第4話:襲来
夜の帳が下りた神社の境内に、場違いなほどの咆哮が響き渡った。
「ひよりーーーっ!! 今行くぞ、パパが今助けてやるからなああ!!」
地鳴りのような叫び声と共に、石段の下から凄まじい勢いの霊圧が駆け上がってくる。
先頭を切っているのは、普段の温厚な顔が嘘のように鬼の形相をした父・陣だ。巨体を揺らしながらもその動きは疾風のごとく、手にはすでに数枚の呪符が握られている。
そのすぐ後ろを、影のように静かに、しかし冷徹な殺気を纏って追うのは兄の晴明だ。
月光を反射して白く光る眼鏡の奥、その瞳は獲物を定める鷹のように鋭い。
二人は境内に飛び込むなり、目にも留まらぬ速さで私の左右を固めた。父さんは分厚い胸板で私を背後に庇うように立ち、お兄ちゃんは周囲の空間を即座に索敵し、敵の残滓を探る。
「怪我はないか、ひより! どこだ、どこへ行ったその化け物は!?」
「ひより、怖かったね。大丈夫、お兄ちゃんが来たからには……。指一本、いや細胞一つ残さず滅してやるから」
父さんが私の肩をガシッと掴んで無事を確認し、お兄ちゃんが呪符を構えて辺りを睨みつける。
だが、次の瞬間。
二人の動きが、まるで時間が止まったかのようにピタリと凍りついた。
その視線の先に、悠然と佇む銀髪の青年――白耀がいたからだ。
白耀は不敵な笑みを浮かべたまま、一歩前に出た。
彼から放たれるのは、先ほど私が倒した低級な妖とは比較にならない、圧倒的で神聖な霊圧。神社の空気が、彼の存在だけで一変していく。
「九条の者たちよ。騒々しいな。ひよりに仇なす低級な輩なら、先ほど片付いた」
凛とした声が境内に響く。
その瞬間、父さんとお兄ちゃんの顔色が劇的に変わった。それは恐怖ではなく、最大級の「警戒」と、そして「怒り」の色だった。
「……九尾か。しかもこれほどまでの格。古の書に記された、最上位の神獣」
父さんの声が低く唸る。お札を握る手がみしりと音を立て、彼の足元の石畳が霊圧に耐えかねて僅かに沈み込む。
隣でお兄ちゃんも、低く冷徹な声を出し、指先に挟んだ呪符に青白い火を灯した。
「ひよりの『目』を十年間封じていたのは、君だね? ずっと違和感があったんだ。妹をこの世界から隠し、何を企んでいた……!」
一触即発。
最強の祓い屋二人を相手にしても、白耀は眉一つ動かさない。それどころか、わざとらしく私の隣へ歩み寄り、私の肩にその長く白い指先をそっと添えた。
「案ずるな。我がこの手で、彼女と『契約』を交わした。今日この時より、ひよりの身も心も、すべて我が守護の下にある。異論は認めぬ」
「「契約……だと……!?」」
父さんとお兄ちゃんの声が見事にハモった。
その瞬間、二人の背後から噴き出す霊気が、さらに倍増どころか十倍に膨れ上がる。境内を覆っていた静寂は吹き飛び、激しい風が渦を巻いた。
「うちの可愛いひよりと勝手に契約……だと? それはつまり、これから二十四時間、寝ても覚めても娘に付きまとうという意味か……!?」
「おのれ狐野郎……! 妹との契約解除の方法を、今すぐ古文書の隅々まで洗って叩き出してやる。ひより、今すぐその男から離れるんだ! 汚れる、兄さんの純真な妹が汚れてしまう!」
「待って待って、二人とも! 落ち着いて! 契約は私がお願いしたの。それに、さっきの妖も白耀の力を借りて、私が倒したんだから!」
慌てて二人の間に割って入る。
私の必死の訴えに、父さんとお兄ちゃんが呆気にとられた顔で動きを止めた。
「ひよりが……倒した? 術の教育も、お札の扱いも教えていないお前が、どうやって……。まさか、その狐に魂でも売ったのか!?」
父さんの悲痛な問いに、私は少し気まずそうに自分の右拳を掲げて見せた。
「……こう、パンチで」
「「パンチ……?」」
夜の境内に、妙な沈黙が流れる。
白耀は「くふっ」と可笑しそうに喉を鳴らし、父さんとお兄ちゃんは、自分たちの愛娘が「物理」で妖を消滅させてしまったという事実に、脳の処理が追いついていない様子だった。
「お札を使おうとしたんだけど、なんか、殴ったほうが速いかなって思って。……そしたら、シュンッて消えちゃった」
「……パンチ……ひよりのパンチで……」
お兄ちゃんが、まるで世界の終わりを見たかのような顔で膝をつきそうになる。
「ああ、なんてことだ。僕が教えたお札の舞よりも、暴力の方が馴染んでしまうなんて……」
「とにかく! 外じゃ何だから、一回お家で話そう? 今日はすき焼きでしょ? お腹空いちゃったよ」
私は二人の太い腕と細い腕をそれぞれ強引に引っ張り、困惑する家族と、余裕たっぷりで鼻歌まじりの九尾を引き連れて家路についた。
街灯の下を歩きながら、私はチラリと白耀を見た。
彼は楽しそうに私の隣を歩いている。父さんとお兄ちゃんは、彼の背後に「いつでも呪符を叩き込める」距離で張り付き、隙あらば首を跳ね飛ばさんとする殺気を出し続けている。
九条家の平穏な日常が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。
けれど、十年間私を隠して守ってくれたという彼の冷たい指先は、今でも私の肩に温かな熱を残していた。




