俺は《気付かない間》花見に・・・
お湯の温度は四十五度。かなり熱めの風呂だが頭の芯は氷の様に澄み渡っていた。頭の中のピースがジグソーパズルのように嵌まって行く。
花見は俺を起こらせているのか・・・。
風呂から出て、寝間着に着替えた。少しジトリとするがドライヤーで髪を乾かしていくうちに気にならなくなった。短く切り揃えた黒髪がファサリと音を立てた。
俺は玄関へ向かった。ヒタヒタと『闇』が近づいて来て俺を呑み込みそうなモノが着いてきそうだった。
後ろを振り返る。しかし其処に広がっていたのはやはり漆黒の空間だった。
全身の皮膚が粟立つ様な悪寒を覚え早足で廊下を歩く。
しかし廊下はいつまでたっても玄関にたどり着かなかった。
『どうなっているんだよ・・・』
五感が遠ざかって行く。意識だけがふわふわと宙に浮いて行った。そのまま未知の感覚に酔いしれて意識を手離しそうになった。
『へぅ~・・・。はっ!』
宵闇の冷たい空気に叩き起こされた。意識が覚醒する。覚醒剤じゃねーぞ。
何だか何もかもが敵に見えてきて、ベニヤ板の木目までも奇怪な怪物に見える。
瞳孔が裂けきった。窓ガラスに映る自分の平凡な顔が、段々波紋の様に歪んで行く。グニャリと。
『ぁ・・・あ!あっっ!』
瞳孔が裂けきり、瞳孔になにかが見えた。
それは花見が怒った時や狂いだした時の瞳孔に菖蒲の紋様が映っていたのと同じ、赤黒い菖蒲の花が瞳孔に花開いていた。
視界が赤や紫に染まり、正常な判断が出来ない。
喉の奥から何かが込み上げてきた。
『彼奴を、止めなきゃ』
足先は氷に触れた時みたいに冷たく、いつの間にか持っていた傘は手にしっくりときた。菖蒲の柄が描いてあった。
俺は俺の生活を脅かす何かと闘おうとしていた。しかし自分が無力でなにもできず、ただ敵の捕虜になる歩兵みたいな弱虫だった。
こんな世界から逃げたい、前の花見に戻ってほしい。そう願っても砂時計は現れず、目を瞑り、また開けても風景はもとのままだった。
花見は俺に何をしたいんだろう。そんな激情が俺の背中を突いた。
『っ・・・!!!』
俺は傘と激情を盾に風呂から見えたあの腕に向かって駆け出した。動悸と目眩と貧血のスリーコンボが俺の道を狭める。
玄関を飛び出しあの茂みに向かった。そして俺は絶句した。俺の家の前はブロック塀になっている。しかしその塀全体が血塗れになっており灰色の元のブロック塀は見えなかった。
血は差し込む筈のない月光を反射してヌルリと怪しくテカっていた。鉄と土の匂いが鼻について吐きそうになる。しかし俺は靴に血をベットリとこびりつかせながら茂みに向かった。
茂みにはちゃんと腕があった。
断面からよくわからないものが飛び出しているが脳が認識したくないと拒否反応を起こしている。
俺は青白くて氷の様に冷たい腕を見て絶叫した。
「これは花見の腕にじゃないか・・・』
花見の腕には暴力団らしからぬ菖蒲の紋様が刺墨として入っていた。しかしこの腕には花見の刺墨と同じ柄が掘ってあった。
「花見、、花見が・・・えっ?あっ?アハハハハハハヒハハハヒハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
夜の寝静まった町並みに響き渡る俺の声。
花見が死んだという事実を受けいれない俺の頭は狂うことを採択した。
「神様!この世界は混沌に満ちていましたね!!!俺は花見が黒幕だと思っていたがそうではないようですね?
アハハハハハハヒハハハヒハハハハハハハハハハハハハハハ。この世界は分岐しているのですね?」
俺は狂いながら腕の近くにあった鉈を見つけてしまった。鉈はずしりと重く感じた。俺はその鉈が花見の血で濡れているのを確認しながら・・・。
俺は空を見上げた。排気ガスにまみれたこの世界で君は何を願うのか?
俺は鉈を左手首にあて、鉈を降り下ろした。
肉のカタマリはストンと堕ちた。
「さよなら、この世界は楽しかった」
俺は鉈を首に当てて、振りかざした。
最後に残ったモノは、自分の分離した体だった。




