14、ベッドの上で…
フローリングを歩く音。料理のいい香り。目を閉じていても感じる人の気配。
家の中に誰かがいるって、やっぱりいいな。さみしくなくて、ほっとする。一人暮らしを始めて二年とちょっとになるけど、夜帰った時とか、特に飲んでいい気分で帰った日の翌朝は、どうしようもないさみしさが込み上げてきてつらいことがある。
でも今朝は、お布団もベッドもいつもと違って軽くてやわらかで──って、あれ!?
驚いてすっかり目が覚めたわたしは、慌ててベッドから身体を起こす。
ここどこ? 全然知らない部屋。オフホワイトの壁にブルーグレーで統一された家具。極めつけに、ベッドはキングサイズ。
どう見ても、男の人の寝室だ。
そう気付いたわたしは、とっさに自分の洋服を確かめた。ジャケット着てる。スラックスも、ベルトがしっかり締まってる。下着類ももちろんそのまんまで。よくこんなんで寝苦しくなかったな──ということは置いておいて。脱がせた後にここまで戻すというのも変な話だし、何よりイタシタカンカクガマッタクナイのでセーフだった模様。
でも。
「え……えええ!?」
何でわたし、男の人の寝室で寝てたの? いやいや、記憶はちゃんとあるよ? 国館社長に送ってもらう車の中で、おしゃべりしてたところまでは。でも、あれ? わたしここまで歩いてきた覚えないよ? 運ばれたんなら、抱きあげられたりする振動で目が覚めたりするもんじゃない? だいたい、何で社長はわたしを起こさなかったの? わたし、起こされればすぐに起きられるはずなのに。
ということをぐるぐる考えていると、足音がこちらに近づいてきた。そして細く開かれていた扉から、国館社長が顔を出す。
やっぱりここは社長の部屋だよね? 社長くらい背があると、ベッドは大きくなくちゃ足がはみ出ちゃう。──なんてことを考えることで現実逃避をしていると、社長は無表情でわたしを見据えたまま、ベッドの上に上がろうとした。
「え? ちょ──」
社長の重みでベッドがたわみ、わたしの身体も揺れる。
ベ、ベベベベッドに上がって何するつもり!? ──いや、何か期待してるわけじゃないけど。だって、相手は社長だし(←何気に失礼)
それでも内心冷汗だらだらで社長の動向を食い入るように見ていると、ベッドの上で正座をした社長はゆっくり口を開いて低く静かな声で言った。
「座ってください」
「は、はいっ」
体を起こしていたのですでに座っていたのだけど、わたしは余計なツッコミは入れずに正座をして、布団に隠れた膝の上に両手を揃える。怒ってるっぽいので、これが正解だよね?
「粕谷さん。何故ここで寝ていたか、覚えはありますか?」
社長に低くて固い声で尋ねられ、わたしはおそるおそる答える。
「えっと……覚えはないんですけど、車の中で寝入っちゃったわたしを社長がここまで運んできて寝かせてくださったんですよね? 送っていただく間に寝入っちゃって、寝室までお借りしちゃって大変ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい!」
謝りながら、わたしは勢いよく頭を下げる。
しばらく社長から反応がなくて、頭を下げたままどぎまぎしていると、社長は小さくため息をついておもむろに言った。
「粕谷さん、目を覚ました時驚いてましたよね?」
始まってしまった、社長の説教。ただ、今回ばかりは言い訳のしようがない。
「はい……」
素直に返事をすると、社長は話を続けた。
「昨日、飯塚さんを迎えに来た人に話していましたよね? よく知らない相手と飲んで酔いつぶれてしまうことがどのくらい危険なことか、教えてあげてくださいって。そう言った君自身が飯塚さんと同じ状況にあったと、わかっていますよね?」
わたしはそろそろと顔を上げ、ごまかし笑いをする。
「それが不思議なんですよ。ちょっと揺すられたり声をかけられればすぐ起きられるのも自慢だったんですけど、何で起きられなかったんだろ……?」
ホント、何でだろ?
