アンケートは、実は匿名ではなかった。
2014年6月8日。19時48分。ギュンタロウ高校の外では、嵐がいまだに激しく降りしきり、校長室の中の空気は、戦場よりも重かった。
巨大なマホガニーの机の上には、学校のサーバーの中央プリンターから出力されたばかりの、一枚の紙が置かれていた。
机の向こうには、コワル校長が座っていた。茶色の馬蹄形の髪の中年男性で、目をすっかり覆い隠す不透明な眼鏡をかけ、今は襟がびっしょり濡れるほど、滝のように汗をかいていた。
その隣にはカナエ先生が立っていて、手に紅茶のカップを持っていたが、その手があまりにも不安定で、紅茶はほとんどこぼれ出していた。
そして、彼らの向かいの革張りのソファに座っていたのは、ベフゾド・シャフカトフだった。
彼は元に戻っていた。背が高く、引き締まっていて、元キックボクサーの体格をした179センチの体を、いつものギュンタロウ高校の制服に包んでいる。柔らかな濃い茶色の瞳は、冷静で、無表情で、敵意などまったくなかった。
だが内心では、ベフゾドは、純粋で混じりけのない地獄に苦しんでいた。彼は昨日のことを、すべて覚えていた。フォークで食べさせてもらったことも、マリナのレインコートにしがみついたことも、シズクに頬にキスをされたことも、そして何よりも最悪なのは、トラウマを抱えた7歳の自分の精神状態のまま、図書室のパソコンに回答を打ち込んでいたことも。『なんで、昔の俺はあんなにバカで、あのクソみたいなことを、クソ隠せなかったんだよ!?』彼は心の中で思った。
彼のソファのすぐ隣には、8歳のマリナが立っていた。オレンジ色のセーラー服の上で腕を組み、二つのお団子に結ばれた膝まである髪、右側のお団子にはオレンジ色の十字模様のリボンが結ばれていて、その髪が背後のソファにふわりと触れ、まるで扇のようになっていた。IQ143の頭脳は完全に起動し、その表情は『ベター・コール・マリナ』に設定されていた。
コワル校長は咳払いをして、ハンカチで額を拭った。彼は、まるで軍用の放射線で汚染されているかのように、震える指で紙を手に取った。
「シャ、シャフカトフくん…」コワル校長は切り出した。いつものように陽気に聞こえるよう努めたが、声はわずかに裏返っていた。「昨日…図書室での必修の生徒アセスメントの間…システムが、君の提出した回答を記録していた」
カナエ先生は緊張して紅茶を一口すすり、まるでベフゾドが自分の家族を直々に惨殺したかのような目で、彼を見つめていた。
「私は…14年間、ギュンタロウ教育施設の校長を務めてきた」コワルは続けた。不透明な眼鏡の奥で、目が見開かれている。「不良が汚い言葉を書くのを見たことがある。中二病の生徒が、自分は転生した暗黒竜だと主張するのも見たことがある。だが…こんなアセスメントのファイルは、一度も見たことがない」彼は眼鏡を直し、紙から直接読み上げはじめた。「『質問1:好きなアニメ』。回答:『ハッピー・ツリー・フレンズ』」コワルは眉をひそめて顔を上げた。「かわいい森の動物たちが、残酷に、生々しく殺されていくアニメだ」
ベフゾドは見つめ返し、気まずそうに後頭部をこすり、恥ずかしさで軽く赤面しながら、あごを食いしばった。「そ、それは…デザインが…いいので…?」
カナエ先生は恐怖でひっと声を上げた。マリナの目は、あたたかいままだったが、どこか威厳を帯びていた。
「『質問2:好きなビデオゲーム』」コワルは読み続け、手がさらに激しく震えた。「回答:ロックスター・ゲームスの『マンハント』。死刑囚としてプレイし、ビニール袋とガラスの破片でギャングのメンバーを処刑していく、ステルスホラーゲームだ」
「…」ベフゾドは、これに対して反応を生み出すことすらできなかった。ただ、首を振りながら額を覆い、笑いをこらえた。その状況があまりにも不条理だったからだ。
「し、質問3!」コワルの声は1オクターブ上がり、手のひらを机に叩きつけた。「『好きな動画』。回答:カルテルの処刑。特にブラジルのものがいい、なぜなら被害者の悲鳴がより大きく、拷問の方法がより変態的だからだ」
部屋は静寂に包まれた。ベフゾドが笑いをこらえている、震えた息の音だけを除いて。壁の時計が、重く時を刻んでいた。
カチ。コチ。カチ。コチ。
