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第10話:銀髪の転校生は、主への執着を隠さない

「ねえひより、今朝のニュース見た? 駅前のショッピングモール、配管トラブルでしばらく臨時休業だって。今週末のデートで行こうと思ってたのに最悪なんだけどー」


「あはは……そうなんだ。大変だね、配管」


翌朝、私立千景ちかげ高校の教室。

熱っぽく愚痴をこぼす友人のマミに引きつった愛想笑いを返しながら、私はブレザーの襟元を無意識に指先でぎゅっと押さえた。

鏡を見るまでもない。制服の白いシャツの隙間、ちょうど鎖骨の上、柔らかい肌のあたりには、昨夜、白耀に刻まれたあの「赤い契約の証」がくっきりと残っている。コンシーラーをこれでもかと叩き込んではきたけれど、そこから微かに立ち上る、彼特有の清涼で、どこか頭が痺れるほど濃密な霊気までは隠しきれていない気がして、朝から生きた心地がしなかった。


「どうかしたの? 今日、やけにハイネック気味っていうか、首元ガチガチにガードしてない?」


「ううん! ちょっと風邪気味っていうか、首元が寒くて! ほら、五月って意外と朝晩冷え込むし!」


慌てて両手を振って誤魔化す。まさか「昨夜、十年間小さな狐だと思っておやつをあげていた同居人が、実は最高位の神獣・九尾の狐で、超絶美青年になって私の首筋に噛みついた(ような真似をした)」なんて、口が裂けても言えるはずがない。


十年間、霊能力ゼロの「お荷物」として、家族から過保護に、そして世界の裏側から遠ざけられて育ってきた私、九条ひより。それが、昨夜の十八歳の誕生日を境に、人生がとんでもない速度で転がり始めてしまった。

白耀と契約を結び、お札も呪文も使わず、ただの「右ストレート」と「踵落とし」で数千の妖を文字通り消滅させてしまったのだ。


(……思い出すだけで、まだ拳が熱い……)


自分の右手を見つめる。肉体そのものは、昨日までの私と何も変わらない、どこにでもいる女子高生の小さな手だ。

けれど、体の奥底には、白耀から流れ込んできたあの冷徹で強大なエネルギーの「通り道」が、確かに開通している感覚があった。いつでも引き出せる。いや、引き出そうとしなくても、彼が近くにいれば――。


「――おや。我を想って、そんなに顔を赤くしているのか?」


「ひゃいっ!?」


耳元で、鼓膜を甘く震わせるような、低く掠れた声が響いた。

聞き間違うはずのない、あの冷ややかで、けれどどこか愉悦を孕んだ声音。


ガタタッ! と派手な音を立てて椅子から立ち上がると、クラス中の視線が一斉に私に集まった。そして、その視線は私のすぐ隣に立つ「異物」へと注がれ、次の瞬間、教室全体が時を止められたかのような圧倒的な静寂に包まれた。


「し、白耀……っ!? なんで、ここに……!?」


「おいおいひより、知り合い!? っていうか……何あのイケメン、芸能人? モデル!?」

マミが机に身を乗り出し、目を皿のようにして叫ぶ。クラスの女子たちからも、地鳴りじみた黄色い悲鳴が漏れ始めていた。


そこに立っていたのは、千景高校の濃紺の制服を、恐ろしいほど完璧に着こなした白耀だった。

腰まで届くはずの長い銀髪は、現代の街に馴染むように首元で緩く一つに結ばれている。切れ長の金色の瞳が私だけを捉えて細められ、その薄い唇が意地悪そうに弧を描いた。


「驚くことはないだろう。我が契約者がこのような人の檻(学校)に通っているのだ。あるじの身の安全を確保するため、そばに付き従うのは当然の義務だ」


「義務って、あなた……ここは学校だよ!? 戸籍とか、手続きとかどうしたのよ!」


私が声が漏れないよう小声で詰め寄ると、白耀はブレザーのポケットから、一枚の黒いプラスチック製のカードを指先に挟んで見せた。そこには、政府の陰陽寮――つまり、現代の祓い屋たちを統括する国家最高組織の刻印が押されていた。


「人の世の権力など、我が一言命じればどうとでもなる。今日から我が名は『白耀はくよう』。このクラスの転校生だ。よろしく頼む、我が主」


白耀は周囲の目も気にせず、わざとらしく私の右手を取ると、その甲に軽く唇を寄せようとした。


「ちょっと、やめてーーーっ! 私の平穏な高校生活が!!」


真っ赤になって悲鳴を上げ、全力で手を引き抜く。クラスの女子たちからは「え!?」「まさか付き合ってるの!?」という動揺が沸き起こり、男子たちからは殺気混じりの嫉妬の視線が突き刺さる。学校一の地味系女子だったはずの私の日常が、一瞬で消し飛んだ。