思い返してみれば、ここに運ばれてくる間の記憶が全然ないわけじゃない気がする。温かい腕に抱かれて、優しく揺すられていたような……。
首をひねって悩んでいると、
「粕谷さん。あのですね、そういう根拠のない自信は、いつか自分の身を滅ぼす結果になります。自信があったはずなのに、実際はどうなりました? 僕は一旦あなたをアパートまで送ったんです。ですが声をかけても体を揺すっても起きなかったんですよ? そんな状態のあなたを無理に起こして帰らせて、一人暮らしだというのに万が一のことがあったらいけないと思って。それで僕のマンションまで連れてきたんですけど、外の駐車場からここまで運んでくる間、あなたは一度も起きなかったんです。それがどういうことだか、わかってるんですか?」
あ、やっぱり起こしてくれたんだ。なのに起きなかったって、わたし相当熟睡してたのね。ということは……。
「それはつまり、わたしってば社長の側なら大丈夫って思っちゃったんですね。きっと」
ぼすっ
鈍い音がして、ベッドが揺れる。
国館社長は、ベッドを殴りつけるようにこぶしを置いて、ぐったりと項垂れた。これは怒って呆れ返ってる? そりゃそうよね。我ながら能天気な発言したと思うもん。でも、そうとしか思えない。── 二十歳の頃、不眠症になるくらい人の気配に過敏になっていた時期があって、それ以来人のいるところで熟睡できたためしがない。当時ほど過敏ではないけれど、触られたり話しかけられたり、近くで物音がするだけで目が覚めてしまう。……それもあって結婚とか無理っぽいなと諦めてたもんだから、車から寝室に運ばれても起きなかった自分にちょっと感動。
そんなわたしを説教しても無駄だと悟ったのか、社長は額を抑えてため息をつくと、のろのろとベッドを下りた。
「……朝ごはんにしましょう。洗面所はリビングを突っ切った向こうにあります」
とぼとぼと寝室を後にする社長の背中は、妙にぐったりしてる。社長は付き合ってもいない女性と一緒にベッドに入るなんてことしないだろうから、別のところで休んだんだろう。他にベッドはなくて、ソファとか寝苦しいところで昨夜は休んだのかもしれない。
とんだ迷惑をかけちゃったな……と思いながら、わたしはベッドから出て申し訳程度だけど布団を整え、サイドテーブルに置いてあったバッグを持って寝室を出る。
寝室を出てすぐのところはリビングになっていた。その一角にあるカウンターキッチンでは、社長が食器棚から食器を取り出している。漂ってくるのは、おみそ汁の匂いと炊き立てご飯の甘い匂い。食欲をそそられるけど、いかんいかんと自分を戒め、こそこそと寝室の反対側にある洗面所に向かった。
洗面所の中にトイレに続く扉があって、先におトイレを借りてから、わたしは洗面台で顔をチェックした。もともと薄くしか化粧しないから、あまりひどいことにはなってなくてひと安心。土曜日の朝だから電車も通りもあまり人がいないことを期待しつつ、さりげなく顔を隠しながら帰ろう。──と、心の中で予定を立てつつ、洗面所から出る。
「えっと、それじゃあわたし、これで帰ります。ご迷惑をおかけしてすみませんでした!」
人が好い社長のことだから必ず引きとめられると思い、その隙を与えないようすぐさま回れ右して玄関に走る。
けどそんなわたしの背に、社長は落ち着いた声をかけてきた。
「粕谷さん、その恰好で電車に乗るんですか?」
思いがけない言葉に、わたしははたと立ち止る。
恰好? 顔は確認したけど……と思いながら自分を見下ろす。
「──ああぁ!」
慌ててたせいか、しわくちゃなスーツに全然気付かなかった! ただでさえ皺がつきやすいのに、着たまま寝ればそうなるに決まってる。こりゃ大惨事だ。グレーのせいか皺が濃く見えて、遠くからでもわかっちゃいそう。
「その恰好で街中を歩いたら、通りを行く人たちに何があったのかと心配されてしまうと思いますよ? ですから朝ごはんが済んだら車で送りますので、席に着いてください」