コワルは身を乗り出し、まるでゴム製のマスクをかぶった『ホットライン・マイアミ』の殺し屋と対峙しているかのように、ベフゾドを睨みつけた。「シャフカトフくん…君は…学校の敷地内で、大量殺傷事件を計画しているのか?国際的な犯罪組織と関わりがあるのか!?」
「まだありますよ、校長様!」カナエ先生が口を挟み、声を震わせながら、震える指で紙の一番下を指さした。「学校のサイトに行く前に、彼がブラウザのURLバーに何を入力したか、見てください!」
コワルが目を落とすと、その目は白い輪っかになり、口は当惑した『OWO』の形になった。彼は、生の入力キャッシュを読み上げた。127.0.0.1:8888/freenet:CHK@
「ろ…ローカルのダークネット・ゲートウェイのキー…」コワルは、紙のように真っ白になって囁いた。「彼は、ダークネットのルーティング・アドレスを…暗記で入力したんだ…小学校のパソコンで」
ベフゾドは、笑いを止めて状況を説明するために、静かに安堵の息を吐いたが、彼が話す前に、マリナが一歩前に出た。
コツン。
彼女の小さな革靴が、絶対的な権威をもって、木の床を打った。彼女はベフゾドの膝の真正面に立ち、彼を庇って、明るい茶色の瞳を細めた。
「異議あり!」マリナは、大きな、完璧に明瞭な声で宣言した。
コワルは驚いて瞬きをした。「マ、マリナちゃん…?」
「ゾディクちゃんの公式代理人であり妹として、校長先生の組織的分析にある、極めて重大な欠陥を指摘させていただきます!」マリナは片手を腰に当て、もう片方の手で校長を劇的に指さしながら言った。「まず第一に!兄は昨日、重度の発熱と環境ストレスが引き起こした、稀な一時的な神経退行のエピソードに苦しんでいました!」
「し、神経退行!?」カナエ先生は息をのんだ。
ベフゾドは、好奇心から眉を上げただけで、妹に思う存分やらせておいた。
「はい!」マリナは絶対的な自信とともに胸を張った。架空の桜の花びらが、彼女の頭の周りにふわふわと形作られているようだった。「兄の脳は、一時的に、生のままの、フィルターのかかっていない学術的探究の状態に退行したのです!兄が書いた回答は、個人的な欲望ではなく、現代の心理的メディアの感覚麻痺についての、抽象的で高度な論評だったのです!」
コワルは、その8歳の少女を、あまりの言葉の出なさで見つめた。「ろ…論評…?」
「その通りです!」マリナは続けた。IQ143の頭脳が光速で働いている。「兄が『ハッピー・ツリー・フレンズ』と『マンハント』を挙げたのは、サーバーのコンテンツフィルターをテストするためです!カルテルの動画について書いたのは、人間の残酷さへの哲学的な批判としてです!そして、ダークネットのキーについては…」彼女は指を一本立てた。「兄は、ギュンタロウ高校のネットワークセキュリティに、違法なローカルホストプロキシに対する適切なファイアウォールのプロトコルがあるかどうかを、確認していただけです!これは、公共のための奉仕でした!」
ベフゾドは、ソファからゆっくりとまばたきして、マリナの後頭部を見下ろした。『いいぞ、マリナ、そいつらを生きたまま調理してやれ!』彼は興奮して心の中で思ったが、その顔は完全に無表情のままだった。
「で、では、質問5への彼の回答はどうなんだ!?」コワルは叫び、紙の一番下の行を指さした。「『あなたの憧れの人は?』回答:悪魔!」
マリナは瞬きすらしなかった。彼女は両手を腰に当て、でれでれした魅力でくすくす笑った。「ああ、それですか?それは、ロシア語からの誤訳なんです!ロシア語のスラングで、誰かを『Дьявол』と呼ぶのは、キックボクシングが極めて上手いという意味なんです!ね、ゾディクちゃん?」
彼女はベフゾドのほうを向き、必死にウインクした。
ベフゾドはすぐに、やかんのようにぜいぜい笑わないよう口を手で覆い、必死にコワルにうなずいた。「は、はい、彼は…フットワークが、よかったので…」彼は震える息を吐いて、自分を落ち着かせた。
コワル校長は、胸を押さえて革張りの椅子に崩れ落ちた。彼はベフゾドを見た。身長179センチの、無口なティーンエイジャー。一発のローキックで、男のあばらを折ることができそうな。そしてマリナを見た。陽気な143センチの天才児。役員会を論破できそうな。
コワルは公式の印鑑に手を伸ばし、それを紙に叩きつけて、赤いインクで『(承認/ファイル終了)』の印を押し、その紙を机の一番下の引き出しに押し込んで、鍵をかけた。
