「今月そろそろピンチなんで、コンビニで何か買ってこようかなって思ってるんですけど」

「わたしもそうしようかな。一緒に買いに行こ」

「はーい」

 わたしはほっとしながら、財布を持って立ち上がる。

 これでコンビニから帰ってくるまで電話するのを保留にできる。──と、思っていたのに。

「あ、美樹ちゃん着信じゃない?」

 わたしのスマホの音に、先輩のほうが先に反応する。この時間にかかってくる電話の心当たりが一つしかなかったので、わたしは聞かなかったフリをしたかったんだけど。

 気が進まないまま確かめてみれば、相手はやはり想像していた人。出ないわけにはいかないので、わたしは財布と重ねて持っていたスマホをもう一方の手に持ち替えて電話に出た。

「はい」

 聞こえてきたのは、低くて心地のいい国館社長の声。

『今、いいですか? 確かこの時間は昼休憩だと思ったのですが』

 ……訊ねられるままに、そういう話もしちゃったわね。今日は顧客のところに行く予定もないって。わたしは覚悟を決めて返事をした。

「はい、おっしゃるとおり休憩時間に入りましたから、大丈夫です」

 電話口から、笑いをこらえる吐息が聞こえてきて、わたしはどきっとする。

『営業モードですね。僕と距離を取りたいっていう意思表示ですか?』

 バレバレですね、これは。でもま、社長もわかっているなら話が早い。


 蓉子先輩の言う通り、理屈をこね回している間は未練がある証拠。ここではっきり返事して、すっぱり断ち切るんだ。


「綿谷所長に話をしました。所長は問題ないと言ってくれましたけど、やっぱりわたし──ちょ! 先輩!」

 覚悟を決めて話しかけたのに、先輩が強引にスマホを奪う。そして勝手に社長と話し始めた。

「あ、お話の途中にお電話を代わりまして失礼します。わたし、先週末にもお電話さし上げた末芝です。美樹ちゃんが変に尻込みしてるんで、代わりにお話させてください。……はい、……はい」

「せ、先輩っ!」

 慌てて取り戻そうとしたけど、先輩は片腕を伸ばして取り返そうとするわたしの手を阻む。

「今日の夕方ですか? そうですね。定時は無理ですけど、二時間残業で何とかなると思います。……はい、わかりました。美樹ちゃんにそう伝えますね。本当にお電話代わらなくていいんですか? ……わかりました。それでは失礼します」

 先輩はくすくす笑いながら通話を切り、スマホを返してくれる。どんな話をしたかわからないけど、もう手遅れだ。わたしはがっくりしながら受け取った。

「社長さん、仕事が終わった頃に迎えにこられるそうよ。電話を代わってもらったら撤回されそうだっておっしゃって切ってしまわれたけど、美樹ちゃんによろしくって」

「……はあ、そうですか」


 綿谷所長といい、蓉子先輩といい、他人の恋愛にどうしてそう積極的なんでしょう?


 まだお昼だというのに、わたしはぐったりしてしまった。



 ──・──・──



「いえ、いいです。粕谷さんに代わっていただくと折角末芝さんが取り付けてくださった約束を撤回されてしまいそうですから。……粕谷さんによろしく伝えてください。ありがとうございました。失礼します」

 話し相手の末芝さんが通話を切ったのを確認してから、僕も終了ボタンを押す。

 こみ上げてくる嬉しさに、ついつい口元が緩んでくる。それを和弥に見られてしまった。

「電話の相手、美樹ちゃんじゃなかったのか?」

 隠したところでいずれバレるだろうから、僕は正直に話す。

「かけた相手は粕谷さんだけど、途中で粕谷さんの先輩に当たる方がかわってくださったんだ」

 聞き耳を立てていた和弥は、呆れたようにため息をつく。

「で、美樹ちゃんの意志を無視して、夕方迎えに行く約束を取り付けたってワケか。……おまえってやっぱり手が早かったんだな」

 にやにやと笑う和弥に、僕はぶっきらぼうに返す。

「何とでも言え」


 先週金曜に粕谷さんを会社に送り届けた後に“おまえって意外と手が早かったんだな”とからかわれたのを思い出す。あの時はまだ、粕谷さんを口説くつもりなんて全くなかった。あれからまだ一週間も経たないのに、自分の気持ちの変化に驚きを禁じ得ない。


