09.回帰の森
「どうして、またこうなるの」
鬱蒼とした森の中、気配に気を付けながら歩いて行く。
まさかまた森の中を彷徨う事になるなんて……。
泣きそう……。
◇ ◇ ◇
「そうか。こちらに来てまだ10日しか経っていないのか」
「まだ10日じゃなくて、もう10日だけどね。やっと外歩きができるくらいには回復して、今日は街の中を散策しようと歩いていたの」
「そこで私に捕まったわけか」
「そう、だね」
相槌を打ちながらポシェットからジュースが入った瓶を取り出して口にするルリアネをルジストは興味があるのかじっと見つめた。
「どうしたの?」
「意外と手厚い庇護を受けているんだな」
「……」
確かに。
最初はやばかったけれど、ヴァレン様に保護されてからは生活に困った事がない。
毎食必ず料理を用意してくれて、毎日お風呂にも入れて、着替えまで用意してくれている。
それに今思えば、教会に私を預けて終わりだった筈なのに、何故かずっと迎賓館に泊めてくれている状態。
どういう意図があってそうしてくれているのかはわからないけれど、今の私にそんな価値はあるのかな?
空になったガラスの瓶を見つめたまま、動かずにいるルリアネをルジストはつまらなそうに横目で見ると、微精霊たちが運んでくる光る帯にまた目を通していく。
一通りの作業が終わり、視線を再びルリアネに向けると、ルリアネの周りにいまだに集まり続ける微精霊たちにルジストは目を細めた。
「ルリアネ。ここで働く気はないか?」
「え?」
突然の言葉に困惑の色を隠せないでいるルリアネにルジストはにやりと笑みを浮かべながら続ける。
「今更だが精霊が見える人間は貴重でな。その上微精霊まで見え、微精霊たちが好感を持つ人間は更に稀少な存在だ。ここで働くのなら衣食住は保証しよう」
「え?」
それって住み込みで働けるって事だよね?
というかそんなに精霊が見える人っていないの?
普通に見えるんだけど。
それよりも住み込みでの仕事か。
今の私にとっては好都合だよね。
「あの、仕事内容とか具体的に聞いてもいい?」
◇ ◇ ◇
確かその流れだった筈なのに、どうしてこうなった?
倒れた大木を跨ぎ、足を進める。
『ああ。だが、まずはお前の力と適性があるのかを見極めさせてもらう。話はそれからだ』
そう言い終わると同時に気が付くと私だけ森の中にいた。
あっちから勧誘しておいて、この仕打ちは本当にどうかと思う。
しかも、この森の嫌な雰囲気を私は知っている。
まさかまた戻ってきたって事はないよね?
だけど確証はないけれど、私の勘がこの森はクラヴィスの森だと告げている。
もしそうなら最悪すぎるんですけど。
「それに試験ってどういう事だろう?」
試験官不在じゃ試験も何もないと思うんだけど。
もしくは私が見えていないだけで、どこかから見ている?
何はともあれ、とりあえずこの森を抜けないと。
聖女の結界内ならまだましだけれど、結界の外側ならまた死にかけるかもしれない。
まだ日は高いけれど、魔獣は昼も活動するらしいから、夜よりは力が少し弱まるみたいだけれど、やっぱり遭遇は避けたい。
自身の勘に従い、ルリアネは極力音を立てないよう気をつけながら森の中を進んで行く。
◇ ◇ ◇
「ここって……」
暫く歩いた矢先、目の前に広がる見覚えのある光景にルリアネは足を止めた。
勘を頼りに進んだ結果、ルリアネが辿り着いた場所はまさかの最初にこの世界に来た時の場所だった。
「どうして、この場所に……」
ある意味勘は当たっていたけれど、まさかまたクラヴィスの森に来るなんて……。
それになんでこの場所に辿り着いたの?
