16、仕返しするつもりが
日曜日の朝八時半。わたしは国館社長に電話をかけた。コール四回ほどで電話がつながる。
『おはようございます、粕谷さん。どうなさったんですか?』
ちょっと慌てた寝ぼけ声。これは“してやったり”かな? わたしはほくそ笑みながら、さりげない口調で返事をした。
「国館社長、おはようございます。わたしが何のためにお電話したか、わかりますか?」
電話口から、恐る恐るといった声が聞こえてくる。
『“今日は都合が悪くなった”、とかですか?』
「ハズレです。残念。“社長のご自宅の下まで来ていますので、中に入れてください”が正解です」
途端、耳元で「がたっ」と大きな物音が聞こえた。
『え! 下に!?』
慌ててる慌ててる。やったね。昨日散々慌てさせられたから、今日はわたしが社長を慌てさせたかったんだ。やられっぱなしは性に合わないのよ。
『す、すみません。今起きたばかりで……』
そう言い置いてから、社長は部屋番号を教えてくれる。
マンション入り口の鍵が開いたところで、わたしは「すぐに上がっていきます」と言って電話を切った。
ふふふ、起き抜け急襲成功。社長って早起きなイメージがあったから、こんなに上手くいくとは思わなかったわ。社長も起き抜けの姿を見られて恥ずかしい思いをするといいわ。
──と思いながらエレベーターで上がり教えてもらった部屋番号のドアの前まできてチャイムを鳴らす。中でばたばた音がして、鍵が開く音がしたかと思うと、ドアが小さく開いた。わたしが横にそれて中を覗くと、社長は大きく扉を開ける。
「すみません。まだ髭も剃ってなくて。入って待っていてください」
照れくさそうに頬から顎にかけて撫でている社長に、わたしは赤面してしまう。うわー何だかワイルド。無精ひげを生やしてる姿もサマになってる。……社長を恥ずかしがらせるつもりが、わたしのほうがよっぽどか恥ずかしくなっちゃった。
「おじゃましまーす」
目を合わせられないまま、わたしはドアを押さえていてくれる社長の横をすり抜ける。ブーツを脱いでいると、背後でドアが閉まり、鍵がかかる音がした。やだ、わたしってば何緊張してるのよ。
落ち着きをなくしてしまったわたしとは逆に、社長は平然としたものだ。
「今コーヒーを入れてますので、ソファに座って待っていてください」
言いながら、社長は洗面所に入っていく。キッチンからは香ばしいコーヒーの香りとコーヒーメーカーがこぽこぽいう音。そのうち、洗面所のほうから電動カミソリの音も聞こえてくる。
わたしは落ち着かず、リビングを見て回った。木目地のフローリングとオフホワイトの壁紙。絵や写真は飾られていない、シンプルなお宅だ。黒いロングソファの前に天版がガラスのローテーブル、そこから少し離れたところに大型の液晶テレビ。キッチン手前のカウンターにスツールが三脚。そして他に家具がないから妙に目立つ、わたしの背丈ほどもある大きな本棚。
本棚には専門書がずらりと並んでいた。その半分以上は資格試験の本。建築士二級、宅建、マンション管理士まである。これ全部勉強してるの?
電動カミソリの音がやんで、足音が聞こえてきた。わたしは振り返って尋ねる。
「試験受けたんですか? 受けるんですか?」
口にしてから不躾な質問をしてしまったと気付いたけれど、社長は苦笑して聞き流してくれる。
「いえ、知識を得るために読んでいるだけです。資格試験の本は、その道の入門書代わりにもなって便利なので」
「勉強家なんですね。──どうかしましたか?」
社長はわたしの格好をまじまじと見ていた。六月に入ってちょっと暑くなってきたので、今日は半袖のカットソーに膝上のキュロット、ハイソックス、それに薄手の上着を合わせたんだけど、どっかおかしいかな?
「粕谷さん……大変失礼しますが、年齢はおいくつですか?」
何故か知らん、社長は恐る恐る訊ねてくる。別に知られたくないわけではないので、わたしはあっさり答えた。
「二十五歳です」
「二十五歳……九歳差……」
社長は呆然と呟きながら、手のひらで額を押さえる。何でそんなにショックを受けるの?
