表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/33

13、社長が“遠慮”をやめる時

 スマホ、タオル、ペットボトル。あとは靴箱のところで履き替えた室内シューズをスポーツバッグに放り込むと、僕はスポーツクラブを飛び出す。駐車場に停めておいた車に乗ってすぐにエンジンをかけ、シートベルトをして発進せた。

 

 粕谷さんの先輩だという女性が言うには、綿谷デザインの近くにあるダイニングバーで二人は飲んでいるという。あれほど注意したのに、粕谷さんは危機感というものが完全に欠如してるのか? アルコールが入れば理性のたがが外れやすくなり、言い争いになって興奮すれば手も出やすくなるだろうことくらいわかりそうなものなのに。

 目的地に到着すると駐車場に車を停め、ドアをロックするのももどかしく店に飛び込んだ。

 入ってすぐ目に飛び込んできたカウンターで、店のマスターと思われる男性が顔を上げる。

「いらっしゃいませ~」

 その手前に座っていたカップルのうち、女性のほうが振り返って言った。

「あ、国館社長。早かったですね」

 どちらも想像していたのとまるで違って和やかだったので、僕は拍子抜けして思わず足を止める。

 そこに粕谷さんのはしゃいだような声が聞こえてきた。

「ホント、気をつけるように言ってあげてくださいねぇ。昨今女性でも何するかわからないですから。もしわたしが恋のライバルだったら、行きずりの男性にお持ち帰りさせちゃうところですよ」

 粕谷さんの口から出た物騒な言葉に、カウンターの側まで歩いていった僕はぎょっとして立ち止まる。そんな僕に、カウンターから降りた女性が声をかけてきた。

「こんばんは。先ほどお電話差し上げた、末芝蓉子です。美樹ちゃんのことだから社長さんに今回の事をお伝えしないんじゃないかと思ってお電話差し上げたんですが、余計なことでしたでしょうか?」

「いえ、助かりました。ありがとうございます」


 失礼ながらも気がそぞろになりながら店内に目を向けると、すぐ近くの四人掛けのテーブルの側で、ぐったりした女性を立たせようとしている男性に、粕谷さんが話しかけているのが見えた。

「そんなに動揺しないでくださいよ~。実際は無事だったんですし。ですから、ね? あなたから飯塚さんに、どのくらい危険なことだったかよ~く教えてあげていただけたらなって思うんです」

 しばし動きを止め、考え込んでから男性は答えた。

「君、慣れてるね。もしかして一緒に飲みに行った相手に、いつもこんな危ない橋を渡らせてたり?」

 僕のほうを向いているけど、店内が薄暗いせいか酔っているせいか、粕谷さんは僕に気付いていない。陽気な笑顔で、男性の言葉を否定した。

「やだなぁ、こんなことするのは初めてですよぅ。こー見えてもわたし、人を見る目にはちょっと自信があるんです。飯塚さん、あなたのことをうっとおしいとか言いながら、着信拒否をしなければ、アドレス帳に連絡先を登録したままにしてるじゃないですか。あなたのことを話してた時の飯塚さんも、まんざらでもなさそうな感じでしたし。ですからちょーっとお節介してみようかなって。──もしかして、気付いてらっしゃいました? 飯塚さんの気持ち」

 僕のほうに背を向けている男性の表情は見えないけれど、それを見た粕谷さんがにやっと笑ったところを見ると、だいたい想像がつく。


 男性と何気に意志疎通している様子を見て、僕は苛立ちと怒りを同時に感じる。

 僕の心配は君には余計なお世話なのか? ひとの気も知らないで、何初対面の男と笑い合ってるんだ。そんなことをしているくらいなら、少しくらい僕と意見のすりあわせをしてみようって気にはならないのか?


