07.フローレン
着替えを終えて長い栗色の髪を整えていると、ノックの音が部屋に響く。
返事をするとゆっくりと扉が開き、ロウェリーさんが部屋の中に入って来た。
「おはようございます、ルリアネさん。体調はいかがですか?」
「おはようございます、ロウェリーさん。皆さんのおかげですっかり良くなりました」
あれからさらに3日が経ち、リティスの言葉通り私は全快した。
試しに習慣で毎日していたピラティスを再開してみたけれど、少し筋肉痛になっただけで問題なかった。
「今日は予定通り街を見に行かれるのですか?」
「はい。体調も良くなったので、記憶の為にも外に出ようと思いまして」
それに体調が戻ったんだから、いつまでもこの人たちに甘えているわけにはいかない。
ロウェリーさんにこれまでに掛かった治療費などを聞いたら、こちらは義務を果たしたまでだから気にしなくていいと言われてしまったけれど、だったらせめて、1日でも早くこの世界で自立しないと。
ロウェリーさんが持って来てくれた、臙脂色のフードが付いたケープを受け取り羽織る。
服全体が意外と動きやすく、私好みのデザインでテンションが上がる。
これで街を歩いても怪しまれないよね。
言葉や所作はロウェリーさんや時々来てくれたシェパード様とアルシェちゃんの反応を見る限り大丈夫だと思う。
うん……。
「……そう、ですか。本当は私も同行したかったのですが、所用ができてしまい」
「気になさらないでください。今日は街の中を少し歩くだけですから」
「わかりました。あとこれはシェパード様とアルシェからです。お昼に食べてくださいとのことで、今朝邸宅に伺った時に預かりました。中に割れ物も入っている様なので取り扱いには注意してください」
「ありがとうございます。お二人にもよろしくお伝えください。では行ってきます」
「はい。お気をつけて」
シェパード様とアルシェちゃんが用意してくれたポシェットを受け取り部屋を出る。
この世界に来て10日目の朝、ようやく自分の足で動き出せるようになった。
◇ ◇ ◇
「本当に異世界に来たんだ」
目の前に広がる光景に目を奪われる。
ヨーロッパ風の石造りの建物に、石畳みの道。
そして現代風ではない服装の人たちが通りを行き交っていた。
それに馬車はわかるけれど、あれは鳥車?と牛車かな?
確か使役動物だったっけ?
それが元の世界と少し違う。
いや、馬はわかるけれど……角があるし。
鳥もダチョウよりも大きくて、全体的に羽毛がふわふわで尻尾が鶏みたいにふさふさで長い。
牛もなんか角が多いし、首元の毛が長い気がする。
それらが街中を荷車などを引いて歩いている。
それにブロッサリアだったかな?
花祭りが行われた後だからか、街中の至る所に綺麗な花々が咲いていた。
ロウェリーさんによると、ここ領都フィオレンティアは『花の都』と称され、このフローレンという地域自体が様々な花々が一年中咲き誇る『花冠の地』と周辺地域から呼ばれているらしい。
「確か、この道を抜けると図書館がある庭園に出るって言ってたよね」
馬車などに気を付けながら暫く歩くと、見晴らしのいい小さな庭園に出た。
庭園にも様々な花が咲き、地面には浅い溝があり綺麗な水が流れている。
その水の道は庭園の中央に向かい、中央にある白い小さな塔を中心に紋様を描くようになっていた。
そしてその塔の奥には石造りの綺麗な装飾が施された白い建物があり、その両脇にも石造りの建物が2棟建てられていた。
ここがシェノリー庭園。
じゃあ中央の大きな建物が神殿で、左側にあるのが図書館ってことか。
右側にある屋根はあるけど壁がない石柱だけの建物はなんだろ?