予想外の事に戸惑うも、ゆっくりと荒れ果てた小さな池に近付く。
この倒木の上にリティスが座っていたんだよね。
池の上に倒れていた倒木を撫でつつ、池を見つめると、底から水が湧き出していた。
じゃあ、これはただの池じゃなくて泉だったんだ。
その事実を知った途端、背中に言い知れない悪寒が走った。
その悪寒に両腕を抱えて耐える。
どうしてだろう。
何かが引っかかる。
ぎゅっと手に力が入る。
どれだけ経ったのだろうか。
漸く悪寒が治り、その場に崩れるように座り込む。
この世界に来てからずっと感じる違和感。
これは何を示しているの?
ゆっくりと深く深呼吸をする。
とりあえず切り替えよう。
今はこの森から生きて出ることが最優先。
またあの魔獣に遭遇したら、次は助からないかもしれない。
獅子猿。
図書館にあった資料によると全身が黒い毛で覆われ、頭はライオンで胴体は猿の魔獣。
獅子猿の武器は頭の角と鋭い牙に尻尾の先に付いている数枚の刃。
そしてあの腕力。
鳥型の魔獣もあの腕力により、最期は身体を引き裂かれていた。
しかも倒木などを握り潰してできた木片などを投げつけて相手に致命傷を負わせることもできるらしい。
それに尻尾の刃は切り離して投げる事もできるって反則すぎるよ。
しかもその刃は投げた後、数時間で再生するらしいし。
あの時、私に傷を負わせたものは投げ付けられた木片だったのかな?
瘴気から出来たものは、聖女の結界が通さないってマルクスさんが言っていたし。
どちらにせよ、よく生きてたな、私。
何にせよ、また逃げ切れるかわからない以上、遭遇は避けないと。
とりあえず、この場所に出たって事は何かある筈。
この世界に来た時に背負っていたリュックとかは、獅子猿から逃げる時にすべて失くしちゃったから、さすがに10日も経つと見つからないよね。
あとはそこの小さな泉だけだけれど、ちょっと汚いというかなんだろ?
泉もだけれどその周辺の空気もなんか黒く淀んでいる様な不気味な感じがする。
水は見た感じは普通の泉なのにどうしてだろう?と戸惑いながらも泉の水に触れてみる。
「…………………」
うーん、やっぱり何も起きないね。
ちゃぷちゃぷと水に何度も手をつけるも、やっぱり何も起きない。
水はあらゆるものを写す鏡であり、その中でも水が湧き出る泉は別の世界へ繋がる入り口って聞いたことがあったから、ひょっとしたらこの水に触れたら元の世界に戻れるかも?と思ったのに、やっぱり無理か。
本当に、元の世界に戻ることはできないのかな……。
あの時は思わずルジストの前で大泣きしちゃったけれど、やっぱりまだ信じられない。
──だから自分で探しに行こう。
ぎゅっと握り締めた拳に力を入れる。
その為にはこの世界中に拠点がある緑陰で働いた方が、今の私には都合がいい筈。
それにしてもこの水、綺麗にならないかな?
もっと清潔で綺麗かったら飲めたのに……。
ずっと歩いてばかりだったから喉が渇いちゃったんだけれど。
「流石にこの水を飲んだらお腹壊すよね」
濡れた手を振って手から水気を飛ばして、立ち上がる。
泉から少し離れて改めて周辺を確認すると、泉から湧き出た水が小さな小川となって流れていた。
もしかしたら聖女の結界の境界線になっている川と繋がっているのかな?
そうだったらこの小川を辿って行けば安全域に入れるよね?
