05.不思議な絵本と白い猫
しばらくしてようやく気持ちが落ち着き、サイドテーブルに置かれていたロウェリーさんが記憶が戻るきっかけになるかもしれないと、持って来てくれた1冊の絵本に視線を向ける。
ロウェリーさんには悪いけど、異世界の文字なんて読めるわけがないと思いながら、やっとまともに動かせるようになった手を伸ばし、本を掴んで表紙を見ると『少年と竜』と書かれてあった。
もちろんこの世界の文字で。
思わず上体を起こし、まじまじと絵本を見つめる。
「読めてしまった」
どうして読めるの?と真剣に考えたところで、答えは出ないことはわかっているから、字が読めたことだけでも喜んでおこう。
それに読めるなら今後の為にも読んでおかないと。
ロウェリーさんがわざわざ記憶を取り戻すきっかけになるかもと用意してくれたほどだから、きっとこの世界では常識的なことが書かれているはず。
それにマルクスさんにも、あと2日は絶対安静と言われてしまったしね。
それに絵本だから、そんなに内容も難しくはない筈。
そうして私は『少年と竜』の絵本の表紙を捲った。
──なにもない世界に卵を抱えた1人の少年がいました。
少年は誰もいない世界にたった1人でした。
少年は悲しくて、卵を抱えたままずっと泣いていました。
ある日、卵から1匹の白金色の竜が生まれました。
少年はその竜と友達になりました。
少年と竜はどこへ行く時も一緒です。
そして大きくなった少年と竜は一緒に旅に出ました。
少年は竜と一緒になにもない世界から様々なものを見つけました。
4匹の竜や精霊たち。
そして少年は自分に似た姿をした人たちを見つけました。
少年は嬉しくなり、みんなで仲良く暮らしました。
それはとても幸せな日々でした。
──ある日、暗闇の中から1人の悪魔が生まれました。
やがてその悪魔は、世界を壊すようになりました。
そして綺麗だった世界は悪魔により暗闇の世界へと変わってしまいました。
少年は竜と精霊たちと、悪魔を世界の裏側へと閉じ込めました。
やがて少年は4匹の竜にこの地を託し、自分と似た姿をした人々に不思議な力を与えると、白金の竜と共に空の向こう側へと旅立ちました。
──そうして世界はまた光に照らされた美しい世界に戻ったのでした。
パタンと音を立てて本を閉じる。
その本を膝の上に置いて、小さく震える手を握りしめる。
初めて見る物語の筈なのに、なぜか既視感を感じるのはどうしてだろう……。
私はこの世界を知らない筈なのに、本当に記憶が抜け落ちているような感覚に襲われるのはどうして?
ふぅと深呼吸をして、本を見つめる。
「ほう、まだそんなものがあったとは」
突然聞こえた声に顔を上げると、あの森で会ったあの白い猫が隣に座っていた。
「え?」
「なんだ。まだ私の声が聞こえないのか?」
首を傾げながら見上げてくる猫に思わず叫びそうになるも、なんとか声を飲み込んで無言で猫の両脇に両手で差し込んで持ち上げる。
「?……何をする」
「いや、ちょっと確認のため」
されるがまま抵抗しない猫の反応をいい事に、身体の隅々まで観察する。
どうやら怪我はないみたい。
「……どうして猫が喋れるの?それにあなた、いつもあの夢に出て来ていた猫にそっくりなんだけど……。もしかして私がこの世界に来た事とと関係ある?それに私の怪我を治してくれたのはあなたなの?」
次から次へと出てくる疑問から、捲し立てるように話し掛けるも、白い猫は何も答えることはなく、ただ視線を逸らすだけだった。
澄んだヘーゼルの瞳と淡いクリーム色の綺麗な模様が印象的な白い体毛。
夢の中では喋らなかったけれども、こんな猫そうそういない。
それにあの状況で怪我の痕もないとなると、このコが治してくれたのかもしれない。
喋るほどだから、あり得なくはないよね?
それにあの時は聞き間違えかもと思っていたけれど、この猫は私に確かに『逃げろ』と伝えてくれた。
どうしてかはわからないけれど、この不思議な猫が私について何か知っていると、確信が持てる以上、少しでも聞き出さないと。
「お願い。何か知っているなら教え、て」
焦りを帯びた声で猫に問いかける。
だけど突然両手に込めていた力が抜けて行くのを感じる。
それは瞬く間に全身へと広がった。
あれ?私、こんなに身体が弱かったっけ?
力無くベッドに倒れた私を、両手から抜け出した猫は微動だにせず、じっと見ていた。
「どうやら、まだこの世界に馴染めていない様だな」
「馴染む?」
「ああ。お前の魂と肉体が、まだこの世界のマナに反発しているみたいだ。まあそれもあと数日もすればなくなるだろう」
それまではゆっくり休むといいと、小さな肉球で額を押される。
冷たく柔らかい肉球の感触に気持ちいいと思いつつ、猫が言っている事が理解できない。
「えと、この世界のマナって何?あなたは何者なの?」
「悪いが、私が伝えられることはここまでだ」
「そんな……」
猫の言葉に期待していた分、落ち込む。
この状況で、これからどうすればいいの?
記憶喪失を理由に、ロウェリーさんに教えてもらう?
短い時間だったけれど、ロウェリーさんは誠実な人だから、きっと大丈夫なはずだけど。
あとは。
「……ねえ、あなたには名前はあるの?」
ゴロリと横向きになって正面から猫を見つめる。
まさか名前を聞かれるとは思っていなかったのか、猫の目が少し見開いたようだった。
「……リティス。昔、ある友人に付けられた名だ」
「リティス。……また、会える?」
なぜか光の塵となりだしたリティスの頬を撫でる。
やっぱり普通の猫じゃなかったんだ。
「ああ。必ず、会いに来よう」
そう告げるとリティスは光の粒子になり、やがて消えてしまった。
手のひらに残った光の粒子を握りしめる。
大丈夫。
きっと私は大丈夫。
そう言い聞かせながら、重たくなる瞼にゆっくりと目を閉じた。




