灰の世界の住人
谷底の村の河原に老魔術師がいる。
ナージャは、水量のそれほど多くない川の水面を眺めていた。
大きな岩の上に腰かけて何かを考えているようだった。
「ふぅ」
老婆の横に、ため息とともに弟子の少女が座り込む。
数日の間、アインの治療にかかりきりになっていたミリーが、休憩がてら師匠の様子を見に来ていた。
「小僧の様子はどうじゃ?」
アイシャに運ばれてきた時の少年は、身体的な損傷はなかった。
しかし、見た目に反して重症なことがすぐに分かった。
カーラ曰く、存在が消えかかっているということだった。
「魔法によって意図的に存在を消すことは可能ですが、坊ちゃんの状態はそうではなく、存在そのものが薄まっています。このままでは目の前にいても見えていないのと同じ状態になります」
カーラの焦り様から、それが深刻なことを知る。
「とにかく、坊ちゃんの魂をこの世界に引き留めるのが先決です。手伝ってください」
「はい」
こうして、カーラとミリーが交代で治癒魔術を施す事になった。
「今は安定しています。でもまだ目を覚ます前兆もありません。。。あの子戻ってきますよね」
ミリーは寝不足の赤い目に涙を浮かべている。
ナージャが煙管を取り出して優しくなでてから、煙草に火をつける。
「大丈夫じゃ。お前たちが付きっ切りで看病しとるんじゃ。そのうち、あくびしながら起き上がってくるじゃろうよ]
軽い口調で励ます老婆にミリーがくすくす笑う。
「師匠は嘘つきですね。自分が一番心配してるのバレちゃってますよ」
「ん?」
「その癖、気付いてないんですか?心配事のある時や嘘をつく時、いつも煙管をいじりますよね。大事なものなんですね」
「。。。昔な、アリーシャ。。。小僧の母親に貰ったものじゃよ。あの子もお前のように優しい子じゃった。。。」
すぅすぅと、寝息をつく少女は老婆の言葉を最後まで聞いてなかった。
ナージャは肩を貸して優しい眼差しで弟子を見る。
さらさらと水の流れる音と、谷底の柔らかい日差しが暖かい、そんな午後だった。
。。。
こぽっ
どこかわからない、どこでもない所。
いや、俺はここを知っている。
どこだったかな?
記憶を辿る。
俺としての存在は限りなく希薄で、ここに溶け込んでいた。
この感覚には覚えがある。
海の中で漂いそのまま溶けてしまったような。
こぽっ
泡がたつ。
微かで小さな泡が。
こぽっ こぽっ
俺は自分の形を思いだす。
こぽっ こぽっ こぽっ こぽっ
泡が集まり白い体になる。
やあ、ひさしぶりだね。
誰かに声をかけられた。
知っている。
音として聞こえているわけではない、その声を知っている。
あれ?思い出せない?
たしか、ずっと昔に。。。
ああ、そうだ。以前は毎晩のように聞いていたあの声だ。
やっと思い出してくれた。
こんなに、ちゃんとした会話になってなかったような。。。
ああ、それは、君の宿主がより深い階層にアクセス出来るようになったから。
宿主? 俺は金髪の少年のことを思い出した。
それをきっかけに記憶がよみがえる。
アイン!あれからどうなった?!
まあ、落ち着きなって、ずいぶんと長い間接触がなかったから心配してたんだ。
お前は、いや、お前たちは何だ?
僕達には、個も全も無いからどう呼んでもかまわないよ。
統合意識生命体ということか?
昔アニメで見た設定を思い出す。
ふふっ。ユニークな発想だね。でも少し違うね。
君たちが精霊と呼ぶ存在、それが一番近いかな。
精霊?意志ある精霊、ヴァルカのような?
あれは、召喚者のイメージで造られたものだから、僕達とは別の存在だね。
言ったろ。個も全も無いって。
じゃあ、何なんだ?
君たちの世界とは別の世界の住人。。。だったもの。
人なのか?
今ではその呼び方は不適切だね。かつて人だったものが近いかな。
何を言っているのかさっぱりわからない。
説明が必要なようだね。
頭の中にイメージが流れ込んでくる。
一瞬で数千億の星の歴史を体験した。
人と同じ姿もいれば、生命体とは思えない形状のものまで様々な生き物が、そこに在ろうとしていた。
そのための、文明、文化、戦争。
様々な手段で自らの存在を誇示した。
そうした活力がエネルギーの残滓となり、長い時間をかけて澱みに溜まってゆく。
何時しか、その澱みは行き場のない虚となり世界を満たした。
全ての動きは停止し、物質とエネルギーと情報(魂)が混ざりあったスープのようになる。
そして、その世界は灰色の屍界と呼ばれ、死を迎えた。
そう、僕たちの世界は一度死んだんだ。
君たちの言うエントロピーの崩壊だよ。
だけど、不思議なことが起こった。
別の世界の情報が流れ込んで来て、そのままほかの世界への穴を穿ったんだ。
僕たちの世界はそれで少しだけ息を吹き返した。
張り詰めたボールから空気が漏れるように、別の世界へエネルギーが流れていった。
それが。。。魔法か。
そう、そして、僕たちの世界に穴を開けて通路を創った存在が君たち転生者だ。
前王やダネフの言っていたことが、ようやく理解できた気がした。
それで、俺にこんなものまで見せて何をさせようってんだ。
君は僕たちにとっても、重要な存在になりつつある。
僕たちの世界を救って欲しいんだ。
。。。
俺が気付いた時、坊主の傍らにいた。
静かに寝息を立てて寝ている。
柔らかそうな髪を撫でるようなしぐさをしてみる。
「う、ううん」
寝返りをうつ少年の顔が初めて会った時と重なる。
俺は新たな決意を持ち、再びこの世界に降り立った。