コーヒーメーカーが止まる音がすると、社長はよろよろとキッチンに向かった。
キッチンに入った社長は、コーヒーをカップに注ぎながら訊ねてくる。
「粕谷さん、朝食は食べましたか?」
「はい、食べてきました。あ、社長はまだですよね? どうぞ召し上がってください。わたしはコーヒーをいただきながら待ってますので」
注いでもらったコーヒーを受け取りながら答えると、社長はちょっと照れくさそうに笑った。
「じゃあお言葉に甘えて」
社長はソーセージを暖めたフライパンで焼きはじめ、そこにささっと切ったキャベツとニンジンを投入する。トースターに食パンを二枚放り込むと、平皿に焼けたソーセージを取り出し、キャベツとニンジンは卵とじにした。社長の分のコーヒーを注ぎ終えたのを見計らったかのように、トースターが鳴る。
「……手際、いいですね」
卵綴じをソーセージの乗った皿に盛っている社長にため息混じりに言うと、社長はトーストをもう一枚の皿に載せながら口元をほころばせた。
「自炊生活が長いですからね。今日のメニューは定番ですよ。急いでいるときはいつもこれです」
……昨日の仕返しのつもりで朝早く訪ねたはずが、返り討ちに遭っちゃったような気分。
わたしは内心がっくりきながら、社長が仕切り板の上に置いたものを隣の席に並べていった。
「ありがとうございます」
社長はお礼を言い、キッチンから出てきて隣の席に座る。
朝食を食べながら社長は訊ねてきた。
「それで、今頃お聞きするのも何ですが、どうしたんです? こんなに早く」
わたしは何食わぬ顔をして、表向き用意してきた返答を口にした。
「お迎えに来ていただくのも申し訳ないと思いまして、早めにお伺いすることにしたんです。時間ぎりぎりだとすれ違いになっちゃいますし、先に連絡をすれば社長は“迎えに行くんで待っててください”っておっしゃったんじゃないですか?」
社長は不意に目元を赤らめた。
「僕はそんなにわかりやすいですか?」
「行動パターンがわかりやすい方って、何をすると怒って何をしたら喜ぶか読みやすいんで、付き合いやすいんですよ?」
にっこり笑って答えると、社長はさらに赤くなってふいと目をそらす。
「そ、そうですか……」
そんな風に照れられると、わたしも照れくさくなっちゃう。何だか落ち着かなくなって、わたしは話題を変えた。
「ところで、わたしのほうこそ今更なんですが、今日はどちらに行きたいんですか?」
「美術館です。今興味のある展示がされているんですが、ちょっと遠いところにあるのもあって行きそびれてたんです」
社長はあっという間に食事を終え、食器を片すとすぐに出発した。地下駐車場に下りて車に乗り、街中に走り出る。
車が道路の流れに乗ると、社長はいろいろ質問してきた。
「ご実家はどちらですか?」
「県内です。でも家から会社に通うのはちょっとキビしくて、一人暮らしを……」
「ご兄弟は」
「いないです。一人っ子なんです」
数日前とは逆の状況に、わたしの頭の中こそクエスチョンだらけだ。
質問内容は子どもの頃のことに移り、そこからだんだん遡ってくると、わたしの口は重たくなった。それに気付いてか、社長は話を先週のことに切り替えた。
「えっと、末芝さんでしたか? 粕谷さんの先輩」
「はい、そうです。すごく面倒見がよくって、入社して以来ずっと頼りっぱなしなんです。先週の金曜日も大丈夫だって言ったんですけど、飯塚さんと飲みに行くのについてきてくれて」
「大丈夫じゃなかったじゃないですか。それに、酔っぱらった後輩をろくに知らない男に預けて去っていってしまうというのはちょっと……」
わたしは蓉子先輩を弁護する。
「蓉子先輩はきっと、社長なら預けても大丈夫だと思ったんですよ」
「……それは、僕なら男として無害だと思われたってことですか?」
「へ?」
「いえ、何でもありません」
社長はその後しばらく口を閉ざして運転に集中する。
今の何? まるで男として見て欲しいって言われてるみたいでどきどきしちゃうじゃない。
