17、ホントどうしちゃったの?
国館社長ってば、一体どうしちゃったの? わたし言ったよね? 社長とは恋愛できないって。
歪に始まった恋愛は、いつか必ず崩壊する。社長とわたしの関係には、すでに異物が入り込んでしまっている。──助け、助けられる関係──お礼や申し訳なさといった恋愛とは関係ない感情を挟んでしまったら、その恋愛は必ず歪む。一方がもう一方に遠慮し、そのために無理をかさねることになる。歪みはどんどん大きくなって、やがて耐えられなくなる──。
「──やさん、粕谷さん」
国館社長の声が不意に耳に飛び込んできて、わたしははっと我に返った。
「どうしたんですか? 何か思い悩んでいるみたいですけど」
「い、いいえっ、何でもないです! やっぱりここで食べましょうよ。日暮れまでまだ時間がありますし、リーズナブルで美味しそうですよ」
サービスエリア内はお土産屋さんだけじゃなくて、特産品を扱っているお店や地域を紹介する展示室、小さな遊園地や温泉まであった。いくらでも時間が潰せそうだったけど、日が暮れたらすぐ観覧車に乗ろうという話になったので、一通り見て回っただけだ。
今は夕食をどうするかについて、フードコートを回って検討している最中だった。
慌てて取りつくろったわたしに、社長は苦笑して言う。
「粕谷さんは“リーズナブル”っていう言葉がお好きですね。僕がオゴると言ってるのに」
わたしは断固として首を横に振った。
「ダメです! 美術館の入館料もお昼ご飯も、高速代だって払っていただいたのにこれ以上オゴっていただくわけにはいきません」
それに最近ちょっと散財気味なんで、財布の紐を締めないと月末ヤバそうなのよね。今日の夕飯はできるだけ低価格にしないと。
そう思って気を引き締めようとするのに、社長は魅惑的な言葉で誘ってくれちゃう。
「ですから言ったじゃないですか。今日は金曜日のお礼に僕が払いますと」
“ありがとうございます。お言葉に甘えて”と言ってしまいたい。でもそれは図々しすぎる。
「それこそダメです。飯塚さんをあのお店に連れて行ったのはわたしですし、飯塚さんは社長でなくわたしに会いにきたんです。その段階でもう、社長ではなくわたしの問題になってたんです」
予想の範疇内だったけど、社長も頑として譲らなかった。
「それは違いますよ。僕がちゃんとしていれば、粕谷さんと飯塚さんの間に接点はできなかった。ですから、金曜日の夜のことも僕の責任なんです。──そういえばうっかり忘れてしまっていたのですが、長谷川さんとは喫茶店でお話されたのですよね? その時のお代をお支払いするのを忘れていました」
「それも忘れてください! 自分のコーヒーはちゃんと自分で飲んだので、社長はそこまで気にすることないんですってば。──それより、長谷川さんにはいつ連絡するんですか?」
話を逸らそうと、わたしは自分が引き受けた話を持ち出す。社長は困るだろう。何せ先週、自分でお付き合いを断れなかった人だから。
けれど、社長の返事はわたしの予想を覆した。
「もうしました」
は? 今なんて? いやいや、ちゃんと聞こえましたけど。いつの間に? 先週までの社長とは何だか別人。やること早いよ。
「それで何て返事を?」
思わず社長に向かって首を伸ばしてしまう。そんなわたしに苦笑しながら、社長は答えてくれた。
「丁重にお断りさせていただきました。“付き合いたい人がいるから”と正直に話したら、わかってくださいましたよ」
何その思わせぶりな話し方は? それってまるで──ってわたしのバカ! 何期待してんのよ。自分が言ったこと、思ったことを忘れたの?