「君のお節介、ありがたく受け取らせてもらうことにするよ」

「言うまでもないと思いますけど、飯塚さんが寝てるのをいいことにっていうのはダメですからね?」

 両手を合わせて上目遣いに言う粕谷さんに、男性は笑い声を上げる。

「釘刺されちゃったか。了解。君の信頼を裏切らないようにする。ーーそういえば、君、家どこ?」

 それを聞いた僕は、とっさに歩いて粕谷さんに近づいた。

「あれ? 国館社長、どうしてここに?」

「君の会社の先輩に、連絡をもらったんだ」

 そう言いながら、粕谷さんと話していた男性に牽制の目を向ける。

「彼女は僕が送っていくので大丈夫です」

 男性は何故か驚いて、粕谷さんと僕を交互に見た。

「国館社長? え?」

「あ、こちら国館建材の社長の国館壮一さんです。ーーそれで、飯塚さんが通っていたのは、その、この方のところでして」

 それを聞いた僕ははたっとする。そういえばそうだった。つまり、彼にとって僕は恋敵と言える立場にあるということで。

 思い出してしまうと動揺は止められない。「あ、あの……」とかろうじて口にした後言葉が続かない僕に、男性は意味深な笑みを見せた。

「はじめまして。こいつがいろいろ迷惑をかけたみたいですみません。二度と迷惑をかけないようよく言って聞かせますんで、許してやってください。それでは失礼します」

 男性は女性の腕を肩に担いで立たせると、おぼつかない足取りで歩く女性を支えながら店から出ていった。


 店の扉が閉まるのを呆然と見ていると、いつの間にか粕谷さんはカウンター脇のレジで会計を始めている。

「あれ? 先輩は?」

「彼氏さんと帰られましたよ。そちらの社長さん? に“あとはよろしくお願いします”って言ってね」

 そういえば、そんなことを言われて生返事をした記憶があるようなないような……。考え込んだ僕は、金額が読み上げられるのを聞いて我に返った。

「僕がオゴります!」

「え、いいですって。昨日もオゴってもらっちゃいましたし」

「でも、さっきの女性が粕谷さんに会いに来たのも僕の」

 そこで僕は、粕谷さんのきっぱりした声に遮られる。

「社長、ここを戦場に選んだのはわたしの独断ですし、飯塚さんの分は彼女を迎えに来た方に払ってもらったから、わたしが払うのはわたしの分だけなんです。──それより、送ってくださるってホントですか? そっちのほうがわたし嬉しいです」

 粕谷さんがそう言ってふんわり笑うので、僕の心臓はどきんと跳ね上がって、言うべき言葉を失ってしまう。

 会話が途切れたのを見計らったように、マスターとおぼしき人物は粕谷さんにお釣りを渡した。粕谷さんがそれを財布にしまっている間、話しかける。

「戦場って、言い得て妙だね。蓉子さんからもちょっと聞いたけど、さっきの戦いもお見事。酔い潰してここに置いていっちゃうのかと思ってひやひやしてたんだけど、ああいうつもりがあったとはね」

「お店に迷惑は絶対にかけないですよ~、ですから安心してください」

「まあ、美樹ちゃんのする事だから、半分は信頼してたけどね。──ありがとうございました。また来てね、今度は社長さんもご一緒に」

 遠慮がちな笑みを向けられて自分の視線が険しくなってしまっていたのに気付いた僕は、慌てて視線をゆるめ、会釈して粕谷さんと一緒に店から出た。



 粕谷さんの住まいに向けて車を走らせている僕の横で、粕谷さんはたどたどしく言い訳する。

「ですからぁ、飲んでる途中でさっきの方から電話があって。飯塚さんが電話を切った後、すぐまたかけてきたんですよぅ。それで飯塚さんは怒って電源も落としちゃったんですぅ。でも、そんなに嫌なら着信拒否にしちゃえばいいだけじゃありません? 幼なじみっていうだけで、会社付き合いとかで、そうしなくちゃいけない事情があるわけじゃなさそうだったんですもん。で、電話の人のことを聞いてみたら、飯塚さん、子供が拗ねるみたいに話すの。拗ねるってことは相手に認められたいってことで、それって相手に関心や好意を持ってもらいたいってことなんじゃないかなぁって」

 粕谷さんの口調は陽気で舌足らずだ。車の振動のせいか、たくさん喋ったせいか、酔いが回ってきているみたいだ。そんな彼女に腹が立って、僕の言い方には棘が混じる。

「それで迎えに来たあの人をけしかけたってわけですか? 彼はその、状況につけ込んだりしないと約束してましたが、もし彼に約束するつもりがなかったり、粕谷さんの読み違えで飯塚さんに全くその気がなかったとしたらどうします? 下手をすると犯罪に加担してしまったかもしれないんですよ?」