なんか舞台とかいろいろな用途で使えそう。
それにしても私が泊めてもらっている屋敷もそうだけれども、一般の建物に比べてやっぱり重厚感がある。
とりあえず情報収集と行きますか。
◇ ◇ ◇
「んー。今日はここまでにしようかな」
手にしていた本を本棚の元の位置に戻して背筋を伸ばす。
印刷技術がまだ発展していないからか、まさか全ての本に鎖が付いているなんて……。
見た感じ全てが手書きで、本の材質も含めて元の世界のものとは全然違う。
鎖が付いているのも盗難防止の為かな?
それにしても、図書館自体がこの街にあって本当に良かった。
おかげでこの街や世界について、大まかな歴史を知る事ができた。
それに療養期間中、生活様式などはロウェリーさんに聞いていたから、それについても擦り合わせができた。
「今日の最大の収穫は、フローレンについて少しだけど知れたことかな」
これから暮らす地域について知りたかったから、すぐに見つけることが出来て良かったけれど、フローレンという地域はここ数年で大きな変革があったらしい。
なんでもフローレンは数年前まではセレスティアという王国に属していたけれど、今はその隣国であるグラウデュース帝国に属しているらしい。
所属する国が変わった理由はある出来事がきっかけで、国家間での話し合いにより決められたらしいけれど、これまでフローレンを統治していた領主の侯爵家がなくなってしまっている事に、どうしてかわからないけれど、胸がぎゅっと苦しくなる。
初めて知ることなのに、なぜかとてつもない喪失感を感じるのはどうして?
ゆっくりと息を吐いて、そっと開いていた本を閉じる。
フローレンは今では帝国の皇室直属の領土となり、自治権が認められているらしい。
それだとおそらくヴァレン様やロウェリーさんは帝国の役人で、シェパード様とアルシェちゃんはフローレンに元々住んでいる感じかな?
私が泊めてもらっている建物は領都の迎賓館らしく、ヴァレン様とロウェリーさんもそこで寝泊まりされているから。
とりあえず、図書館を出よう。
少しだけでも街の中も見ておきたいし、住む場所とかのリサーチも必要だしね。
丁度フローレン領と領都フィオレンティアの街の地図が図書館の入り口広場の壁に掛けられていたおかげで、大体の大きな建物の位置とかは覚えられた。
フローレンは、一応海には面しているみたいだけれど、その両側から北はクラヴィスの森、南はポルタの森という広大な森が広がっていて、海から北東に掛けてクレーメ川という川が流れて2つの森の境界になっている。
クラヴィスの森の向こう側にはパリンディオ公国とプルメール王国があって、ポルタの森の向こう側にはセレスティア王国。
そして北東にはグラウデュース帝国がある。
花冠の地と称され所属する国を含め4つの国に面した土地なのに、他国から攻め込まれた記録がないのは、この自然の要塞に守られて来たからなのかな?
本には森は魔獣の群生地になっているって書いてあった。
一応フィオレンティアからグラウデュース帝国とセレスティア王国へと続く街道が築かれているみたいだけれど、他の2国への街道は築かれていない。
まあ、街道があると移動には便利だけれど、その分攻め込まれ易くもなるよね。
グラウデュース帝国とセレスティア王国への街道。
その2つには森を抜ける為の魔獣除けの結界が施されているらしいけれど、それでも稀に魔獣が街道に現れるから護衛は必要らしい。
そしてフローレン自体には聖女の結界という特別な結界が張られているとロウェリーさんが教えてくれた。
その聖女の結界のおかげでフローレン内には魔獣は出現しないらしい。
だからあの時、森の中であの黒い獣からも逃げ切れたんだ。
重傷は負ったけれど。
そして一般人が結界から出る事は死にに行く様なものだから、あの夜ヴァレン様もどうして結界の外にいたのか聞いて来たんだ。