わたしは自分の気を散らすために、わざと残念がってみせる。
「うーん、国館さんと長谷川さんなら、似たもの同士でお似合いだと思ったのに……」
「似たもの同士だからこそ、僕と長谷川さんは付き合わないほうがいいんです。長谷川さんが言ったことなんですが、僕もそう思います。他力本願みたいでほめられたことではないとは思いますが、僕らのように気弱な人間は、弱さを容認したままではいない相手が必要なんです」
「え? ごめんなさい。わたし、国館さんに変なプレッシャーかけちゃいました?」
社長が嬉しそうな顔をするのを見て、わたしはとっさに下を向く。やだ、何言ってるのよ。社長が言ってる“相手”をまるで自分だと思い込んでるみたいに。頬が熱くなってくるのを止められない。
「す、すみません。わたしってば何言ってるんでしょうね?」
ごまかしきれずにしどろもどろに言うと、社長は「ここに立ったままでいるのも何ですので、何か買って座りましょう」と言った。
日曜日ということもあって、夕食時より少し時間が早いのに、フードコートはそこそこ混んでいた。食事を注文して番号札をもらった社長とわたしは、大きなテーブルの一角に並んで座れる席をみつけ、そこに腰を下ろす。
「あ……痛たた」
座面にお尻をつけた時にうっかり左側に体重をかけてしまい、わたしは思わずうめいた。
「どうしたんです?」
痛くないように座り直すことに気を取られ、あまり考えずに答えてしまう。
「先週痛めたところに体重をかけちゃって」
「もしかして、突き飛ばされたときのですか?」
社長が身体を後ろに倒して目を向けようとするものだから、わたしはお尻を隠すように手のひらでお尻のあたりを隠す。
「どこ見ようとしてるんですか! どこをっ!」
わたしがわめいたことで自分が何をしようとしたのか、社長は目元を赤らめて身体を起こした。
「あ、す、すみません。大丈夫ですか? やっぱり病院に」
先週と同じことを言う社長に、わたしは苦笑する。
「この程度なら病院に行くほどじゃないですよ」
そう言った後わたしが小さく息をついたので、社長は不思議そうに尋ねてきた。
「どうしたんです?」
「やっぱり社長は社長だなって。ほっとしました」
にっこり笑いかけると、困ったような視線を返してくる。
「僕、何かおかしかったですか?」
「いえ、昨日までとまるで別人で。頼もしすぎてちょっと戸惑っちゃったというか……あ、もちろん今日のほうが断然いいですよ?」
すると社長は、しばし思案気な表情をして、それから真剣な表情をしてわたしの目を覗き込んできた。
「……今日の僕なら、粕谷さんは好きになってくれますか?」
「──はい?」
わたしは間抜けた声を出してしまう。
社長ってば、ホントどうしちゃったの? 社長らしくないということ以前に突拍子がない。そりゃあちょっとは気にかけてもらってるかなとは感じてたけど、それはわたしが社長の厄介事を引き受けたからっていう理由を越えるほどのものじゃなかったはず。土曜日の朝から急に強引になっちゃって、何だかおかしいよ。
不意を突かれたということもあって冗談にすることもできず、わたしは返答しあぐねてしまう。
しばしそんな風に見つめ合っていると、テーブルの上に置いたブザーが鳴った。
「できたみたいですね。取りに行ってきますので、粕谷さんはこのまま席を取っておいてください」
わたしは途方に暮れて、席を立って歩き出した社長の背中を見送る。
食事中は、さっきのことがなかったかのように会話が弾んだ。リラックスして食事を終えると、さすがにこれ以上待ってるのはどうかという話になって、観覧車乗り場に向かう。
太陽は地平線に隠れたけれど、西の空はまだ少し茜色に染まっていた。でも地上にはその光が届かないらしく、暗闇に沈んだ街は人口の明かりに彩られつつある。
「一番いい時間かもしれませんね。夕焼けも夜景も楽しめて」
そう言いながら左右の窓を眺めていたわたしは、ふと社長の視線に気付き、頬が熱くなるのを感じた。社長は外の景色を見ていなくて、わたしをほほえましそうに見ている。何? その視線。何の意味もないのよ、ただわたしが子どもっぽいことをしてたから苦笑してただけで。そう自分に言い聞かせるけど、どうしても別の意味合いがあるんじゃないかと想像してしまった。