 厳しく言ったつもりだったのに、粕谷さんは少しもこたえてないようだった。

「だーいじょうぶですってぇ。こー見えても、人を見る目はすっごく養ってきたんですから。ヤバい人だと感じたら、飯塚さんを預けたりなんかしなかったですよぅ」

 前から思っていたが、何なんだこの自信は。僕には根拠のないことのようにしか感じられなくて、ハラハラするのと同時にイライラしてくる。

「真剣に聞いてください!」

 思わず声を荒げると、粕谷さんははしゃいだ声をあげた。

「いやだ、怒った社長もステキ!」

 腹立ちに強張っていた身体から、一気に力が抜ける。

 今夜は話にならないと思い、僕は黙りこむ。すると粕谷さんは、気分よさげに話し出した。

「言い寄ってきていた女の人たちにだって、そうやってびしっと言えばよかったんですよ。こう考えればご自分でも対処できたんじゃないでしょうか? ──社長にその気がないのなら、いくら彼女たちが言い寄ってきたって応えられない。それは彼女たちにとって労力と時間の無駄だ。だから彼女たちのために、きっぱり断ったほうがいいって。──でも、社長は優しすぎるから、“お互いのことをあまり知らないうちに断らないでほしい”って言われたら、お試しで付き合うことになっちゃったでしょうね」

 粕谷さんは、自分で言ったことに自分で笑う。


 彼女の言うとおり、僕は“優しすぎる”んだと思う。言い寄ってくる女性たちの必死さに圧倒され、彼女たちに恋愛感情を持てないのに無碍に断ることも躊躇われて、結果溝口さんにも粕谷さんまでにも迷惑をかけてしまった。

 そんな自分が情けなくて、和弥にヘタレと言われても強く否定することができない。

 きっと粕谷さんもそう思っているだろう。僕がしょうもないくらい面倒のかかる男だと。

 そんな僕の思いを、粕谷さんは読み取ったのか。

 笑いをすぐに止めた粕谷さんは、今までのはしゃいだような様子とは違う、優しげな声音で言った。

「社長はヘタレじゃないですよ」


 その言葉に、僕は呼吸を忘れるほどに驚いた。


 僕の驚きをよそに、粕谷さんはほんの少し照れくささの混じった声で静かに話した。

「だって、からまれて困ってたわたしを助けてくれたじゃないですか。ホントにヘタレだったら、助けに入るどころか足がすくんで動けなくなっちゃいますよ。……社長は自分のためとなると弱腰になっちゃいますけど、他人のためならいくらでも強気になれる人です。だから自分のためじゃなく、他の人のために強くなってください。一緒に事業を興してくれた田端部長や、高給取りの会社を辞めて転職した溝口さん。それに社長を信頼して取引している皆さんも、きっとそう、望んで、らっしゃると、思いますから……」

 ゆっくりと、小さくなっていった声が途切れる。


 粕谷さんは寝入ってしまったようだ。

 赤信号で車を停めた時、横を向いて確かめる。粕谷さんは助手席に沈み込むようにして、すっかり眠り込んでいた。ゆっくりと上下する胸元、そしてうっすらと開いた唇でそのことを確認した時、唐突に今の状況を意識してしまい、僕は体温が二度三度上昇したようなめまいを感じる。


 ──ホント、気をつけるように言ってあげてくださいねぇ。昨今女性でも何するかわからないですから。もしわたしが恋のライバルだったら、行きずりの男性にお持ち帰りさせちゃうところですよ。

 そう言って、行きずりではないけれど、別の意味で危険な男性に飯塚さんという女性を任せた粕谷さん。粕谷さんは今、自分が飯塚さんと似たような状況にあるとわかっているのだろうか?

 いや、わかってない。粕谷さんは自分が酔いつぶれるなんて思ってもいなかったし、こんな風に無防備に寝込んでしまうなんて思いもしなかっただろうし。

 そもそも粕谷さんは、僕の身の内にくすぶる欲求不満に気付いていない。上下する胸元に手を当てて、その息遣いを確かめてみたいとか。薄く開いた唇に自分のそれを重ねて、その奥を味わってみたいと考えているなんて──。


 その時、クラクションが短く鳴らされた。前を向けば、信号はすでに青。後続車の運転手に心の中で謝罪しながら、僕は急いで車をスタートさせる。


 運転に集中するだけでは気を散らせなくて、僕はさっきの粕谷さんの言葉を思い出した。

 ──社長は自分のためとなると弱腰になっちゃいますけど、他人のためならいくらでも強気になれる人です。

 そうだろうか? ……そうかもしれない。粕谷さんが男性に絡まれているのを見た時、僕は考える前に走り出していた。粕谷さんをかばった後は、守り通さなくてはと必死に平静を装いながら、回らない舌を懸命に動かした。