「シャフカトフくん…」コワルは息を切らし、首筋の冷や汗を拭いながら言った。「き、君は…家に帰っていい。ただ…頼むから…学校の敷地内で、もう『サイバーセキュリティの確認』は、しないでくれ」
「分かりました、分かりました」ベフゾドは、面白がるような響きを込めて静かに言い、ゆっくりとソファから立ち上がった。バランスに問題があるからだ。
「ありがとうございました、校長様!良い一日を!」マリナは陽気にさえずり、礼儀正しくお辞儀をしてから、ベフゾドの手を掴んで、彼を校長室から連れ出した。
ギィィィィ。バタン。
背後でドアが閉まると、カナエ先生はソファに崩れ落ち、紅茶を大きく飲み干した。「こ、校長…私たち、生き延びたと思いますか…?」
コワルは、うつろに天井を見つめた。「カナエ先生…私は、明日の朝までに、学校の保険契約を増額するよ」
静かな廊下に出ると、ベフゾドは長く重い息を吐き、隣を歩くマリナを見下ろした。彼女は、誇らしげに胸を張っている。
「これぞ『血は争えない』ってやつだな!ありがとう、マリナ」ベフゾドは興奮して呟いた。唇の端には、心からの笑みが浮かび、彼はグータッチをしようと拳を上げた。
マリナは彼を見上げ、その顔が、すぐに明るいバラ色の愛おしさに溶けた。そして、グータッチを返した。「へへへ!もちろん!いつでもゾディクちゃんを守るって、約束したもん!」
一方、ほかのクラスメイトたちの生活を、覗いてみよう。
アラタキ・キンジは、シングルマザーの母親と二階建ての家で暮らしていて、ベッドの上でエロ漫画を読んでいた。部屋は、さまざまな種類の裸の女性のポスターで、完全に覆われている。「ああ、くそ、このシーン、すっごく細かいな!」彼は、欲望に満ちて独りごち、少しよだれを垂らし、頬を少し赤く染めていた。
ヴィッカーケン・ミカサは、貴族の家柄が買い上げた巨大な屋敷に住んでいて、また別の客に『紅髪の姫君』と呼ばれたことに、疲れ切ってため息をついていた。「いい加減にしてちょうだい」彼女は、禿頭の男を見下ろして、声に出して言った。「『紅髪の姫君』とは、呼ばないで」彼女は両手を腰に当てた。
禿頭の男は、彼女の威圧感に恐怖して必死にうなずき、彼女にお辞儀した。
ミカサは苛立ちにうめき、首を振った。
ハザモト・ジンは、ミカサのものよりさらに大きな屋敷に住んでいて、ワタナベ・リカと一緒に、100%オーク材のアルコーブで、アールグレイの紅茶を飲みながら、二人の好きな作家の新刊について語り合っていた。
ジンは、軽く赤面して、巨大で鍛え上げられた手で、紅茶のカップをテーブルに下ろした。「ああ、ワタナベ殿!貴殿の詩と文学の趣味は、本当に刺激的だ!貴殿と本について語り合うと、まことに心が安らぐ!」彼は、あたたかさを込めて言い、リカに微笑みかけた。
リカは、両手で紅茶のカップを持ち、優しく微笑み、同じように赤面して、目をうれしそうな三日月にした。「ありが…とう…ハザモトさん…」彼女は、恥ずかしそうで静かな声で言った。
屋敷の窓からは、ジンの父親、青い髪に青い口ひげ、青い瞳の老人が、リカとジンを、誇らしげな大きな笑顔で見下ろしていた。
アイザワ家の、小さな二階建ての家では、キララとタカコの両親は仕事に出ていて、二人の姉たちは大学にいて…
キララは、自分の部屋で、全部の電気をつけて、小さな笑みを浮かべながら宿題をしていた。ツンデレな態度は、静かなひとときの間、消え去っていた。パジャマ姿で、長い紫の髪は何にも留められずに背中に流れ落ち、彼女は何かの歌を小さく口ずさんでいた。
そのとき、タカコが彼女のドアをノックして、はっきりと困って混乱した表情で、ゆっくりと入ってきた。その顔は、愛らしい( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ )に変わっている。「キララお姉ちゃん、数学を…教えてくれる…?」彼女は恥ずかしそうに、数学のノートを胸に抱え、ぎゅっと握りしめた。
キララはぱっと首を振り向け、うんざりしたふりのため息とともに目を回した。だが内心では、妹に教えられることが、ひそかにうれしくてたまらず、手を前に差し出した。「もう!しょうがないわね、こっち来なさい」
タカコはあたたかく、甘く微笑んで、キララに近づいた。午後の窓には、雨がまだ激しく打ちつけていた。
小さくて居心地のいい家には、コガネと、その父親が住んでいた。短い紺色の髪に黄色い瞳、無精ひげの父親は、コガネが生まれたあとに母親が亡くなったことで、妻に先立たれた身だった。