「どうかしましたか?」
わたしの妄想に気付いた様子なく、社長はおっとりと微笑む。わたしは愛想笑いをしてごまかした。
「いえ、あの。来週の予定はどうなってたかなって思いまして。国館建材さんのリフォームのスケジュールとか」
「来週……いえ、今週の半ばまでに工事案内のチラシを持ってきてくださって各テナントさんへ配布してくださるんですよね? で、金曜日に施工業者さんと顔合わせをして鍵の受け渡しと、家具類の搬出の立ち会い。それまでにウチの会社の備品や私物は片付けておく」
「はい、そうです。リフォームのスケジュールを書いた書面を用意させていただきますので、それを各テナントさん方の郵便受けに投函させていただきます。改めて挨拶に顔を出してほしいというテナントさんはお見えではなかったですよね? 土日休みのテナントさんが多いとのことでしたので、リフォームは土曜日から開始させていただきます。内装をはがして汚れを取る工事は、どんなに気をつけても騒音と埃がちょっと出ますので」
よし、調子が戻ってきた。わたしは仕事の話を続けようとする。社長はそんなわたしにストップをかけた。
「粕谷さん。せっかくの休日なんですから、仕事の話はやめましょう」
「す、すみません……」
社長の休日でもあったのに、悪いことしちゃった。素直に謝ると、社長は申し訳なさそうに微笑んだ。
「いえ、怒ったわけではないんです。粕谷さんは……わざと仕事の話を持ち出して、僕の気持ちをなかったことにしようとしませんでしたか?」
「社長の気持ち、ですか……?」
またその話を持ち出すの? しかも、言い方がこれまでよりはっきりしてる。いよいよかと思うと、心臓がどきどきしてくる。
どうしよう。でも、わたしの心はとっくに決まってる。
「粕谷さん、僕はあなたのことが好きです」
予想してた言葉なのに、わたしの心臓は張り裂けそうに痛んだ。
「僕と付き合ってほしいんです。リフォームが終わっても、僕は粕谷さん、あなたと会いたい」
「え……と。そういうことをするのはどうかなぁと」
軽い口調で言って笑い出そうとしたわたしに、社長は真剣な言葉を投げかける。
「茶化さないでください。あなたは僕に恋愛感情を持たないと言った。それは、もしあなたが僕に告白をしたとしたら、僕は感謝の気持ちと負い目から、それを断れないだろうという意味だったのでしょう? でも、僕から告白したのでしたらどうです? 僕のことをあなたはどう思いますか? 女性の方々にお引き取りいただくこともできなかった情けない僕とは、付き合いたくありませんか?」
自嘲気味なその言葉を聞いて、わたしはとっさに否定する。
「社長は情けなくなんか……」
社長がいい人なのは知ってる。誠実な人だということも、ほんの少し言葉を交わしただけですぐにわかった。だからこそ残念だと思ったの。わたしと社長との間には異物が入り込み過ぎてる。それを完全に取り除くことなんて不可能だ。付き合い始めたって先が見えてる。
そのことをもう一度説明したかったのに、舌が強張ってしまったかのように声を出せない。
社長はそんなわたしをさらに追い詰めた。
「壮一です。そう呼んでください」
どくん、と心臓が大きく打つ。
「壮一、さん」
まるで操られたかのように、わたしの口から彼の名前がこぼれた。
社長はまるで逃がすまいとするかのように、わたしをまっすぐ見据えて言う。
「僕を情けなくないと思ってくださるなら、僕と付き合うことを考えてはもらえませんか?」
「わたし、は……」
顔の火照りも、胸のどきどきもすっかり消えていた。指先がいつの間にか冷たくて、少しでも温めようとこすり合わせている。
観覧車が地上に戻り、わたしたちは無言で降りた。そのまままっすぐ駐車場に向かい、車に乗り込む。
わたしのアパートに着いた時、社長はこう言った。
「すぐに返事をくださいとは言いません。その代わり、僕にも時間をください。あなたに僕を知ってもらうための時間を。毎日会いに行きますから、拒まないでください。その代わり、リフォームが終了しても粕谷さんが僕と付き合う気になれなければ、諦めますから」




