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ある脇役の選択  作者: 梅雨子
彼女の知らないエピローグ
53/53

エピローグ

.



 クロードは寝台に腰を下ろしながら、伝話機の受話器を握る。

 伝話機とは、魔法を媒介に遠く離れた人同士の会話を可能とさせる機械である。どの一般家庭にも備わっているし、最近では小型化され、個人が持つようにもなった。

 自室の窓から見える、落ちてきそうなほどに大きな満月を眺め、目を細める。太陽より優しい光は、どこか妖しさを纏っていた。

 耳を澄ませば、受話器の向こうから笑声が聞こえる。

「異世界へ来た俺に、貴方はどこまでも率直で酷かったですね」

 笑い含みの声は、クロードが助けた少年 碧のもの。あれから数年が経ち十七歳になった彼は、ファーガス家に引き取られ、ジャスパー・ファーガスと名を変えた。

「そうだったかな?」

 肩を竦めたクロードだったが、思い出してみれば、確かに残酷な現実を何ひとつ隠すことなく、ミドリに伝えていた。彼の両親の死、この世界のこと、クロードがミドリを召喚したこと――それらすべてを、当時十二歳の、心と身体に傷を負った少年に話した。

 クロードは苦笑を零す。過去の自分はなんと残酷だったのだろう。

 しかし、それは今も変わらない。

「でも、僕は君がユキの異母弟じゃなければ、見殺しにしていたよ」

 どこまでも真実を言葉にする。裏切りは許さないとばかりに、恩を売って。

「はい、存じています」

 そう答えたミドリの方が、よほどクロードより精神は大人なのかもしれない。




***   ***   ***




 あの時――五年前、クロードがミドリを召喚した年。事故の怪我から幾分調子を取り戻したミドリは、現れたクロードに縋った。


『父さんから、頼まれたことがあるんです! 異母姉さんに伝えてほしいと……。だから、元の世界に帰してください!!』


 悲痛な叫び声。クロードの耳に、今も残る。

 信頼に足るかもわからないクロードに頼むあたり、ミドリは子どもで、藁にも縋る思いだったことは容易に知れる。

 だが、この時のクロードは、助けた少年に手を差し伸べることなく、ただあっけらかんと告げた。


『彼女は、この世界にいるよ』


 ――その為に、君を助けた。

 そう言わんばかりに、読めない笑みを浮かべて。




***   ***   ***




「俺は」と、受話器から声がし、クロードは意識を再びミドリへと向けた。

「生かしてくれた貴方に感謝しています。だから、貴方の願い通り、学校で異母姉さんを見守ったし、自分が異母弟であることをまだ伝えていません。――すべては、父の願いを叶える術を、貴方が与えてくれたから」

 彼の言葉通り、ミドリはクロードの意のままに動いた。




***   ***   ***




 この世界に召喚され、傷も癒えたミドリは、クロードの伝手で旧貴族のファーガス家に養子入りすることとなった。王宮には旧貴族が多く在籍しているため、繋がりをつくるには最適な場所なのだ。ゆえに、クロードは職場の知人にミドリを養子にする話を持ちかけた。

 クロードは、ファーガス家の一員となったミドリと定期的に接触した。一見、助けた少年を心配しての面会のように思えるが、事実は異なる。彼をいつ異母弟としてユキに紹介したら良いのか、時機を見計らうためであった。

 そうして二人で会って、何回目のことだったか。十四歳になって国立学院中等部に編入学したミドリは、クロードにこんなことを言った。


『この世界は、まるでファンタジーの世界です。俺の世界の物語であったことが、本当に存在している』


 わくわくと瞳を輝かせながらミドリは語ったが、他方でクロードは眉宇を顰めた。ユキをずっと観察していたとはいえ、さすがにミドリとユキの世界の物語事情にまで詳しくはない。

 そしてミドリに、彼の世界の物語事情を尋ね、クロードは目を瞠るのだ。


『そうですね……少年マンガとかアニメだと、学校に人気のある生徒のファンクラブがあったり、チートな生徒がいたり。恋愛関係でも、ツンデレとかヤンデレとか……えぇと、わかりますか?』