コガネは、PS3で『GTA5』をプレイしていた。いつもの『●ω●』の顔で、床にうつ伏せに寝転がり、熱心に、公衆の面前で人々を殺している。一方、彼女の父親は、スマホで野球を見ていた。
「コガネちゃん」父親は突然、年老いたオタクの男の、辛抱強くて熱意のあるエネルギーで呼びかけた。「一番好きなゲームは何だい?」
振り向きもせず、コガネは柔らかく、だるそうな声で答えた。「GTA5」
父親は好奇心をこめて、あごをさすり、低く唸った。それから、同意してうなずいた。「実際、堅実な選択だな」
「ありがとう」コガネは返した。
メグミの巨大な屋敷では、モモカは、廊下に寝そべる大きなゴールデンレトリバーのせいで、足を踏み入れるのを怖がっていた。
「あ、ああ…」モモカは怯えた表情で眼鏡を押し上げ、声は震えていた。「どうやら…裏口を使う必要があるようです…」
そのとき、メグミが廊下に現れ、レトリバーを見下ろした。それから、無表情な顔でモモカを見上げた。「心配しないで…この子、噛まないから…」
ジムでは、リュウタが、どんどん重いバーベルでベンチプレスをしていて、居合わせた全員が、彼の黒いリーゼントが上下に跳ねるのを、恐怖とともに見守っていた。彼は興奮して吠え、400キロを持ち上げた。「うおおおお!これが、俺のウォームアップだ!どんな雨でも、俺のトレーニングは止められん!」彼の顔は、巨大で興奮した笑みを形作っていた。
晴れ渡るモナコでは、キキョウが豪華なベッドに寝そべり、足を上下にぱたぱたさせながら、ワインをすすって、ダークな詩を読んでいた。「あらあら~、この子、結局、あの狼男をつかまえたのね…~」彼女は、息をのむような、誘うような声で独りごちた。
モニターの光以外はまったく真っ暗な部屋で、カイトは、ポテトチップスを食べながらパソコンをプレイしていた。それから、突然ゲームを止め、椅子にもたれかかって、大きく息を吐いた。「ああ…俺、人生を変えなきゃ…」だが、その数瞬後、彼はプレイを再開した。
自分の部屋で、アヤトは、ピンで留められた紙でいっぱいのボードを見つめていた。その紙の間には、安っぽい探偵映画のように糸が張り巡らされていて、彼はペンで口元をとんとんと叩いていた。部屋の隅から漂う洗っていない靴下の匂いが、彼の変形した鼻に全力で叩きつけられていたが、彼はそれを無視した。「見ていろ、貴様ら全員…俺はこの世界のすべてを支配してやる!」彼は傲慢に独りごちたが、その紙は、実際はお店のレシートだった。
ドラゴンのランプが薄暗く照らす、別の部屋では、リュウが立っていた。手を天井に掲げ、その表情は、まったくの無感情だ。「チッ…我がドラゴンよ…貴様の重荷が、俺の真の潜在能力を弱めている…」それから、彼は手を下ろして顔の半分を覆い、狂ったように笑いはじめた。
だが、そのとき、リュウのお母さんが、階段の下から叫んだ。「リュウくーん!大好きなアップルパイが焼けたわよー!」
「今行く!」リュウはすぐに叫び返し、ベッドから飛び降りて、素早く部屋を出ていった。
プロの音楽スタジオのように改装された部屋では、シズカが、エレキギターで熱心に、バンドの曲の一つ、『メランコリー』を弾いていた。
「あなたは私を愛さなかった、私だって愛さなかった――!」彼女はマイクに向かって叫んだ。
ソロの真ん中で、シズカの妹が部屋に入ってきた。緑のエプロンを着て、ケーキを一切れ、彼女の机に置くと、シズカが気づく前に、静かに去っていった。
一方…
静かで古いアパートでは、カナエ先生が、三缶目のビールを飲みながら、疲れ切った顔で天井を見つめ、苛立ってうめいていた。「うう!どうして頼りになる旦那が見つからないのよ!?私が会う男は、なんでみんなクソ野郎なの…」机の上には、確認されないままの予定表が、放り出されていた。
そして最後に、1208号室では、マリナとベフゾドが、クルパチャの上で向かい合って座り、穏やかな夜を過ごしていた。
ベフゾドは、ノートパソコンにつないだ白いヘッドホンをして、GTA4をプレイしていた。一方マリナは、テレビで『Сваты』を見ていた。このロシアのドラマは、彼女とベフゾドの子供時代を、基本的に形作ってくれたものだったが、ベフゾドは約20回も再視聴していたので、もう一度見ることには、あまり興味がなかった。
つづく…