そのうちに、車は高速道路のインターに入っていった。ETC専用のレーンを通り過ぎたところで、わたしは尋ねる。
「あれ? 高速に乗るんですか?」
「県内なんですけど、下道を通るとなると時間がかかりすぎるんで」
「ここ通るの、初めてかもです」
「粕谷さんも車の運転をするんですか?」
「運転免許は持ってます。でも運転が下手なので高速道路を走ったのは自動車学校の教習の時だけです。あとは小さい頃、家族旅行で……」
家族のことを口にしたとたん、わたしの口は失速する。気まずくなりかけた時、前方の防音壁の上に見逃しようのない大きな建造物が見えてきた。
「うわぁ大きな観覧車!」
気まずさを打ち消したかったこともあって感嘆の声を漏らすと、社長は楽しげに説明してくれた。
「サービスエリアにある観覧車ですよ。下道からも入れる複合施設になってるんです。帰りに寄りましょうか?」
「え? いいんですか?」
「粕谷さんが早く来てくださったから、時間はたっぷりありますしね」
「そういえば、社長はゆっくりでしたね。休日でも早起きしてるイメージだったので、ちょっと意外でした」
ちょっと正直に言い過ぎたかも。社長はさっきまでと打って変わって言いにくそうにする。
「いつもは早いんですが、昨日はちょっと、寝付けなくて……それよりも、“社長”はやめませんか? 今日はプライベートですし……」
「そうですね。じゃあ“国館さん”?」
社長は口の中でぼそぼそと何か言う。聞き間違えじゃなければ、“先週のように下の名前でもいいんですけど”聞こえたような……。
「え? 何ですか?」
聞き返すと、社長は「何でもありません」と返してきた。
高速を降りてから、美術館まではすぐだった。今の特設は“空間のデザイン”展。空間──まさに空中をデザインするという催しで、いろんな作品が吊り下げられていたり宙に浮いたりしていて面白い。
けれど社長はちょっと思案顔だ。
「どうしたんです?」
「……何だか思っていたのと違ったもので。仕事の参考になればと思ったんですが」
「しゃ──国館さんは建材を扱うお仕事ですから、ちょっと違いますよね。わたしには目からうろこな作品が、いい刺激になるんですが」
すると社長は、ほっとしたように言った。
「そうですか。──よかった」
ん? 今のセリフは何? 想像と違ってがっかりしたんじゃなかったの?
そこんところが気になったものの言及するタイミングを何となく逸し、そのまま順路に沿って作品を観て回る。
館内は特設会場と常設会場を合わせると結構広々としていて、全部を回り終えた時にはお昼をとっくに過ぎていた。
「この美術館にはレストランがあるんですよ」
そう言って社長が案内してくれたのは、館内にあるフレンチ風レストラン。お店の前にメニュー表があったので、店内に入る前にそれを眺めた。
「こんなにおしゃれなのに、すっごくリーズナブルですね」
「こちらでいいですか?」
「はい!」
ピークが過ぎたのか、さほど待たずに席に案内される。
おいしい食事を堪能すると、常設展を一通り見て回って美術館をあとにした。
元来た道をたどって高速に乗り、観覧車のあるサービスエリアで降りる。
「……微妙な時間」
わたしがうっかり漏らした言葉を、国館社長は聞き逃さなかった。
「何がですか?」
聞かれてしまったからには仕方がない。わたしはごにょごにょと答える。
「もうちょっと遅く着けば、夜景が見られたかなーって思いまして」
「じゃあサービスエリア内を見て回って時間をつぶしますか? ここはいろんな施設が揃っているので、見て回るだけでもいい時間つぶしになると思いますよ」
「え? そうしたら帰りが遅くなって……」
「帰ってから、何か用事があるんですか?」
「い、いいえ」
戸惑いながら否定すると、社長は妙に嬉しそうに笑った。
「でしたらお時間は大丈夫ですよね? 僕も用事はないですし、よければ夕食まで付き合ってください」