だが、私の絶望はそれだけでは終わらなかった。

ガササッ、と教室の窓の外、三階のベランダのコンクリート壁から、見覚えのある「二つの頭」がニュッと突き出たのだ。


「おのれ九尾……! 学校にまで潜り込んでひよりをたらかすとは……! パパは許さん、絶対に許さんぞ!!」

「ひより、今すぐその男から離れるんだ。兄さんが特製の『狐除けの結界符』を教室の四隅に展開して、今すぐあの野獣を蒸発させてあげるからね……!」


「お父さん!? お兄ちゃん!?」


窓の外には、不自然な作業服を着て「窓拭き業者」に変装した父・陣と、制服の上からなぜか白い割烹着(母のものだ)を羽織ったお兄ちゃん・晴明が、呪符を両手に構えて白耀を睨みつけていた。どう見ても命綱なしで三階に張り付いている超一級の不審者である。


「……ふむ。しつこいはえが湧いているな。ひより、一撃でこの校舎ごと消し飛ばしてやろうか?」

白耀が冷酷に目を細め、指先をパチンと鳴らそうとする。


「やめて! 家族を消し飛ばさないで! っていうか二人とも、お母さんに怒られても知らないからね!?」


私のその言葉が引き金になったかのように、父さんのお尻のポケットで、通信端末がけたたましく鳴り響いた。画面に表示されているのは『志乃(母)』の二文字。

二人は一瞬で顔を真っ青にし、「ひ、ひより! また夜な!」と言い残して、目にも留まらぬ速さでロープを伝って窓から滑り降りていった。本当に何をしに来たんだ、あの過保護軍団は。


「はぁ……朝から疲れる……」


頭を抱えて席に座り直すと、白耀は当然のように私の隣の空席(本来は教材置き場だった席だ)に、長い足を組んで優雅に腰掛けた。

彼が隣にいるだけで、私の右拳がじんわりと心地よい熱を帯びる。昨夜の戦いで目覚めた私の霊気と、彼の圧倒的な神気が、まるで磁石のように引き合い、体内で共鳴しているのが分かった。


「嫌か、ひより」

白耀が、ふと悪戯っぽさを消した、真剣な金色の瞳で私を覗き込んできた。


「我がお前の隣にいることは、それほど不愉快か?」


「……不愉快、っていうか。恥ずかしいだけで……」


俯きながら、消え入るような声で答える。

嘘だ。不愉快なはずがない。

十年間、何も見えず、何もできず、ただ家族の後ろ姿を守られるだけで見ていた私に、戦う力をくれた人。

「お前は我の契約者だ」と、その存在を全肯定してくれた大妖怪。

彼が隣にいることで得られる絶対的な安心感は、私の人生の中で、何よりも大きかった。


「……なら良い。お前が我を拒まぬ限り、我はどこまでも追う。お前がその拳で、世界のすべての闇を平らげるその日までな」


白耀は満足そうに微笑むと、教科書もノートも持たないまま、窓の外の青空を悠然と眺め始めた。その横顔があまりにも絵になりすぎていて、授業中、先生の言葉が全く頭に入ってこなかったのは内緒だ。


その日の放課後。

騒がしい一日が終わり、白耀と共に校門を出ようとした私たちの前に、一台の黒塗りの高級車が音もなく滑り込んできた。

後部座席のドアが開き、中から現れたのは、仕立ての良いスーツを着た、片目に眼帯をつけた初老の男性だった。彼から放たれるのは、父さんたちとは質の違う、冷徹で統制された「軍人」のような、重苦しい霊気。


「初めまして、九条ひよりお嬢様。そして……偉大なる九尾の神獣様」


男性は深く頭を下げた。


「私は政府陰陽寮、特務執行部の室長を務めております、五条院ごじょういんと申します。……昨夜のショッピングモールでの『物理除霊』、拝見いたしました。お札を使わず、空間を一切破壊せずに数千の妖を消去するその力……まさに国宝級です」


五条院と名乗る男の眼帯の奥の瞳が、ギラリと鋭く光る。


「九条ひより様。我が陰陽寮は、あなたを『特級客員術師』として迎え入れたい。……現在、この街の地下で、過去最大級の『大穴』が開きかけております。どうか、その拳で、我らの盾となっていただきたい」


五条院の要請。

それは、私が昨日まで過ごしていた「普通の女子高生」の日常が、完全に終わりを告げ、世界の表舞台へと引きずり出される瞬間だった。


私の横で、白耀がくくく、と低く、地響きのように笑った。


「面白い。我が主を道具のように使うつもりか? ……だが、ひより。決めるのはお前だ。お前がその拳を振るいたいと言うならば、我はお前の唯一無二の武器となろう」


白耀の金色の瞳が、試すように私を見つめる。

私の右拳が、ドクン、と熱く脈打った。

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