他人を叱りつけたのは、粕谷さんが初めてだ。粕谷さんは大丈夫と言いながら自分の安全確保に無頓着で、助けてもらってるはずのこっちがハラハラして目が離せない。叱りつけるだけでは足りないのなら、飯塚さんを迎えに来た彼に粕谷さんがそそのかしていたように──。


 再びよくない考えに思考が傾き、僕は頭を強く振ってそれを払い退ける。

 このまま二人きりでいたら、マズいことになりそうだ。



 幸い、それからすぐに粕谷さんのアパートに到着した。

「粕谷さん、起きてください。着きましたよ」

 路肩に車を停め声をかけるけれど、粕谷さんからは何の反応もない。仕方なく、揺すり起こそうとして肩に触れれば、スーツの上からではわからなかった華奢な骨格を感じ、再びよからぬ想いが湧いてきた。


 今が夜のせいだ。

 彼女が無防備過ぎるせいだ。

 ただの生理的反応だ。

 ここで手を出したりすれば、あとで困ったことになるぞ。


 いろいろと自分に言い聞かせながら、僕は最初から強めに肩を揺する。

「粕谷さん! 起きてください!」

「ん……」

 酔っぱらっている女性はみんなこうなのか? 無防備で、危なっかしすぎて、放ってはおけなくて──。

 そこで僕ははたと気づき、彼女と彼女の部屋のドアとを交互に見る。

 一人暮らしだと聞いているが、こんな状態で一人部屋に帰しても大丈夫なのか? 夜中に急に具合が悪くなったりでもしたら。その時助けを呼べる状況でなかったら?

 そんな風に僕が悩んでいることも知らず、粕谷さんは小さな呻き声を立てたきり、またすやすやと寝入ってしまっている。

 その姿を見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。


 こんなになるまで飲んで、僕が迎えに行かなかったらどうするつもりだったんだ?

 今夜は粕谷さんの思い通りにいったみたいだけれど、上手くいかなかったとしたら?

 “最後に自分を守れるのは自分しかいない”とあれほど言って聞かせたのに。


 僕は衝動的に車を発進させた。

 どのみち目を覚ましたところで、一人暮らしの部屋になんか帰せない。



 自宅のマンションの駐車場に車を停め、すっかり寝入ってしまった粕谷さんを横抱きにして運ぶ。

 部屋の鍵を開けるのだけは両手がふさがっているとできず、足側をそっと降ろして鍵を開けた。そして扉を開き中に入ると、僕は自分の靴を脱いでから彼女を再び横抱きにする。すると不意に彼女の腕が僕の首に絡みついてきて、身を寄せるようにしがみついてきながら耳元で囁いてきた。

「気持ちいー……」

 そのとたん、僕の心臓は大きく跳ね上がり、四肢は硬直して動けなくなった。

 目を覚ましたのか? その上でこんなことを……?

 けれど待てども、彼女から次のリアクションがない。

 そのうち穏やかな寝息が聞こえてきて、先ほどの一言は寝言だったのだとわかった。

 誘惑されたわけではないという、安堵と失望が入り混じった複雑な思いが湧いてくる。それと同時に、腹立たしさが込み上げてきた。


 僕のことを好きにならないと言っておきながら……!


 音を立てて乱暴に廊下を歩き突当たりの寝室に入ると、ベッドに彼女を横たえる。パンプスを脱がせ玄関に置いてきた僕は、寝室に戻ってベッドの傍らに立ち彼女を見下ろした。

 粕谷さんは、自分がどこにいるのかもわかっていない様子で、平和そうな顔をしてすやすや眠っている。

 負い目から付き合ってほしくないからと言った彼女と、負い目があるからそんな彼女の意思を尊重しようとした僕。

 だが、彼女自身に自分の身を守る意思がないというのに、“彼女を僕から守っていること”が馬鹿らしくなってくる。

 溝口さんも言っていた。

 ──負い目や同情から始まったとしても、恋愛は恋愛なんです。

 今もまだ彼女に恋愛感情を持っている確信はないけれど、そんなのは実際に付き合ってみないことにはわからない。

 もう遠慮なんかするものか。

 どれだけ危ないことをしているか、彼女自身がわかっていないのなら。

「一度くらい、痛い目を見ればいいんだ……」

 後ろ暗い想いに駆られながら、僕は彼女の上に身を屈めていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