それなのにその結界の存在も知らず、自分の名前すら忘れてしまっていたから、魔獣に襲われた衝撃で記憶喪失になったって認識してくれた感じだよね。
それほどまでにこの世界において、聖女の結界は特別で常識的なもので、そのおかげで魔獣の脅威に日々怯えることもなく、街を領地を発展させられているのだろう。
魔獣。
あの黒い獣は空気中に漂う瘴気が集結して、魔獣の心臓とも言える魔核を生成、肉体を形成し具現化したものらしいけれど、本能的に多種族を襲う習性があるらしい。
野生動物も存在はしているけれど、魔獣により絶滅した種類は多いみたい。
図書館を出て、庭園の端に見える石造りの東屋へと歩く。
欄干に手を置き、そこから見えた景色に息を呑む。
「きれい」
高台にあるため、フィオレンティアの街並みが一望できる。
街を囲む大きな壁に、そこから真っ直ぐ下の大きな広場へと繋がる幅の広い街路。
そこを行き交う馬車や多くの人々。
街並みもとても綺麗で街の人たちの声が溢れ活気に満ちている感じがする。
下を覗くと、石造りの外壁に大きな建物の屋根が見えた。
これがこの街の市庁舎だよね。
じゃあ右側に見える2つの塔がある一際大きな建物がシュヴェレール大聖堂で、左側にある中央にドームがある大聖堂と同じくらいの大きな建物がロウェリーさん曰く、冒険者ギルドに似た組織の建物ってことかな?
市庁舎や大聖堂はなんだか落ち着いた街の色に馴染んでいる印象がするけれど、あの建物は雰囲気的にもまだ新しい感じがする。
東屋の隣には下の広場へと続く階段があった。
とりあえず、ここでお昼を食べてから下に移動しよう。
東屋に備え付けられている椅子に座り、シェパード様とアルシェちゃんが用意してくれたポシェットを開ける。
中には可愛い柄の布に包まれた物とオレンジ色のジュースらしきものが入った瓶が入っていた。
割れ物はこの瓶の事だったんだ。
確かにペットボトルとかがない時代だから気をつけないとね。
布に包まれた物と瓶をテーブルの上に並べる。
布の包みを解くと少し形の崩れたオムレツと野菜がサンドされたサンドウィッチと鶏肉らしきお肉とハッシュドポテトがサンドされたサンドウィッチが出て来た。
確かロウェリーさんがアルシェちゃんからとも言ってたから、どちらかはアルシェちゃんが作ってくれたものかな?
療養期間中に食べていた料理はすべてシェパード様が、迎賓館の厨房を借りて直々に作ってくれているとロウェリーさんが教えてくれて、その日に料理を持って来てくれたシェパード様にお礼を言ったら、何故か複雑な表情を浮かべられた事はまだ記憶に新しい。
最初はシェパード様とロウェリーさんが料理を部屋に運んでくれていたけれど、昨日からはアルシェちゃんがシェパード様と一緒に持って来てくれるようになった。
アルシェちゃんとはまだまともに話せてはないけれど。
まだ幼いからかどこか放っておけない感じというか、気になるんだよね……。
サンドウィッチを口にしながら東屋からの景色を楽しむ。
この場所に東屋を建ててくれた人に感謝しないと。
おかげでサンドウィッチが更に美味しく感じられる。
だけど初めて見る景色の筈なのに、どこか既視感を感じるのは、どうしてだろう?
確かにこういう光景を見た気がするけれど、どこで見たのかが思い出せない。
きっと映画やアニメとかで似た光景を見たのだろう。
サンドウィッチを食べ終えて一息つく。
どうしてか、シェパード様が用意してくれる食事が私のドストライクの味付けになっていて、異世界に来たにも関わらず食については困ったことがない。
だから余計に1人立ちした時の反動が怖い。
街の中に何箇所か食べ物を売っている屋台が見えるけれど、味とかどんな感じなんだろう。
まだ無一文の私には買うお金がないから、生計を立てれるようになったら買いに行こう。
ポシェットにサンドウィッチが包まれていた布と、まだ中身が残っている瓶を仕舞い立ち上がる。