 正直、さっぱり理解できなかった。が、続く言葉こそが、クロードにとっては衝撃だった。


『ハーレムとか、逆ハーレムとか、そんなのもありました。主人公が異性にモテるジャンルなんですが……相手はテンプレだと、妹・幼馴染・先生・クラスメイト・先輩・後輩などたくさんあるのですが、いかがわしい内容のものは妹や先生が人気だったかなぁ』

『……君、十四歳だよね? なんで、いかがわしい内容の人気についてまで知っているんだ』


 普段、興味のないことは流しがちのクロードが、つい反射で突っ込むくらいには驚きと困惑、動揺で心が揺れていた。

 それから数分後に気づいたのは、ユキの立ち位置。彼女は今、大学で教師になるための勉強をしている。そう、彼女は”先生”になろうとしている。

 ミドリは、この世界は彼の世界の物語と似ていると言い、さらにいかがわしい内容のものは”先生”が異性から狙われる場合もあると。

 ――ユキを狙う者が現れるかもしれない、という可能性。

 不思議なもので、それまでそんなことを考えたこともなかったのだと気づく。ただ、マルグリットにばかり注意を向けていた。

 まだ、ユキはクロードを家族としてしか、見てくれてはいない。つまり、もしかしたら、どこかの馬の骨にユキを横から掻っ攫われるかもしれない。

 焦燥が迫り上がり、目を眇める。

 ――どうしたら、ユキは自分だけを見てくれるだろう、と考えた。


 それからだ。クロードが、ユキに『がんばれ』しか言わなくなったのは。

 家族の行動は読めていた。彼らはひたすら、ユキの背中を押すことだけを言うだろう。彼女が折れた時のことなど考えず、応援をし続けるだろう。

 ならば、と思った。

 いつか、彼女が袋小路に嵌ってしまった時、自分の言葉でユキの心が手に入るように仕向けようと。

 クロードがユキを手に入れる前に邪魔者が割り込まないよう、ユキの赴任した高等部では、ミドリに入学してからの二年間を見張らせた。なにかあれば、邪魔者を阻止できるよう。

 すべては、クロードの願いのため。

 ミドリには少しだけ申し訳ないと思うが、言葉にはしなかった。謝ったとして、クロードはミドリを利用することに躊躇いはなかったし、利用することをやめることはないから。言葉だけの謝罪ならば、意味はない。




***   ***   ***




 互いに物思いにふけっていたのか、ミドリとクロードのやりとりに間が空く。

 それを先に破ったのは、ミドリだった。

「……本当は、俺は……異母姉さんには貴方に捕まらないでほしかった。異母姉さんが悩んでいるのを知っていて、貴方はその時を待っていたから」

「そんな君だから、助けて良かったと心から思うよ」

 ミドリの言葉に、クロードは相好を緩める。

 ミドリはきっと、誰よりもユキを一番に考える味方になってくれるだろう。

 だからこそ、クロードはユキの心が手に入るまで、ミドリをユキに紹介しなかったのだ。ユキが一番の味方をつくってしまったら、ユキの心の隙間は埋まってしまい、自分が入る空きはなくなってしまう。

