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第8話:黄金の拳、一閃

「ひよりっ!!」

父さんとお兄ちゃんの悲鳴が、吹き抜けのロビーに空しく響き渡った。

壁を這い、天井から滴り落ちるようにして現れた「這い出し」の群れが、黒い濁流となって私に襲いかかったのだ。父さんたちは反対側の通路で大型の個体と交戦しており、距離がある。呪符を飛ばしても、お兄ちゃんが大規模な術を展開しても、あと一歩、間に合わない。

妖たちの醜い口が裂け、ヘドロのような腐敗臭を伴う唸り声が鼓膜を刺す。

けれど、不思議と怖くはなかった。視界の端で、白耀がゆらりと揺らめく。

「……ふぅ」

私は深く、静かに息を吐いた。

背後に立つ白耀から、熱いというよりは、鋭く研ぎ澄まされた冷徹な力が流れ込んでくる。それは私の血管を通り、指先までを一本の芯で通すようにして、右拳へと凝縮されていった。

「ひより、力を止めるな。お前はただの『通り道』になればいい。あとは我の意志が、敵を穿つ」

白耀の囁きが耳元で聞こえた瞬間、私は一歩、前へ踏み出した。

それは空手道場で一万回、十万回と繰り返してきた基本の踏み込み。けれど、白耀の妖力を宿したその一歩は、もはや物理的な法則を置き去りにしていた。

ドンッ、と空気が爆ぜるような音がして、私の体は弾丸と化した。

「はぁっ!」

殺到する妖の群れのど真ん中へ、文字通り「突っ込む」。

最初の一匹――醜い顔を歪めて飛びかかってきた中型の妖の眉間に、右の正拳突きを叩き込んだ。

バシュッ!!

鈍い打撃音ではない。それは、邪悪な存在がこの世の理から強制的に消去される、無慈悲な「無」の音だった。

私の拳が触れた瞬間、妖は肉体も霊体も維持できなくなり、黄金の光の粒子となって瞬時に霧散する。だが、それで終わりではない。拳から放たれた余剰の霊圧が、目に見える衝撃波となって背後の妖たちを次々と貫いていく。

「なっ……!? お札なしで、あの浸透力だと!?」

父・陣の驚愕の声が、後方から聞こえる。

私は足を止めない。次の一歩で独楽のように旋回し、側頭部を狙ってきた三匹の妖に対し、低空の回し蹴りを叩き込む。

「せいやっ!」

足の甲が妖の胴体に触れた瞬間、白耀の力が「爆発」した。

黄金の炎が円を描くように広がり、周囲にいた十数匹の妖をまとめて焼き尽くす。

お札も、呪文も、複雑な印も介さない。

ただ「打つ」「蹴る」という純粋な肉体の躍動に、神格に近い九尾の妖力をダイレクトに乗せる。それは、伝統的な祓い屋の概念を根底から覆す、圧倒的な暴力による「浄化」の体現だった。

「……嘘だろ。お札の強化もなしに、あんな出力を維持するなんて……」

お兄ちゃんが術を唱える手を止め、呆然と私を見ている。

私はそのまま、さらに奥の群れへと躍り出た。

四方八方から伸びる黒い爪。私はそれらを最小限の動きでかわしながら、掌底、裏拳、そして鋭い膝蹴りを次々と叩き込んでいく。一撃ごとに黄金の光が弾け、不気味な黒い影で埋め尽くされていたショッピングモールのフロアが、みるみるうちに清浄な輝きに満たされていった。

「くくっ、いいぞひより。もっとだ。我の力をすべて使い切るつもりで放て。お前の肉体ならば、我のすべてを受け止められる」

白耀が愉悦に満ちた声を上げる。

私の体は今、彼と完全に同調していた。拳を振るうたびに、彼の長く美しい九つの尾が、私の背後で幻影のように揺らめいているのが見える。

最後の一匹――一際大きく、どす黒い霊気を放つ個体が、本能的な恐怖に駆られたのか天井の配管へと跳ね上がった。

私は迷わず、エスカレーターの手すりを蹴って高く跳んだ。白耀の力が、重力を否定するように私の体をさらに高く押し上げる。

「これで……終わり!」

空中で体を反転させ、全体重と白耀の神気を一点に集中させた踵落としを、妖の脳天に垂直に叩き落とす。

ドォォォォン!!

フロア全体に鋭い衝撃が走り、まばゆい黄金の光が吹き抜けを真っ白に染め上げた。

光が収まったとき、そこには数千を数えた妖の姿は一匹も残っていなかった。

静まり返ったロビーの真ん中で、私はスッと立ち上がり、乱れた息をゆっくりと整える。

「……ふぅ。お疲れ様、白耀」

「ああ、見事だったぞ。我が契約者よ。これこそが、我がお前を選んだ理由だ」

白耀が満足げに歩み寄り、私の頭を優しく撫でる。その銀色の瞳には、かつて神社で私を見つめていたあの狐の面影があった。

その光景を遠巻きに見ていた父さんとお兄ちゃんは、お札を構えたまま、まるで石像のように固まっていた。

「……ひより……お前、あんなの……誰に教わったんだ……?」

父さんの声が情けないほど震えている。

「え? お父さんに教わった空手だけど……」

「違う! パパは空手を教えたが、あんな『一撃で空間を浄化する核兵器みたいな空手』は教えてないぞ!!」

父さんの叫びが、無人のショッピングモールに空しく、そして激しく響き渡った。

お兄ちゃんに至っては、崩れ落ちるようにその場に膝をつき、ブツブツと何事かを呟いている。

「……僕が十年かけて磨き上げた、九条家秘伝の爆炎術より……ひよりのパンチの方が、浄化効率が三倍も高いなんて……。しかも、建物に傷一つつけずに妖だけを消す精密制御……。そんな……そんな馬鹿なことがあっていいはずがない……」

初仕事は、九条家の男たちのプライドを粉々に砕き、同時に私の「物理祓い師」としての才能を決定づけながら、大成功のうちに幕を閉じた。

「さて、ひより。祝杯でも上げに戻るか。……そこの二人も、いつまで座り込んでいる。我の契約者に置いていかれたくなければ、さっさと立て」

白耀の勝ち誇ったような声に、父さんとお兄ちゃんが再び殺気を漲らせて立ち上がる。

私の新しい日常は、どうやら前途多難、けれどこれ以上ないほど頼もしい仲間たちと共に続いていくようだった。

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