 僕自身がそうなのだから、溝口さんはもっと驚いたのだろう。目を丸くして唖然としたように言う。

「一体、どうしたんです? 金曜日は全然そんな気なさそうだったのに」

 言い終えた後、溝口さんは何かを期待して目を輝かせるので、僕は気まずくなっておどおどと目をそらしてしまった。

「えっと、それは……」

「その様子だと何かあったな? 素直に吐け!」

 和弥が面白がって、僕の首に腕を回して締め上げてくる。

「ま、待った! 本気で締めるなっ」

「やめなさいよ、そんな大人げないことは!」

「おまえは知りたくないのかよ? 壮一の心境の変化をさ」

 止めに入ろうとしてくれた溝口さんは、和弥のこの一言で躊躇した。

「そりゃあ知りたいけど……」

「溝口さんまで!」


 そんなやりとりの後、僕は白状させられた。もちろんアパートまで送っていったことにして、僕の部屋まで連れて帰ったことは口を割らなかった。粕谷さんの行動にはさすがの和弥も心配になったらしい。

「そこまで無鉄砲だと、確かに心配でほっとけなくなるな。けどおまえ……」

 途中から和弥は言い淀む。言いたいことは何となくわかる。

 “そんな理由で付き合おうと思ったのか? 粕谷さんがそういうきっかけで始まる恋愛を否定してたのに?”

 これには答えられそうになかった。心配ではなく腹が立ったから口説くことにしたけれど、その理由を話すのはいろんな意味で難しくて。

 僕の気持ちを察してか、溝口さんは和弥の耳を引っ張った。

「いで! いてて! 何すんだ!」

「そこまでにしなさいよ。よく言うでしょ? “人の恋路を邪魔する奴は”って」

 溝口さんから耳を取り戻した和弥は、押さえて痛みをこらえながら反論した。

「でもなあ、美樹ちゃんの言ってたことも一理あると思わないか? 心配や同情だけじゃ、恋愛は長く続かないって」

「そういうことは国館さんが考えることで、相談されたわけじゃないのに口を挟むのは余計なお世話なの。──というわけで国館さん、このうるさいの連れて昼食に行ってきます。昼食が終わったらすぐ戻りますので、よろしければ国館さんもオフィスに鍵をかけて昼休憩に入ってくださいね」

 今日僕は二人と別で昼食を取ると言ってあったので、和弥は溝口さんに連れられて、しぶしぶオフィスを出る。


 一人になってから、しばし考えにふけった。

 和弥に自分の想いを説明するのは、先週和弥に言われたことを肯定するようで抵抗がある。だいたい、自分の恋心をひとに説明するなんて、恥ずかしくてできっこない。

 それに、僕と粕谷さんの間に下手に介入されたくなかった。

 粕谷さんの気持ちは、今大きく揺れ動いている。僕を即座に突っぱねるほど嫌ってはいないにしろ、自分の考えが引っかかっているのか容易に交際を承諾してくれそうにない。何が彼女に決定的な“No”を言わせてしまうかわからないから、慎重にいきたい。

 時間もあまりない。

 僕はここ一カ月余りの間に見慣れた、古びた内装を見まわした。

 この風景もあと一週間で見納めだ。予定では、来週末にはリユースされた家具の搬入も済み、リフォーム物件の引き渡しになるという。

 僕は約束してしまった。それまでに粕谷さんの気持ちを変えられなければ諦めると。

 だから時間がない。


 僕はここでぼんやりしている場合ではないと気付き、ポケットから鍵を取り出しながらドアに向かった。

 時間を有効に使わないと、あっという間になくなってしまう。僕は今晩のための準備の段取りを考えながら、オフィスを出た。

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