 でも、ユキの婚約者となった今は、ユキの味方がいることを嬉しく思う。

「ユキの、いい家族になってくれ」

 心からの言葉だったが、ミドリは皮肉で返す。

「俺を助け、再会させる貴方は、異母姉さんにとってどこまでも素敵な婚約者になるのでしょうね」

「ありがとう」

 それすらも、クロードは楽しげに反駁した。本当に、彼はユキを大切にしてくれる。

 ミドリは溜息を吐いた後、言った。

「――来週、異母姉さんに会いに伺います」

 それを、クロードが拒むことはない。

「その約束だからね。お茶でも用意して待っているよ。……そうだ。君のお父さんからの遺言を尋ねてもいいかな?」

 その時――ミドリとユキの父の死に際――を観察していたけれど、再び、聴きたくなったのだ。

 ミドリは、一言一句違えず憶えているだろうか。

 ミドリは何度目からの溜息を混じらせ、了承する。

「……仕方ないですね。『雪、君のことを忘れたことはなかった。逢いたかった。いつか、きっと。――どうか、幸せになってくれ』」

 そう、この言葉だ。

 クロードは睫毛を伏せ、ユキの父の最期の時を記憶から呼び戻しながら切なく微笑む。

 その言葉は、クロードに祖父や両親の遺言を思い出させたのだ。


『――お前の未来に、幸多からんことを』

『愛おしい君に、幸あれ』


 ――クロードを救うため、命を捧げてくれた両親と祖父。

 クロードは、祖父を憎んでいた。でも、本当は知っている。大人になる過程で、気づいていった。

 祖父は、両親を愛していたこと。しかし、責任ある”大神官”という立場にある為、助けられなかったこと。

 ――今更。

 本当に、今更になって、クロードは祖父を許せるようになった。

 時間と共に融けていった憎しみ。目を逸らしていた真実に気づいたとして、最早どうしようもない。

 祖父は、憎むことで生きる理由となるのなら、それも良いと言った。けれど、憎しみはクロードを盲目にさせ、真実を直視する力を奪った。

 現実を知った時、残されたのは後悔。

 涙が、一筋頬を伝う。

(――ユキ)

 彼女が教師として在る姿は、まるで大神官であった祖父を思い出させた。義務と権利、規則と情の間で揺さぶられ、必死に佇む姿。彼女が秩序を守ろうと必死になればなるほど、生徒と溝が生まれていった。

 大神官であった祖父も、きっとそうであったのだ。

 それまでは、クロードは救われたこと、祖父が両親の話をする姿から、憎しみがじわりじわりと解れていったが、ユキが教師となってからは、大神官がなにを考えているのか理解できるようになった。本当の意味で、許せるようになった。

(ユキ)

 彼女の存在は、いつも自分に救いをもたらす。

 クロードは涙を隠すように、目元を片手で押さえて囁いた。

「来週、待っているよ」

「はい」

 ミドリの声音は、クロードから許可が得られたと安堵するもの。

「では、失礼します」と言って、ミドリは伝話を切る。クロードも、受話器を置いた。


 同時に、扉を叩く音がした。

 クロードは目元を押さえる手を下ろし、涙を拭う。

「どうぞ」

 言えば、開いた扉の隙間からユキが顔を覗かせた。

「ご飯、できたよ――クロードさん、どうしたの?」

 首を傾げながら、ユキはクロードの部屋へと足を踏み入れる。一歩一歩、クロードとの距離を詰めていった。

 ユキは屈み、ベッドに座るクロードの頬を手で包む。

「目が潤んでる」

 そうして、そっと微笑んだ彼女は、クロードの頭を抱えるように抱きしめた。

「私が傍にいるよ」

 優しい声に、クロードはユキの腰へと腕をまわすことで、くしゃりと歪んだ顔を隠した。

「……ユキ」

 いつでも簡単に、クロードの心を捕らえてしまう娘。切なく痛むほどに、愛おしい。もう二度と離れられない唯一。

 クロードはユキの身体を離すことなく、続ける。

「来週、ユキに逢わせたい人がいるんだ」

「誰?」

「それはまだ秘密」

 目を瞑り、ユキのぬくもりと香りに心を和ます。

 ――クロードに囚われたユキ。

 だが、本当に囚われたのは、クロードだった。

(ユキが、笑ってくれますように)と願う。いつだって、願っている。

「楽しみにしてる」

 ふふ、と笑いながら言ったユキに、彼女の腰に絡みつく腕の力をきつくした。ともすれば、えも言われぬ安堵に包まれる。

 ――これで、世界とユキを繋げる鎖が二つに増える。

 ――婚姻という戸籍上の繋がり、そして、ミドリという血縁者の繋がり。

 二度と引き離されることのないよう、世界とユキを繋ぎとめねばならない。

 それでも、どうか。

(――願わくは、ユキに幸が多からんことを)

 クロードは心の中で、囁いた。



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