「………………はい」
今度はわたしがとぼとぼと歩く番。
赤っ恥かいても電車で帰るべしとも思ったんだけど、ここまで面倒をかけてしまったんだから今さら遠慮したところで意味がなさそう。……お詫びの品でも見繕って渡そう。
「ご飯はこのくらいでいいですか?」
「あ、はい」
「ダイニングテーブルがないので、カウンターですみません」
間仕切り板の上に置かれたお茶わんやお椀を、わたしはテーブルのほうに下ろして並べる。ほかほかの白ご飯に、大根や人参の入った具だくさんのおみそ汁。それにホウレンソウのおひたしに、大豆の煮物が入った小鉢。うーん、使い古された台詞だけど、いつでもお嫁に行けそうだなぁ。
「もうすぐ魚が焼けますから、先に食べていてください。……お口に合うといいんですが」
「……イケメンで、真面目で、仕事がデキて、おまけに料理まで」
「え?」
「いえいえいえ! 何でもないです! すぐ焼けるんですよね、待ってます!」
いかん、つい口に出しちゃった。へらっと笑ってごまかすと、社長はちょっと首を傾げながらわたしに背を向けて、食器棚を開く。
ネイビーの長袖シャツにコットンっぽいライトブラウンのズボン。スーツ姿もかっこよかったけど、私服姿もかっこいいわ。服の上からでもわかるけど、引きしまった体してる。きっと運動とかしてるよね。
「粕谷さん?」
「は、はい! すみません!」
条件反射で謝ると、国館社長は苦笑しながら今出した角皿を手元の台に置く。
「謝ることなんて何もないですけど、どうしたんです? ぼーっとして」
「いや、私服姿の社長もかっこいいなぁと思いまして」
今度は素直に答えると、グリルの扉を開いて焼け具合を確かめようとしていた社長は、グリルの金属のトレイを上手く引き出し損ねて「がたっ」と大きな音を立てる。
わたしは苦笑して、唖然としながら顔を上げた社長に言った。
「社長って、褒められ慣れてないんですか? もしかすると、それが自信を持てない理由かもしれませんね。でも、何だか不思議。社長って褒められるところがいっぱいあると思うのに、何で褒められ慣れてないんですか?」
「……さあ、自分ではよくわからないんですけど」
社長は何だか疲れた様子で答える。やっぱり、寝床が変わったせいであまり眠れなかったのかな。
「おいしーです! すっごーい! 大豆の煮物も手作りですか?」
もりもり食べるわたしの隣で、国館社長は上品に箸を進めている。
「ええ。ですが、柔らかく茹でてあるものを買ってきているので、普通の煮物と手間は変わらないですよ?」
「でも、こういう常備菜があるってことは、ちゃんと料理してきちんとご飯を食べてるってことですよね。同じ一人暮らしなのに、わたしと大違い。わたしなんて毎日の仕事に追われて、外食しないで帰る日はたいていコンビニ弁当ですよ。朝もトースト一枚とかテキトーに済ませるから、こんなにしっかりした朝ごはんなんて久しぶりです」
実家の事を思い出しそうになって、わたしは慌てて頭を振る。
「どうかしたんですか?」
「いいえ、何でもないです」
心配そうに顔を覗き込んでくる社長に、わたしはにっこり笑顔を返す。
社長は何か言いたげな表情をしたけれど、笑顔という壁を感じ取ってくれたのか、正面を向いてわたしの顔を覗き込んでいた間止めていた箸を動かし始めた。
朝ごはんを食べ終わる頃、社長がふとこんなことを尋ねてきた。
「ところで、粕谷さんの明日の予定は?」
雑談の一環だと思ってたわたしは、特に何も考えずありのままを答える。
「特に何もないですよ。一週間の間に溜まった家事を済ませて、あとはごろごろしてます」
それがわたしのライフスタイル。平日がむしゃらに働いて、休日は平日できなかった家事をこなしながらのんびり過ごす。たまに蓉子先輩が遊びに誘ってくれるけど、先輩も彼氏持ちだからね。──と頭の中でつらつら考えていた時、社長はちょっと緊張した声音で言った。
「じゃあ明日の日曜日、一緒に出掛けませんか?」




