第6話:拳に宿るは神の火、背後に立つは過保護な影
翌朝、九条家の裏庭には、早朝から竹箒が空を切る音と、重苦しい唸り声が響いていた。
「腰が高い! ひより、もっと重心を落とせ。相手は人間じゃないんだ。一瞬の隙が命取りになるんだぞ!」
父・陣が、道着姿で熱血指導を飛ばしている。
九条家の裏庭は、結界によって周囲から隠された広大な修練場になっている。父さんは元々、お札の術に体術を組み合わせる独自のスタイルだが、今日の指導はいつになく熱が入っていた。
「わ、わかってるってば……! でも、昨日から体が妙に軽くて、加減が難しいんだもん!」
私が正拳突きを繰り出すたびに、空気が「シュッ」ではなく「ドォン」という重低音を鳴らす。
それもそのはずだ。私の背後では、縁側に腰掛けた白耀が、退屈そうに銀髪を弄りながら私の体に絶え間なく霊力を流し込んでいる。
「ふむ、ひより。右の拳に力が偏りすぎているな。我の力は水のように流せと言っただろう。剛柔併せ持ってこそ、我が契約者だ」
白耀が指先をひょいと動かすと、私の体の中に流れる熱い奔流が、一瞬にして冷ややかな、しかし密度の高いエネルギーへと変化した。
「ちょっと白耀! 勝手に出力を変えないでよ!」
「おのれ白耀……。ひよりに触れるなと言っているだろう! 指導をしているのはこの私だ!」
父さんが白耀に向かって素振用の木刀を突きつける。すると今度は、家の廊下から眼鏡を光らせたお兄ちゃんが、盆に乗せたスポーツドリンクを持って現れた。
「父さん、そこまで。ひよりの筋肉に乳酸が溜まってしまう。さあひより、お兄ちゃん特製の疲労回復ドリンクだよ。……それと狐殿、君が力を貸しすぎると、ひよりの本来の感覚が狂う。少しは自制したまえ」
「ほう、小僧。我の加護を『余計なもの』扱いするか。ひよりの魂は我と共にある。感覚が同調するのは必然だ」
白耀がお兄ちゃんを鼻で笑う。一瞬にして庭にピリピリとした火花が散り、父さんとお兄ちゃん、そして白耀の三つ巴の霊圧が衝突した。
その中心にいる私は、たまったものではない。
「……もう! 三人とも静かにして! 特訓にならないでしょ!」
私が地面をドン、と踏みしめると、白耀の力が足裏から伝わり、庭の地面に小さなひびが入った。
それを見て、父さんとお兄ちゃんが同時に顔を青くする。
「……ひより、お前。その力、加減を覚えないと家が壊れるぞ」
「わかってるよ。だから練習してるんじゃん」
私は大きく深呼吸をして、白耀の霊力を意識的に手のひらへと集めてみた。
お札のような複雑な構成はいらない。ただ、自分の体の一部として、その熱を「握り込む」イメージ。
「……ふっ!」
突き出した拳が、目の前の古びた巻き藁を叩く。
物理的な衝撃は最小限に。けれど、宿した白耀の黄金色の霊気が、巻き藁の中に潜んでいた「澱み」だけを綺麗に焼き払った。
「おお……」
父さんが感心したように声を漏らす。
物理的な破壊力を抑えつつ、霊的な干渉力だけを最大化する。これこそが、白耀と私の「物理除霊」の真髄らしかった。
「……よし。ひより、これなら実戦でもいけるだろう」
父さんが真剣な表情で頷いた、その時だった。
お兄ちゃんの懐で、祓い屋専用の通信端末が激しく鳴り響いた。
「兄さん、仕事だ。……場所は駅前のショッピングモール。低級だが、数が異常に多い。どうやら『巣』が割れたみたいだね」
お兄ちゃんの言葉に、父さんの目つきが変わった。
いつもなら「ひよりはお留守番だ」と言うはずの父さんが、私をじっと見つめる。
「……ひより。お前の『初仕事』、行けるか?」
心臓がどきりと跳ねた。
今までずっと、守られるだけだった世界。
けれど、右拳に残る確かな熱が、私に勇気を与えてくれる。
「うん。私、行くよ。白耀、力を貸して」
「くくっ、言われるまでもない。お前の初舞台だ、最高に華々しく飾らせてやろう」
白耀が私の背後に立ち、その大きな九つの尾を幻影のように揺らめかせた。
九条家の新しい祓い屋が、ついに戦場へと足を踏み出す。