なら急がないとと歩き出そうとした時だった。
不快な臭いと共に後ろの木々の間から微かにガサリと何かが落ち葉を踏みしめる音が聞こえた。
すかさず鞄から空になった瓶を取り出し、音が聞こえた方に振り向くと、そこにいた存在に瓶を投げ付けた。
◇ ◇ ◇
「この先か」
「はい。この先に例の場所があります」
「そうか」
鬱蒼とした森の中、道なき道を3人の人間と3頭の駈竜が辺りを警戒しつつ歩いていた。
「それにしても、主君自ら聖女の結界の外側にまで来て再調査なんて、本当何かあったんですか?」
「おそらく先日届いた書状の事だろう」
「……一体どんな内容だったんですか?もしかしてあの件とも関係ある感じですか?」
何も言わず先を歩く主君の後ろ姿に目をやりつつ、小声で話しかけてくる無駄に察しがいいフェンデルに小さくため息を吐く。
10日前に保護した少女。
記憶がない上に彼女の事を知る者は調査した結果、周辺地域には誰1人として見つからなかった。
それだけでも怪しいのに、主君は彼女を修道院や施設に預ける事はせず、あまつさえ自身が過ごす屋敷に彼女の部屋を用意し、時間が出来れば彼女の部屋を訪れる始末。
彼女の監視兼世話役となったロウェリーも、主君の対応にはじめは戸惑いを隠せずにいた。
何にせよ、この先にある場所を考えると気が重くなるな。
◇ ◇ ◇
グルルルル
低い唸り声と鋭い牙。
長い立髪を逆立て威嚇の姿勢を見せる目の前の黒い獣から、視線を逸らす事なく泉を背に対峙する。
あの時、咄嗟に瓶を投げた事でなんとかこの距離を取れたけれど、ここからどうする?
目の前の魔獣はきっと、前回の様にはもう逃がしてくれない筈。
素人のルリアネがわかるほどに目の前の獅子猿は殺気だっていた。
まさか同じ個体にまた出会うなんて……。
隻眼の獅子猿。
そんなにこの魔獣は私を殺したいのかな?
それともただこの周辺がこの魔獣のテリトリーだから?
とりあえずこの魔獣を倒さないと、私には"死"しかない。
私にできる?
武器なんて何も持っていないこの状況で。
極度の緊張と恐怖で身体が震える。
初めて会った時は無我夢中で、気にする余裕もなかったけれど、魔獣の独特な臭いに顔を顰めそうになる。
この臭いをどう形容すればいいんだろう……。
とにかく鼻に付く腐敗臭のような嫌な臭い。
元の世界で野生動物と遭遇する機会が全くなかったから、この場合の対処法なんてテレビや動画で見たもの以外わからない。
とりあえず背を向けず、視線を逸らさずにいるけれど、一歩でも動けばきっと襲いかかって来る。
前は相手も初見だったから逃げられたけれど、今回は違う。
一瞬でも隙を見せた途端──
「……え?」
突然の衝撃と共に身体が宙に浮く感覚に襲われた直後、凄まじい水飛沫と共に身体中に強い衝撃と激痛が走る。
──何が、起きたの?
突然の出来事に思考が追いつかない。
ただ視界が半分赤に染まる。
両手の感覚が、ない。
朦朧とする意識の中、背中から伝わる木の感触と全身を濡らす水の感じから、やっと泉まで吹っ飛ばされたんだと理解できた。
あまりの激痛に悶えつつ、顔を上げた先に見えた光景に絶句した。
嗤っている。
獅子の顔をしたそれは口の端を吊り上げ、目を細めて不気味な嘲笑の笑みを浮かべていた。
そのあまりの悍ましさと恐怖に無意識に身体震える。
怖い。
痛い。
死にたくない。
誰か……。
誰か助けて……。
頭の中でただこの言葉だけが渦巻く。
たった1度の攻撃で大怪我を負い、戦意が喪失したルリアネをただ獅子猿は嘲笑った。
やはりこの人間はただの人間で、脅威ではなかったと。
ルリアネの身体から流れ出る血が泉から湧き出る水と混ざり合う。
獅子猿の嘲笑の不気味な声を聞きながら、ルリアネは唯一感覚が残る唇を噛み締めた。
「……ふざ、けんな」
腹の底から微かに出たルリアネの声に獅子猿は嘲笑が止む。
唇に血を滲ませながら、ルリアネは曇りのない鋭い視線を獅子猿に向けた。
やっと自立しようと動き出したところなのに。
こんな意味のわからない場所でなんて死ねない。
死にたくない。
私は、生きたい。
生きたい!
今にも途切れそうな意識の中、そう強く願った瞬間、泉からとてつもなく凄まじい光が放たれ、その光はルリアネと獅子猿を包み込んだ。
眩い光の中、視界の端にあの人の姿が見えた気がしたけれど、私の意識はそこで途切れてしまった──




